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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

2013ダマスカスのサリン攻撃 米国とサウジの陰謀

2017-05-30 05:20:39 | シリア内戦

 

2013821日、ダマスカス近郊の2つの地区にサリン攻撃が行われ、多数の死者が出た。正確な死者数は分からないが、300人ー1400人とされている。攻撃されたのは反政府軍の支配地である。自由シリア軍は死者の数を1792人と発表しているが、国境なき医師団は355名としている。両者の数字に大きな開きがある。反政府軍はこれを重大事件にしたいので、死者の数を実際より多く発表したのかもしれない。反政府軍がこの事件を大きく見せたいのは、それが米軍介入の契機となるからである。

一般的には、死者数の上限は1400人とされている。下限は300人である。仏情報局は281人、英情報局は350人としている。米政府は自由シリア軍発表の数字に近く、1429人としている。事件から4か月後(12月)のニューヨークタイムズは、数百名としている。

戦場で起きたことの真実を把握するのは、難しい。死者数に幅が出るのはやむを得ないが、毒ガスによる死者数は大きな意味があるので、正確な人数が確定できないのは残念である。

 

    〈記憶に残るハラブジャの事件〉

1988年イラク軍はハラブジャのクルド人に対し化学兵器を使用し、5000人が死亡した。1980年ー1988年イラン・イラク戦争では、イランの戦死者75万人、イラクの戦死者39万人であり、両国に大きな犠牲が出た。両国民の記憶に残る大戦争であった。同戦争の末期にサダム・フセインは自国のクルド人がイランに協力したとして、毒ガスを用いてクルド人を殺害した。戦争の死者数に比べれば、取るに足りない数であるが、この事件は戦争中に起きた最も残酷な事件として記憶されている。クルド人の間には、毒ガスへの恐怖が長く残った。

多くの死者が地面に横たわっている様子は、第3者が見てもぞっとする。

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YouTube:Did you know more then 5000 civilians died in a chemical attack in Halabja in1988

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

  

=====================(YouTube終了)

サダム犯人説には反論がある。

「毒ガス用いたのはイラク軍ではなく、イラン軍であり、使用された毒ガスの種類は青酸ガスである。イラクはサリンを持っていない。死者は数百人にすぎない」。

真相はわからない。

ダマスカス近郊での死者が1400人というのが事実なら、ハラブジャの事件に続く大事件である。300人であればハラブジャに比べればスケールが小さいという印象である。それだけでなく、死者数の相違は犯人の特定を左右する。攻撃されたのは反政府軍支配地であり、犯人は政府軍に決まっているように見えるが、反政府軍による自作自演説も有力である。

私が「2011年のシリア」を中断して、2013年のサリン事件を書くことにしたきっかけは、説得力がある自作自演説に出会ったからである。一方でアサド犯人説の側は使われたロケット砲とサリンの科学的分析を根拠にしており、これを覆すのは容易でない。ロケット砲とサリンについての専門知識が必要になる。私の中で結論は出ていないが、犯人捜しの過程でシリア内戦の構図をより深く理解できた。

 

反政府軍がサリンを保有していたことは確実であるが、1400人を殺害するには大量のサリンが必要であり、それだけの量を持っていたかは、疑問視されている。もし死者の数が300人なら、大量のサリンを必要とせず、反政府軍にも実行可能である。

 

     〈オバマのレッドライン〉

化学兵器は核兵器と並ぶ禁断の兵器である。2011年夏以来、オバマ大統領は化学兵器を使用しないよう、アサド政権に繰り返し警告してきた。「シリア政府が一線(レッドライン)を超えたなら、米国は行動を起こす」。シリアの反政府軍は米国の軍事介入を求めているが、オバマは腰を上げようとしない。リビアの場合と対照的である。リビアに対する対応は早く、デモの開始からわずか一か月後に空爆した。

かしシリアで化学兵器の問題が起きれば、オバマは軍事介入決断を決断せざるを得ない。シリアが大量に保有する化学兵器は敵対陣営にとって脅威となっている。特にシリアの潜在的敵国であるイスラエルにとって、これは現実的な脅威である。

また自国民の反乱の鎮圧に、非通常兵器である化学兵器を使用することは、限度を超えて非人道的である。シリアの反政府軍を支援するカタール・トルコ・サウジ各国政府は米国の軍事介入を求めており、アサドの軍隊が化学兵器を使用するなら、米国は行動を起こさざるをえない。

 

シリア政府に警告するオバマのレッド・ライン発言は、反政府軍に大きな期待を与えることになった。彼らは米国の軍事介入を強く願っており、アサドの軍隊が化学兵器を使用すれば、彼らの願望が実現する。犯人を捜す場合は、動機を持つ者を疑え、と言われる。政府軍がサリンを使ったと見せかけることに成功すれば、米軍がアサドの軍隊を壊滅させてくれる。死者を出しながら終わりの見えない戦いを続けている彼らにとって、それはアラーの奇跡に等しい。

2か月前(6月)反政府軍はホムスから一掃された。ホムスはシリア第3の大都市であり、早い時期に反政府軍の支配地となったため、革命の聖地と呼ばれていた。ここで反政府軍が敗れたことは、彼らだけでなく支援国をも動揺させた。この時の支援諸国の動揺ぶりは、彼らがシリア内戦をいかに重要な戦いと考えていたかを示している。6月米国は、反政府軍への援助武器の種類と量を増やす、と宣言した。武器の種類を増やすというのは、これまで制限してきた対戦車ミサイルなど、強力な武器を与えることを意味した。同時に米国は「シリアはこれまでたびたび化学兵器を使用してきた」と非難した。

米国が反政府軍支援の強化を発表した直後、シリアの友人諸国がドーハに集まり、反政府軍への支援を大幅に増強することを示唆した。シリアの友人とは反政府軍の友人という意味であリ、シリア政府の敵である。続いて7月ヨルダン政府は自国に900人の米軍人が活動していると発表した。この頃ダマスカス近郊の反政府軍が大規模攻撃を準備しているという噂が流れ、シリア政府は脅威を感じた。また反政府軍が化学兵器を使用するという噂も流れた。

7月と8月は反政府軍が反撃を試みた時期である。政府軍はホムスで勝利したが、たたみかける連続パンチを出せない状態だった。確かにホムスでの勝利は大きかった。しかし、政府軍とヒズボラはクサイルとホムスの戦いで戦力を減らしている。クサイルはレバノンからホムスへの補給を中継しており、ホムスの反政府軍を支えている。

クサイル戦はホムス戦の前哨戦であるが、この地は戦略的な要地であるため、反政府軍の必死の抵抗により、激戦となった。政府軍とヒズボラはクサイルとホムスで勝利したものの、犠牲も大きかった。

 

             (地図:BBC)

 

政府軍は勝利の勢いに乗ってアレッポ掃討を計画し、「北の嵐作戦」と名前まで付けていたが、机上の空論に終わった。

政府軍が更なる攻勢を始める前に、反政府軍がダマスカスで反撃に出た。

 

    〈反政府軍、ダマスカスで攻勢〉 

 

                                

反政府軍は首都ダマスカスを取り囲んでいたが、その外側を政府軍が取り囲み、反政府軍は孤立していた。夏の間、反政府軍は包囲を破ろうと、攻撃を繰り返した。彼らは新たに高性能の武器を有しており、補給路の回復に成功し、ジョバルの政府軍を押し返した。回復した補給路はヨルダンのマフラクが起点であり、到着点はジョバルである。ジョバルはダマスカス市内であり、反政府軍の支配地が市内へ食い込んでいる地域である。市の中心部を脅かすジョバルの反政府軍に決定的な打撃を与えるため、政府軍は、2011年以来この地域で最大の攻撃を決定した。820日「首都の楯」作戦が開始された。この作戦は成功し、ジョバルの反政府軍は敗北した。プーチン大統領は述べている。「政府軍は勝利し、敵を包囲することに成功した。このような状況において政府軍が化学兵器を使用する理由がない」。

20日と21日のジョバルの攻防について、NSNBCが書いている。

 

====《化学兵器攻撃は米国とサウジの陰謀》======

   Top US and Saudi Officials responsible for Chemical Weapons in Syria    

                 by Christof Lehmann

820日、シリア軍はダマスカス地域で大規模な作戦を開始した。反政府軍は決定的な敗北をすることが予想された。反政府軍はまとまった軍隊として大きな作戦をすることができない、と米国の情報員は繰り返し報告していた。ところがこの時の反政府軍は違った。十分な武器を備え、よく組織された5000人の部隊として、政府軍に立ち向かった。サウジアラビアが支援するイスラム主義者たちは13個の大隊からなる25000人の軍団を構成した。これは一般的な軍隊の2個師団に相当する。大部分の大隊はヌスラ戦線とリワ・イスラムに所属していた。残りの大隊は9のグループに所属していた。

Abou Zhar al-Ghaffari ② al-Ansar ③al-Mohajereen ④Daraa al-Sham ⑤ Harun al-Rashid ⑥ Issa bin Mariam ⑥Sultan Mohammad al-Fatih ⑦ Syouf al-Haqq ⑧the Glory of the Caliphate ⑨ the Jobar Martyrs

820の夜から21日の朝にかけて、政府軍はジョバルの入り口で反政府軍の防衛線を突破した。そしてこの地域にあった反政府軍の拠点は全て総崩れとなった。ヌスラ戦線が率いる部隊は決定的に敗北した。

   《ジョバルの入り口の戦略的重要性》

 

 

ヨルダン北部のマフラクに米国とサウジアラビアの支援基地があり、ダマスカス周辺の反政府軍を支えている。ここからジョバルの入り口に至る道路が反政府軍にとって唯一の補給路となっている。ジョバルの入り口を失えば、反政府軍は闘いを継続できない。また反政府軍の支配地はすべて郊外にあり、ジョバルだけが市内にあり、ジョバルは市内に侵攻するための足場となっている。

20126月と7月にホムスを攻撃した反政府軍はヨルダンのマフラクから出発した。ここの支援基地には4万人の反政府軍が集結していた。その半数の2万人はリビアで経験がある。彼らはイスラム主義グループの指揮下にある。イスラム主義グループの指導者はベルハジ(Abdelhakim Belhadj )とハラティ(Mahdi al-Harati)である。

CIAが基地を管理し、米国の特殊部隊が彼らを訓練した。また米国の統合参謀本部議長がヨルダンを訪問した。2012年以来米国とサウジアラビアの武器がこの基地で反政府軍に渡された。20138月初旬以後は、両国の高性能武器がこれに加わった。

マフラクの国境地帯は軍事領域とされ、この隔離された場所で、シリア反政府軍は軍事訓練を受け、さらには政府軍から獲得した化学兵器の使用法を教えられた。

820日の夜から21日の早朝にかけて、ジョバルの反政府軍は完敗し、CIAとの特殊部隊は首都攻略の希望を失った。3日前ヨルダンからゴラン高原を通りダマスカスに向かっていた反政府軍も決定的な敗北をし、コンクルス対戦車ミサイルなど最新の武器の多くを失っていた。

ジョバルの戦線崩壊後、米特殊部隊に指導される反政府軍の幹部はジョバルの入り口だけは死守することにし、エリート部隊を送った。この中核部隊はリワ・イスラムのメンバーであり、一部がヌスラ戦線だった。部隊の司令官はサウジアラビア人のアブドゥル・モネイム(Abu Abdul-Moneim)である。彼は大量の武器を保管していた。その中にはチューブ(円筒)の形をした物や大きなガスボンベのような物があった。ダマスカスのグータ地区にも武器庫があった。武器庫はトンネルの中にあり、そのトンネル内でアブドゥル・モネイムの息子と12人の戦闘員が死亡した。彼らは自家製の化学兵器の使用法を知らず、間違って化学物質を外に出してしまったのである。このことを国際メディアが報道した。

エリート部隊を率いていたもう一人の司令官はリワ・イスラムの指導者であるザフラン・アルーシュ(Zahran Alloush)であり化学兵器部隊は彼に直属していた。リワ・イスラムと他のアルカイダ系グループは初歩的な化学兵器の製造と発射技術を持っていた。アルーシュがダマスカスで使用した化学兵器はISISがイラクに保管していたものである可能性がある。

20139月初旬イランのジャワド・ザフリ外務大臣はテヘランのスイス大使館を通じて米国ホワイトハウスにメモを送った。それには、サリンを含む自家製の化学兵器がシリアに持ち込まれていると書かれていた。ホワイトハウスは返答しなかった。

 

 

 

リワ・イスラムを中心とする反政府軍は、ダマスカス中心部への進撃の跳躍台であるジョバルを失えば首都攻略は絶望的になる、と考えていた。ジョバルの入り口を死守するため、反政府軍の司令官たちは、化学兵器を用いて政府軍を阻止することにした。

反政府軍と政治部門そして中核的な支援国は、8月ー9月に化学兵器を使用することを決定した。化学兵器が大規模に使用されるなら、外国の軍事介入が実現するだろう。この決定に関する情報が6月に広まった。

 

     

この改造トラックは化学物質搭載ロケットの発射台である。ロケットを一発だけ発射した後、写真のようにカバーされる。時間をかけて一発しか発射しないので、国家間の戦争においては役に立たない。しかし敵がやったと見せかけるための化学兵器ロケットの発射に適している

==============NSNBC終了)

反政府軍が上記のような移動式発射台を所有すことは知られていない。これは新事実である。ガス弾を一発しか発射できないという情報をどこから得たのであろうか。

反政府軍がブルドーザーを改造し、ロケット発射台を作成したことはよく知られている。これをガス弾発射に利用したという動画もある。射程距離は3マイル(4.8㎞)に近いという。       

 

    YouTube:Syrian rebels construct homemade cannon that fires gas

 


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