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ISISと政府軍の攻防 ラッカ 2014年8月

2015-11-13 21:21:23 | シリア内戦

2014年1月、ISISはラッカ市からヌスラ戦線とアフラール・シャムを追い出し、ラッカ市に単独支配を確立した。同時にラッカ県の大部分を支配下に置いた。

しかし、ISISの支配地はラッカのみで、隣りのデリゾール県を支配しているのは、自由シリア軍とヌスラ戦線である。ISISはデリゾール県の攻略にとりかかった。

2014年4月10日、ISISは国境の町アブカマルを自由シリア軍から奪った。アブカマルはイラクからシリアへの入り口である。(次の地図参照)

2014年7月14日、ISISはデリゾール市からヌスラ戦線と自由シリア軍を追い出した。ISISはイラクと国境を接するデリゾール県を獲得した。ISISはデリゾール県とラッカ県をひとつの領域としてまとめあげた。

   

ISISはハサカ県とアレッポ県の支配地をさらに拡大広しようとしている。ISISがまとまった領域を支配下に置いたことに、シリア政府は脅威を感じ、ISISを押し返そうとした。

7月半ば、政府軍はハサカ県南部のISSをを攻撃した。ハサカ県南部のシャッダダは、イラクの支配地ととデリゾール県の支配地を結ぶISISの重要拠点である。121砲兵連隊は、このシャッダダを砲撃した。

これは、これまでのISISの成果を切り崩そうという作戦である。政府軍は本腰を入れていることは明瞭である。ISISは反撃に出た。

2014年7月23日の夜、ISISはハサカ県の121砲兵連隊基地とラッカ県の17師団を同時攻撃した。ISISによる政府軍への攻撃としては、ISISがシリアに来て以来、最大規模だった。2つの基地は、ISISと政府軍の決戦場となり、双方が多数の死傷者を出した。

121砲兵連隊基地をめぐる戦闘については、すでに書いたので、17師団基地での戦闘について書く。

       <17師団基地の戦い>

ラッカ市の北にある17師団の基地は最後に残された政府軍の拠点であリ、タブカ軍事空港に次いで、最も堅固に防備されている。

    

7月23日の深夜、ISISの突撃部隊が、17師団の基地に攻撃を開始した。いつものように、自爆攻撃で始まった。爆弾を積んだ2台の自動車が17師団の外郭に突入した。しかしいつもと少し違って、突入寸前に師団兵によってよって砲撃され、手前で破裂してしまった。それでも師団兵19人が死亡した。

自爆攻撃に続き640人のISISが、300人の駐屯(ちゅうとん)兵に襲いかかった。シリア空軍の戦闘機が飛来し、ISIS兵を爆撃した。航空支援にもかかわらず、基地守備軍は敗北した。師団の本拠地に300人しかいなかったからである。

17師団基地への航空支援の他に、この日シリア空軍の戦闘ヘリがラッカ市内にあるISISの本部その他を攻撃した。

 2日間の戦闘の後、26日、師団兵は撤退し、ISISは17師団基地を占領した。撤退した師団兵は93旅団基地へ向かった。数十人がタブカ軍事空港へ逃げた。(93旅団基地とタブカ軍事空港の位置は地図参照)

撤退する4グループのうち、ひとつのグループは後に残り、ISISの追撃を抑えた。それでも、撤退するグループのひとつは、ISISの待ち伏せにあった。50人がISISによって捕らえられ、処刑された。無事撤退できた2グループの数百人が93旅団基地にたどりついた。300人の師団兵が途中の村で孤立している。

この戦闘で、合計105名の師団兵の死亡が確認されている。140人の生死がわからなかったが、この中の108人が、20日後タブカ軍事空港に帰った。

捕虜となった師団兵の何人かは、ラッカ市内を引き回され、処刑された。彼らの生首が棒の上にさらされた。

ISISの戦死者は28人である。

     <ISIS、93旅団の基地を占領>

121師団の基地を失い、ラッカの政府軍の基地は、93旅団の基地とタブカ軍事空港のみとなった。8月7日、ISISは93旅団の基地に3つの自爆攻撃をした。夜を徹した戦いの末、ISISは基地の3分の2を制圧した。

翌日ISISは93旅団の基地を完全に掌握(しょうあく)した。

(原文) Battle of Raqqa

          <タブカ軍事空港の攻防>

 

      

政府軍に残された拠点はタブカ軍事空港のみとなった。ISISはタブカ軍事空港の攻略のための準備を始めた。これまでいくつかの反政府軍が何度か、この空港の奪取を試みた。2013年の11月25日には、政府軍のヘリコプターを撃ち落し、乗員が全員死亡した。しかし攻略はすべて失敗に終わっている。

8月10日、ISISはタブカ軍事空港への攻撃を開始した。

8月17日、シリア空軍は、タブカ軍事空港の周囲のISISを空爆した。同時にラッカ市内のISISも空爆した。ISISの戦闘員31名が死亡し、数十名が負傷した。市民8名が死亡し、10名が死亡した。

この日、シリア空軍は、デリゾールのISISに対する空爆も含め、合計40回空爆した。翌日も20回空爆した。ラッカの水道施設が破壊され、市内の水道が止まった。これらの空爆は、米国が提供した情報に基づいた誘導ミサイルによるものである。米国と西側の国が、ドローンで得た情報をシリア軍に提供したという。

ISISに対する空爆に加え、政府軍はタブカ軍事空港に援軍を送り、防備を堅固にした。また大量の弾薬と食料を守備兵に届けた。

空爆されたにもかかわらず、ISISは空港の周囲の村々を占領し、基地に対する包囲の輪をせばめた。8月19日、ISISは基地の入り口に、2つの自爆攻撃をした。続いて200人の戦闘員が基地を攻撃した。半数が外国人志願兵だった。

これに対し、守備軍は重火器でISISを砲撃した。空軍がISISを空爆した。

ISISは基地への突入に失敗し、退却した。翌日の午前中、戦闘はなかった。しかし午後になって、ISISは2度目の攻撃を開始した。彼らは地雷原に阻まれ、政府軍による砲撃と空爆に見舞われた。地雷は、ISISの前回の攻撃進路を観察し、特殊部隊が敷設した。戦闘は22日の午前中まで続いた。

ISISは、基地の近くの検問所を占領したが、基地に踏み込むことはできなかった。政府軍は夜の間に援軍を基地に空輸した。

最初の2日間にISIS戦闘員70名が死亡した。ISISのチュニジア人指揮官ウマール・アブドルラフマンも死亡したと言われている。

8月22日の夜、ISISに援軍が到着し、ISISは3度目の攻撃を試みた。自爆攻撃で基地の門を爆破し、突入を試みたが、失敗に終わった。シリア空軍はこの時、同時にタブカ市内のISISの基地も空爆した。

      <4度目の攻撃で、空港を占領> 

8月24日、ISISは4度目の攻撃をし、今度は成功した。軍事空港の大部分を占領した。政府軍はホムス方面に向かって退却しており、空港にはわずかな守備隊しか残っていなかった。ISISはこの日、タブカ空軍基地を完全に占領した。

占領の際、ISISはMiG-21戦闘機1機を破壊した。残りの15機のMiG-21とすべてのヘリコプターは無事避難した。 ISISはSA-16対空ミサイルと空対空ミサイル(Atoll missiles)を手に入れた。

基地の守備隊は170名が死亡した。150名ほどが捕虜になった。彼らはは、処刑された。

    

8月10日以来4回の戦闘で、政府軍兵士は合計で200名が死亡した。700名が基地から退却した。

ISISの死者は合計で346名である。

(原文) Battle of Al-Tabqa air base

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