海賊日記

子育てと趣味の日記

離任式

2016年03月28日 22時20分40秒 | Weblog
今日は旦那と長男の離任式でした。
長男は一年契約の非常勤講師だったのでまーあれですが、旦那は三年務めた学校を離任します。
新任教頭として土日もない激務をこなした三年間。お疲れ様でした。



毎回離任の年には色々貰えて嬉しいv他にはハンカチや靴下、ペンやパスケースなどを貰ってきてました。

今年の冬に、校長試験に受かっていた旦那。
なるかな~とちょっと期待してましたが、まだ年が若い事もあって行政に出ます。県教委。
ぶっちゃけ教育関係者以外にはよくわからんポジションですよ(><)でも間違いなく栄転らしい。相手は市教委や文科省らしいですが。

でも給料下がるんだよ?

これ以外に判断基準ないでしょ家族としては!
教育職でなくなるので、教職手当も教頭としてもらってた管理職手当もなし!
おまけに給食もなければ車で行けないので駅に駐車場も借りなきゃです・・大学生二人も抱えて一番お金が掛かる年なのに、やっていけるんでしょうか。


でもまぁそうは言いますまい。一番大変なのは職種が変わる旦那なんだから・・・(;;)


早く学校に帰って来てくれ~//



そうそう、送別会に送る車の中で聞いた話。
一年生のクラス発表もあったんですが、その時のこと。

新一年生に「るびい」(漢字表記は知らない)ちゃんって子がいて。
発表を見ていて名前見て笑った人がいたとかで、その子のお母さんから学校に電話。

『笑った保護者に注意してください。入学式でもその旨話してください』って。



・・・・・・・・。



自分基準じゃなくて、お子さんがどうか考えて付けた名前なのかな?


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫に学ぶ

2016年03月25日 22時18分56秒 | Weblog
地域の猫(野良猫って言い方は好きじゃない)を見守ってる人の動画をいくつか毎日見てるんだけど。

公園の老猫仲良し3兄弟のうち二匹が相次いでいなくなった。
おそらく亡くなってると思われる。

猫って飼われてなくても心を寄せていてくれた人が分かるんだろうか、それまでは外猫らしく人が近寄れば威嚇して拒否してたのに、亡くなる数日前になるとまるで「もうすぐ居なくなるよ、今までありがとう」とでも言うように身を寄せてくる。
同じよう老猫をいくつか見てきた。

決して触らせなかった背中やしっぽに触れさせて・・お礼をしてるのだろうか。
そしてそれきり居なくなる。


本当に不思議な生き物。興味が尽きない。






猫の寡黙なところが好きだ。


動画でしか知らない猫でもこんなに悲しくて泣けるのに、こむぎ達の時が心配である。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドからの生還

2016年03月18日 22時54分45秒 | Weblog


ジャイサルメール。


おととい無事にインドから帰国しました、次男。
成田に着いたのが夜の8時、それから税関やらなんやらの時間で9時頃でしょうか、ようやく「ついた」と連絡が入りました。
着いたはいいけど、本人はすぐに静岡に帰りたかったらしく。同行した友人の東京のアパートで一晩過ごすのかな~と思ってたのだけど(笑)成田空港付近にはネカフェも何もないので空港で一夜を過ごして、昨日の昼に地元駅に着きました。ちょうど休みだった長男に迎えに行って貰いました。
仕事終わって帰ると、まるでインド人のような浅黒さ!(笑)日差しが違うんでしょうね~日本での日焼けとは質が違う色です・・・土色っぽいっていうか。
思ってたより痩せてもいなくて元気でした。やれやれ。
で、すぐに彼女が遊びに来て、しばらくしたらあたしの車でデートに出掛けました。

夜に帰って来たと思ったら、すぐに友達と食事しに行ってしまってなかなか話を聞けませんでした(><)寝る頃帰って来たので少し話が出来ましたけどね。


総括すると、まぁ色々あったけど楽しかった。
インド人は暴力をふるう人種ではないので思ったより治安は悪くないけど、「お金のある人からは施されて当たり前」と思ってるところがあるのでぼったくったりウソついたりは平気でするそうです。それをかわすのが大変だった・・というかぼったくられてました(笑)いうても物価が世界一安い国らしいので・・知れてる気がするけど。


日本では見ることのない「子供の乞食」もたくさんいて、最初は可哀想に思っていたのに、慣れてくると「煩い」と感じるようになってしまって、そんな自分が嫌だなあと思ったとか。

「嬉しかったこと」は、途中の砂漠で出会ったウクライナ人のカップルと仲良くなって一日一緒に過ごしたこと。英語に不慣れな自分たちの為に一生懸命わかり易く話してくれたそう。

あとは帰国まで数日、って時に、チャイ屋で買ったばかりのチャイを一口も飲まずにこぼしてしまってがっかりしてたら、ぞれを見ていたインド人が手招きして、いっぱいおごってくれたとか。

途中バイク借りてあちこちしたらしいけど、途中でバッテリーが切れてしまい、その時にもたくさんのインド人が手押ししてくれていろんな修理工場に案内してくれて助けてくれたそうだ。

だから、ぼったくる人は確かにいるけど、多数のインド人は親切で優しかった、という印象らしい。うんうん。

衛生状態がわるいのが何より心配だったけど、まあ常に下痢気味ではあったけど発熱して寝込むこともなく無事だったようだ。かなり気を付けてたらしい。

一か月ではあったけど、インドを小さく一周(笑)してました。

行ったところ

・羽田発→上海トランジット→デリー(着)
・アグラ(タージマハルのあるとこ)
・ジャイブル
・ブシュカル(ブシュカル湖)
・ジャイサルメール(らくだでサファリ)
・ジョードブル
・ムンバイ(昔のボンベイ)
・ゴア(アメリカの西海岸のような所)
・コルカタ(昔のカルカッタ)
・デリー(発)→上海トランジット→成田

移動は車、バス、夜行列車、ローカル列車、飛行機。
最後コルカタからデリーに戻るのに列車のチケットがどうしても取れず、仕方なく飛行機で。
インドの列車はチケット取るのが凄く難しいです。でも色んな経験できたからいいよねー。高い言うても8千円弱ですよ。さすがインド。
ホテルなんかは500~600ルピー(1ルピーが1・7円)くらいでエアコン付のそこそこなところに泊まれるらしいし。

移動のチケットを取ることも、ホテルを探すことも、そこでぼったくられないように文句言うことも(笑)一日過ごすだけでもどれだけたくさんの経験になったか。

なので、お土産がなくても文句は・・・言いませ・・・;;;期待してたのにー・・・;;
ブシュカルとかジョードブルとかは雑貨の宝庫で、日本から買い付けに行く人もたくさんいるらしく。
折角行ったのに!道端でいっぱい売ってたはずなのに!ひとつくらい買って来てよ~~;

持って帰って来たのは



変なお菓子。




タイガーバーム。・・・これって中国なんじゃ・・・





唯一インドらしい。ガラムマサラ、チキンマサラ。匂いが本格的に八角くさいです。


写真沢山取ったらしいので早く見せて欲しいです。今また「凱旋祝い飲み会」で出掛けてて不在・・・(><)


タイのバンコクは行ったことがあるのですが、同じ宗教文化でもインドはかなり落ち着いた感じで好みだな~と思いました。
一度くらい行って見たいです。是非。

我が子がバックパッカーするとは思いませんでした。
心配は山ほどあって、毎日朝昼晩と彼のインド用のツイッターを見るのが日課で、でもWIーFIのないとこではネット出来なくて、途中4日ほど音信不通になったときは心配過ぎて次男の彼女にまで娘からラインで聞いて貰ったりして。

危ない橋は渡らない自分にはとてもできない冒険だなぁととても感心してます。三人いたらこういう子がいてもいいよね。ハラハラするけど面白い。

まぁ無事に帰って来れたから言えることだけどね//







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りの日

2016年03月11日 21時35分19秒 | Weblog
東日本大震災から5年経った。

今日は朝から関連したニュースが色々やっていて、世間も「忘れてしまってはいけない」と思ってるんだなぁと感じた。忘れてしまいそうだから。

5年前のあの日、あたしは自宅の二階でPCをやってる時に揺れを感じた。
静岡県民は揺れに敏感なので一瞬体が硬直したけど、子供たちはそれぞれ学校だったしそこで対処して貰えてるだろうから、と次の揺れにおびえながらTVを付けたのを覚えている。
その日は父の手術の日でもあって、そちらは無事に終わったのだけど病室に戻って母から今日会った事を聞いて「揺れは分かったけど貧血だと思った」と言っていたらしい。

毎年この日は来るわけで、その度にあの恐ろしい映像とACのCMしか映らなくなったTVとその頃はまだ父が存命だった事を思い出す。
日本中が「自粛」の空気でいっぱいだった。

いつの間にか自分の周りはすっかりいつも通りの日常になっていて、小さな不満や不安に愚痴を言ったり投げやりになったり。
被災地は今でも10万人弱の原発避難民の人たちがいて、戻ってこない人や物からはずっと逃れられなくて、それでも前を向かなきゃならない毎日を送っているんだ。

あたしは世の中に嫌いなものはいくつかあるけど、「不公平」というのがかなり嫌いだ。
不公平から逃れたいとか思うわけじゃない。自分に対しての不公平なんて大したことは今までなかったし。
不公平なあるのは当たり前だけど、でも命に関しては別だと思う。世の中には山ほど「不公平で不幸な目」に遭ってる人たちがいて、それにたまらなく腹が立つ。
悲しみも苦しみも、ほんとのところは本人にしか分からない。どうやったら癒されるか、癒そうと思ってした事もただの自己満足にしかならないことだっていっぱいあるだろう。

自分に出来る事なんてないじゃない・・・っていつも思うのだけど、今朝のニュースを見てそうでもないのかな、と思ったことがあった。
静岡のある人たちが、被災地の沿岸に桜を植えている。毎年毎年。
なんの縁もゆかりもなかった人たちの事を思って、なんの見返りも求めないで続けている人たちがいる。きっと、知らないだけでもっといっぱいのそういう人たちがいるだろう。

直接お気の毒です、っていうわけじゃない。ただ桜を植えていく。

そういう「押しつけがましくない」思いやりの形って素晴らしい。
人の為に何かを出来る人って、あたしの中では最上級。自分の為に何かするとか、当たり前だもんね。


その人たちみたいなことはできないけど、せめてこの日を忘れないで、被災地の産品を進んで買うようにしよう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験終了v

2016年03月06日 23時10分43秒 | Weblog


娘の前期試験の間待っている間行ってた護国神社の桜です。2月25日にこんなにきれいに咲いてました。

今日合格発表があって、募集人数が去年10人だったのに今年は6人!しかもセンター出来てないし!ってことで期待はしてなかったんですが、奇跡的に合格してました。
本人は地元の私大の教育学部に受かっててそこで満足してたんで、前期試験の後は遊びまくってましたよ。後期は面接だけだったしね。

で、今日の10時に発表になったわけですが、時間を過ぎても二階から降りてこない。
受験番号は本人しか知らないので、こっちでは確かめようがないし・・・ま、まさか、ありえないけどがっかりして泣いてるとか??

と思って見に行くと・・・・


まさかの寝てました。



「・・・・・H?合格発表見た?」


「・・・あれ?・・・Σっこんな時間?!」


その後部屋を追い出されまして(どんな意味)


外に洗濯干しながら待ってるとにぎやかく階段を下りてくる音。

びっくりですねぇ・・・欲のないところに運は来るんでしょうか。

あたしとしては家から通えればどこでも良かったんですが、私大の方は「国語専修」
担任にまで「本読まないお前が国語?」と言われましたし。ええ、本なんで全く読みません。漫画すらも大して読みません。
で、本命の方は「家庭科」なんですよ。絶対こっちの方が本人に向いてるし何かしら役に立ちそう。

ってことで一番いいところに落ち着きました。良かったね~。
塾も通信も何もしないで、ただコツコツと丁寧に頑張ってました。荒れることもなくいつも平常心に見えていたので、同じ大学の先輩になる長男も「こいつすげぇ・・鋼の神経」と驚いてました(笑)

これから色々手続きやらなにやらで忙しいですが、とにかく家を出るわけではないので何とか頑張れそうです。

これで次男が無事に帰国したらすべて終了v早く帰って来い~。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

末っ子の高校卒業式

2016年03月02日 23時09分27秒 | Weblog
サンジ誕生日おめでとーーーーーーっvv



極寒の昨日、娘の高校卒業式でした。
駐車場が遠いので毎度学校行くのが憂鬱だったんですが、今回は同僚の知り合いで近くの人に駐車場借りれたんでv

三人の子供それぞれ違う高校でしたが、娘のところが一番キチンとしていて良かったです。
吹奏楽も合唱部も金賞取るようなレベルでとても上手。ぶっちゃけ『卒業生入場』からして泣きました。ええあたしだけでしたね。恥ずかしくて大変でした。どんだけ音に弱いんだ・・・
式次第は、卒業生の呼名とか校長来賓のお祝いの言葉、送辞答辞。お決まり以外の事もなく一時間ほどで粛々と進みましたが、校歌も蛍の光も、生徒たちが一生懸命歌っていて、規律正しく学生生活を送れるように先生方が心を砕いてくださってたのが良く分かりました。自由を欲しがる高校生にはとても大事なことだと思います。聴いていて気持ちが良かった。
そして卒業生退場・・・一人号泣。
隣がMちゃんのお母さんだったので娘にばれました。「お母さん号泣してたってMママが言ってたよーv」・・てかなんで泣かないで済むのみんな。


まーそれはともかく、その後は教室で先生の話があって思い思いに写真撮影。娘が仲良しを連れてきてはあたしと一緒に撮ってくれました。最後まで面白い子だ。

そして卒業アルバム。
たぶんクラスのほとんどの子が書いてくれてたと思うけど、それを見て娘はこの学校に入って本当に良かったなぁと思いましたね。

空気読めないし声が大きいし、いつもハイテンション。特に中学の時は仲間外れにするような子もいて辛い思いをしたこともあった。(本人はあまり気づいてなくて母の方が腸が煮えくり返ることも)

でも娘の学校の子達はそんな娘の性格をよく取ってくれて好んでくれて。
いつも大勢の仲良しに囲まれてほんとに楽しい毎日だったと思う。

「いつも元気で明るくて声が大きくてすぐ赤くなって。そんなHと一緒にいられてほんとに楽しかった。大好きだよ!!」って内容をたくさんの子が書いてくれてあって、親としてもとても嬉しかったです。

学生生活はまだ続くけど、高校出たらもうバイトも出来るし今までよりも大人扱いするつもり。

三年間皆勤。親としてもやれるサポートはしてやれたかな、と肩の荷が下りた気分です。

夜寝てると、娘からメール。

「18年間ありがとうございました。これからも宜しくお願いします!」と。


「卒業おめでとう、これからも健康で元気に頑張ろうね!」

「はーい、頑張ります!」

うんうん、あと4年は傍にいてね。一緒に女磨きしよう!(笑)



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする