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へりをめぐる熱田・ブラタモリ

2017-06-18 21:29:51 | 見る
6月17日の「ブラタモリ」は前回に続き名古屋で、熱田へ。
名古屋という町が作られたのは台地の上で、名古屋城は北の端に、今回の熱田は南の端に位置する。
家康がここに名古屋を作った理由は、この熱田にあった。
熱田はむかしから栄えた港なんだって。
どのくらいむかしかというと、古墳があるの、前方後円墳が!
知らなかったわー。
つまり、大昔から大きな墓を作れるような豪族がいるような場所だったと。

熱田神宮には、信長、秀吉、家康と、戦国三大スター武将から来た手紙が残ってるの。
お祓いをしてもらったお礼とか。
3人からのがそろってるってスゴイ。
それだけ、常に大事に扱われた神社なのね。

今回はひたすら台地のへりをめぐる一日になってた。
お城と熱田は7キロ離れている。
家康は熱田の港としての利点を生かすために、港から城のところまで運河を掘った。
堀川というんだって。そのまんまや。
この堀を作るときに、台地のへりの一番低いところではなく、ちょっと斜面を上がった位置に掘った。
一番低いところはもともと湿地帯で、洪水になるようなことがあると、使えなくなる。
少し上に作れば、安定した水運が使える。
すごいねえ、家康。
(今年の家康はずっと碁を打ってるだけなんだけど)

浜に面した江戸時代の家が一軒だけ残っていて、
それが江戸時代の図絵に描かれてのとまったく同じ構造なの。
玄関の上に小さい屋根が乗ってる、ちょっと変わった作り。
旅籠だったそうです。

屋根の上に祠を乗せる「屋根神さま」が残ってる家も1軒だけあった。
やっぱりそのまま残すのは難しいんだよね、代替わりしたところで建て替えようってことになる。

古い石の道標に江戸街道と彫られていて、東海道のこと。
その東海道が港の手前で終わってしまっていると解説されて、
タモさんは「あっ、そうか、熱田だ!」と一人で納得してたけど、
この熱田港から桑名までは船で行く、それが東海道の一部分なんだって。
近江アナが地図を見ながら、どうして陸地をこのまま横断しないのか?と疑問を。
熱田から桑名までの間の陸地は低くて、大きな川が3本流れている。
木曽川、長良川、揖斐川。
これを渡るのが難儀、水が出れば何日も泊まらねばならない。
だから海路を使った。

木曽は尾張藩の直轄地になっていて、木曽から切り出した木材を川で海まで流し、
海を通って熱田の港へ入れて荷揚げするという道筋で、熱田は経済的に発展した。
「すべて家康の計画どおりになって、ずっといままでもそのまま続いてるんですね」
と、タモさんは言ったけど、
でも、幕末、尾張の殿様は薩長についた。容保公のお兄さんなのに。
そこは家康も想定外だと思うわ。
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