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富士吉田はおもしろい・ブラタモリ

2016-11-02 21:55:49 | 見る
10月29日のブラタモリはまだ富士山周辺をめぐってて、富士吉田。
最大の登山口はなぜ生まれたか。
案内人は富士山ミュージアムの篠原さん、タモさんたちは上着着てるのに、篠原さんは半袖。なぜ?
忍野八海から始まりました。
この水で清めてから登ったので、ここの池が整備されたんだって。

江戸時代に盛んになった富士信仰、富士講のガイド役の御師たちの家が建ち並んだ吉田の町。
いまも残ってるの、家々が。
御師の家の特徴が、門からまっすぐ長い通路になってるのね。
そういう家自体はけっこういまでもそのまま残ってるんだけど、
現役で御師業をやってるお家は1軒、「上文司」さん。じょうもんじと読む。
浅間神社の宮司も兼業。
すごく広いお家、これ大変だねえ、ふだんの掃除も大変そうだし、木造の維持は手がかかるよ。
いまも、富士講の人たちが来て一泊して翌日富士山に登る、
奥さんは当日のお昼のお弁当におにぎりを作って持たせるんだって。
奥さん、その「おにぎりを私が作って」と説明するときに、
「いまはセブン・・・いろいろとか、コンビニがありますけど」と言ったの、
セブンいろいろ!
言っちゃいけない、NHKだからと、よく気づきましたね!

江戸時代におみやげに講中の人に渡した刷り物の版木が残っていて、
かなり大きい木版をタモさんが摺ってみました。
最初は、ベテラン摺師の風情でおもしろおかしくしゃべりながらやってたんだけど、
サイズが大きいので、最後にバレンで摺るときには真剣モード、
上着脱いで汗だくで取り組んでた。
でも、きれいに摺れました。
富士の神様をたくさんの猿が支えてる図。
「富士山は申年生まれなんですね、それで猿なんです」
富士は申年生まれ?神様って生まれ年があるんだー?
特に60年に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の年は大フィーバーになるんだそうで、
1860年(江戸時代が終わる8年前だ)の庚申の年には、ものすごい人が押し寄せたんだって。
浮世絵も残ってるし、上文司家には宿泊名簿も残ってる。
それによると、夫婦でお参りに来る人が多い。
それまで女性は、2合目までしか登ってはいけなかったのを、
上文司さんら吉田の御師たちが運動して、このとき初めて女性も山頂まで登れたんだって。
それはすごいね!
当時、女人禁制はあたりまえの慣習でしょう。

吉田の町は富士山から流れた溶岩の上に土石流が堆積してできた町で、
浅間神社からの参道がまっすぐだった時代の古吉田、
そこが土石流の流れ(雪代・ゆきしろ)でたびたび被害を受けるので、
流れを避けたいまの上吉田へ町ごと移った。
それで参道がちょっと横にずれてるんだって。

水を川から町へ引くために、溶岩の下の柔らかい堆積部を掘った跡も残っていて、
地質地形もおもしろかったタモさん、
「富士吉田って何もないんじゃ?と思ってたけど、おもしろかった」
すると、案内人の篠原さんまで、
「私も来ていただけると聞いたとき、町をまちがえてるのかなと思って。アハハハ!」
ありゃ。
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