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「1973年のピンボール」 村上春樹

2016年12月20日 | 本(その他)
ピンボールマシンを追い求める理由

1973年のピンボール (講談社文庫)
村上春樹
講談社


* * * * * * * * * *

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。
さようなら、ジェイズ・バー。
双子の姉妹との"僕"の日々。
女の温もりに沈む"鼠"の渇き。
やがて来る一つの季節の終り
―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、
ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。


* * * * * * * * * *

「風の歌を聴け」から3年後、物語の続きです。
前作で一番大きなことなのに4行しかそれについて語られていなかった、かつての恋人の死。
3年後、大学を出て翻訳の仕事を得てもなお、<僕>の胸中は彼女が占めています。
そして、ここで始めて彼女の名前が示されます。
<直子>。
考えてみたら<僕>も友人の<鼠>も、名前が出てこないのに、
ここにその女の子の名前だけが出て来る。
何という存在感。
しかしそれはすでに直子本人を離れた、
<僕>の中のだけにある<直子>という記号なのかもしれません。


本作では、前作の4行に比べてはるかに多くの<直子>の記憶が記述されています。
が、<僕>は、虚しく<直子>の記憶をたどるのみ。
孤独で、心は虚ろです。
そして常に直子に絡め取られている<僕>の深層=<鼠>は、
遠い海辺の町に今もいる。
だからこそ<僕>は空っぽのまま、ただ毎日の淡々とした生活を繰り返しているだけ。


そこへ登場するのが、ふらりと<僕>の家にやってきて同居することになった双子の姉妹。
「この双子は実在しない、<僕>の妄想中の人物」
だと言われても、私は驚かないでしょう。
この双子は、空っぽで今にも消えてしまいそうな<僕>の重しでありバランスであるような気がします。
なぜ双子なのかといえば、
一人ならばそれは恋愛対象としての存在になってしまうから。
そっくりで、どちらがどちらかもわからないような存在に対して
恋愛感情はいだきにくいですよね。


そしてピンボールについて。
かつて夢中になり驚くほどの高得点を出したピンボールのマシンを
<僕>は探し求めます。
なにが彼をそんなに駆り立てたのか。
かつて<僕>が何もかも忘れて無心にそのマシンに向かう時、
彼は彼女の声を聞いたような気がするのです。
そこの部分は、本文中でも、わざわざ棒線が引いてあるという重要な場面。
著者は、私のようなうっかり者の読者にも、
どうしてもそこは見落とさないでほしいと願ったのかもしれませんね(^_^;) 

「あなたのせいじゃない・・・」

と語りかけたのはマシンじゃありませんよ。
でも、その声を聞いた時、あるいは聞いたことが彼の中で再現された時、
何かが吹っ切れたのだろうと思います。


双子は去り、<鼠>は海辺の町を出る。


ここまで読んだら、私、もう一度「羊をめぐる冒険」を読んだほうがいい気がしてきました。
以前に読んだときにはなにもわかっていなかったのかもしれません・・・。

「1973年のピンボール」村上春樹 講談社文庫
満足度★★★★★
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