珈琲待夢をご一緒に

何やようわからんけど、言うてもええか?

雑感・・・公子女史

2017-05-03 | 日記

 

 

母の友達で、公子さんと言う人がいました。その人はもう亡くなってしまたっけど、母への手紙で中学生くらいの私のことを「香乃女史はいかがお過ごしでしょうか?」というように、「ちゃん」とか「さん」ではなく、「女史」を付ける人でした。でも、その頃の私は女史の意味を知らなくて、母に聞いても「その書き方が公ちゃん」という返事。後にも先にも、女史と言う言葉を使う人は公子さん一人しか知りません。

公子さんと母は、中卒の集団就職で知り合い、夜間の高校に通いながら、結婚するまで同じ会社で働いていたそうです。いつも「公ちゃんは頭が良くてはっきり意見を言って、男の人でも言い負かしてしまう」と自慢げに言うので、そんな公子さんに女史って呼ばれるのは、意味が分からなくてもいい感じがしたもんです。

 

 

小学生の低学年の時に、公子さんの家に家族で遊びに行ったことがあります。京都市より少し南の住宅街の一戸建てで、ご主人は庭の芝生の上でゴルフの練習をしておられました。田舎で、道端の草を食べたり、花の蜜を吸って遊んでいた私が、生まれて初めて見る光景!!あれが芝生、あれがゴルフっていうもんなんや。外国みたい。

その光景が衝撃的過ぎて、他の事、なーんにも覚えていません。

公子さん一家もその頃に一度だけ、田舎の我が家に泊りがけで来られたことがあります。公子さんのご主人が、何のためらいもなく上座にストンと座ったので、これまた子供だった私には超衝撃。自分の家の茶の間だけど、私は一度も座ったことがない、父だって座ったことがない上座。祖父以外の人が座ったのを初めて見ました。祖母が「都会の人の家は、上座とか下座がないからわかれへんのや」と言ったのは覚えているけど、これも衝撃的過ぎて、他のこと何にも覚えていない(笑)。

 

 

二十歳のころ、母が公子さんの家に行くと言うので、なぜか私も行くことになりました。午前中に公子さんの家に集合です。午前中に。

11時までに着いたらいいかな・・・と思っていたのに、私が着いたのは長針と短針が12で重なる直前。ギリギリ午前中だ!と思ったけど「まぁ!みっちゃん(母のこと)の娘かとあろう人が・・・」と叱られてしまいました。公子さんは、友達の娘にも情け容赦なく厳しい人なのでした。母に言わせれば「それが公ちゃん」。あれもこれも、ズバズバ斬る斬る。

子供の時、あれほど衝撃的だった公子さんの家は、記憶よりずっとずっと小さくて、芝生も所々はげていて、ここでゴルフクラブ振り回したら危なくない?と思うくらいのスペースしかないんです。あれ?と思いましたが、高校生のお嬢さんの手作りのアイスクリームが出てくるという衝撃。アイスクリームって、家で作るもんなんや・・・。やっぱり、公子さんの家は違う・・・。

そのころから公子さんはリュウマチの症状が出て家事がやりづらくなり、ずっと籐の大きな椅子に座ったままで、お茶の用意などはお嬢さんやご主人の仕事になっていました。なので、叱られているとき、公子さんの椅子の前で正座の私。マンガに出てくる叱られている図そのまんま(笑)。

達筆だったのに、リウマチがひどくなると年賀状や手紙も書けなくなり、何年か後に自宅で家族に看取られて亡くなられたそうです。お見舞いはすべて断り、葬儀も家族だけ。49日が過ぎたころ、母宛てに家族連名で葉書が来たそうです。「公ちゃんが死んじまった」と言いながら、ちらっと見せてくれましたが、亡くなる一週間前に詠んだという歌が書かれていました。全然覚えていないのですが、名もない一輪の花がポトリと落ちるとき私の命もおわります・・・と言うような感じの歌だったと思います。

カッコよすぎるわ、公子さん。

 

 ネットで調べ物をしていたら、たまたまモニターの端の方に女史って言葉を見かけ、公子さんのことを思い出したので書いてみました

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