人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

ミイラの話

2005年12月30日 | ただの雑談
全然知らなかった。国立科学博物館の「みどり館」が2003年に閉鎖されていたなんて!年1ペースで足を運んでいると思っていたが、気が付いたら2年以上行ってなかったらしい…。いままで何度行ったか分からないが、現在では「メモリアル」と称してオフィシャルHP内でバーチャル展示がされているのみである。もちろん他のフロアはどうでもよく、ぼくのお目当ては4階「地学・人類展示」のみ。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/past_parmanent/midori/4f/exhibition.html
リンク先をご覧いただくと、右側に館内4Fの地図が表示され、現在地が赤色で示される。下のほうにあるアイコンをクリックすると、あたかも館内を歩いて回っているかのように館内地図の現在地が次々と変わっていき、各種の展示をバーチャルで体験できる仕組みだ。
もちろんこの中で用があるのは、地図でいう右下部分の展示のみ。人骨オンパレード。脳内のアドレナリン量が異常値になってしまうことは隠しきれない。日本人の頭骨の変化も「中世以降の短頭化」までザッと解説されている。しかし残念なことにこのバーチャル展示では、往時の実際の展示のうち幾つかを再現しきれていないので、ぼくがここで補うこととしたい。
まずリンク先の下のほうに2行に及ぶアイコンの、一番右下(埴輪マーク?)をクリック。場所も赤で示される。ここの展示の詳細を見ていただくと、骨をクリックすればフラッシュで説明が表示されるだろう。しかし、真ん中左側にある「奥州藤原三代のミイラ」については何故何も説明がでないのだ?!このバーチャル展示を作った人はとんでもない欠陥工事ですよ!強度偽装問題ですよこれは!え、「弱い自分がいた」んですか?とにかくぼくが補強するよ。
ここに置かれている奥州藤原三代のミイラは、ぼくの記憶が正しければ左から初代藤原清衡、三代藤原秀衡、二代藤原基衡の順である。しかしこれらは実物でなく、自信なさげに(レプリカ)と書いてあった。ここにおかれているのはミイラの頭部のレプリカなわけで、実物は首だけじゃなくてちゃんと全身で出てきた。昭和25年中尊寺金色堂の仏壇の下から発見されたものである。(※後日註:発見されたのはスゲー昔の江戸時代とかであって、昭和25年に初めて学術調査がはいったものらしい。)特に秀衡はかなり恰幅が良かったことを裏付けるでっぷりした下あごが見もの。
以下は発見調査時に実際の人類学調査を行った鈴木尚先生
http://www.athome.co.jp/academy/anthropology/ant01.html
の著作からの知識であるが、中尊寺からはもう一つミイラが出ているそうだ。それが「藤原忠衡」と伝えられる、首だけのミイラである。忠衡というのは、三代秀衡の子で四代藤原泰衡の弟。しかし実際はこの首のミイラは、頼朝によって滅ぼされた四代泰衡本人のものではないかと考えられるという。ちょうどこの辺りは今年の大河ドラマ「義経」でやっていたのでホットな話題かもしれない(ちなみにぼくは見ていない)。というのも、殺された泰衡の首は鎌倉へ送られ、酷いことに額を釘で打ち抜いて木に釘付け、高々と晒されたという記述が吾妻鏡にあるのだが、まさにその通りのぽっかり空いた穴がこの首のミイラの額に見られるというのだ。誰がどうやってその首を平泉まで持ち帰ったのかは謎であるが、とにかく別人のものとして中尊寺に伝えられていた。鎌倉幕府に背いた謀反人と扱われる泰衡よりも、兄と対立し討たれた忠衡のものと伝えた方が都合が良かったのだろう。自ら手にかけた実弟の名に守られて現代まで残された兄泰衡の首、奇妙な運命のめぐり合わせである。
泰衡は平泉にて頼朝軍と交戦中、家臣の裏切りによって殺され、その首を頼朝へ送られたそうだ。三代までのミイラが自然死のそれであるのに対して、他殺体である泰衡の首のミイラにはその最期を如実に語る痛々しい傷跡がのこされている。顔面には正面から斬られたと思われる刀傷が2箇所。片方の耳は千切れ頬に垂れ下がる状態であったという。家臣の裏切りによって突然斬り付けられた時のものであろう。そして頚骨には斬首された際の傷跡が3本。鈴木尚氏はあくまで人類学者であるから、ここで能天気にそのシーンを想像して書いてくれていた。「おそらく自らを裏切った臣下の面前に据えられ、その不忠を罵りながら斬首されたものであろう…」みたく。
斬首の太刀筋、1本目はなんと不発。ゾゾォーッ…。2本目も不発ながら、横に逸れた刀傷から確実に頚動脈をかき切ったことが分かり、ここで絶命。3本目はギコギコと切り落としたものであろう。そして頼朝の許へ送られたのち京だか鎌倉だかで晒された際の釘の穴…。奥州三代ってよくいうけど、ぼくはここまで含めて奥州四代って言って欲しいと思います。栄華の影に必ず滅亡あり、合唱、じゃない合掌…。
ということで博物館には無いものの話ばかりしてしまったが、ここで博物館に戻ろう。もういちどバーチャル展示室に戻っていただき、下のほうのアイコンを見てもらいたい。ひとつドクロマークがあるのでこれをクリック。縄文時代の母子?の骨が現れる。ここで右側の地図に目を移してもらいたい。赤色で示される現在地をご覧いただきながら想像してもらいたいと思うのだが、これは島状にポツンと置かれたガラスケースを真上から覗いて見学するというものであったのだ。よって写真の2対の人骨はガラスケースを真上から見下ろした図だと思って欲しい。もう一度右側の地図を見てもらいたい。赤色の現在地の、下隣に、もう一つ同様の展示ガラスケースがあるのがお分かりいただけるだろうか。このガラスケースには確かに「あるもの」があった。
ところがである。このバーチャル展示室最大の問題はこれである。設計者の意図によるものなのかどうかは分からないが、このガラスケースについて一切触れられていないのである。どのアイコンをクリックして、このガラスケースは「赤色で現在地表示」がされないではないか!つまり一切その姿を見ることも出来なければ、まるであれは無かったことにしてくださいと言わんばかりに完全に抹殺されてしまっている。これはとんでもない欠陥ですぞ!「弱い自分」なんて言い訳は通用しない、許しがたい隠蔽行為!藤原泰衡の首の話は、そもそも科博には無いものの話であるから単なるウンチクであるが、ここに確かに存在していたものを無視するわけにはいかないッ!このぼくがさせないッ!
ここにあったのは、女性と嬰児の全身ミイラ。女性の大事なところは布で隠されており、嬰児は頭蓋骨ムキダシだったのをよく記憶している。そして同じケース内に首狩り族による干し首が数点飾られていたのだ。干し首は何故か口が糸で縫って結ばれていたのを記憶している。いずれも南米からの舶来品であり、この部屋の他の展示が日本史に関係することを考えると何故ここに?という感があるが、ぼくは小さいとき父に連れられて初めてこれを見て以来、もう病みつきになってしまっていた。人骨少年のハートをガッチリ掴んで話さない、第二のマザーがここにいた。しかし母さん、あなたともう会えないなんて!
最近の風潮では「ミイラを見世物的に展示するのは宜しくない」なんて意見もあるそうだ。まさにあれは見世物でした。だけどその見世物に心奪われた少年少女はぼくだけではなかったっだろう。ミイラや干し首はぼくにロマンと夢を与えてくれた。それがお役御免になったばかりか、何ら今までの労をねぎらわれることも無く「メモリアル」からも割愛されるなんて。ぼくは全国1400万とも2800万とも言われるミイラ少年ミイラ少女を代表して、彼らに心からお疲れ様でしたと言いたい。今までありがとう。
そこでこう思いついたわけです。科博さん、是非ぼくを使ってください。ぼくが死んだら、ミイラでも骨でも良いから、「現代人男性の標本」としてここに展示してください。(レプリカ)なんて書かないで、堂々と「ホンモノ」と書いて下さい。そしてここを訪れる少年少女たちの心の父親になりたい。
ウソです。
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4 コメント

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Unknown (ご同輩)
2016-06-24 21:03:31
いや~~、すごく懐かしかった!!
私も藤原三代のミイラや干し首を子供時代に見ていた者です。あのミイラが本物だったか複製だったか調べていてこちらにたどり着きました。

よく詳しく記憶しておられますね~~!!感動でした。
また文章がすごく面白い・・・・。

ミイラ少女だったのかどうか、その後発掘の仕事に10年ほど携わり、都内某所で古代の白骨の発掘などもしていました。(笑)

ちなみに新設になった科博の日本館のメイン展示になった女性の200年前のミイラは、以前私がいた会社で発掘したものです。出た時はほぼ半生状態で、周囲1キロに渡って匂いが漂ったのだそうで、「香るさん」と呼ばれていたようです。その後非常に珍しいと言うことで科博に運ばれ、空気に触れて保存されることで、現在の様なミイラ状態になった模様です。

いや~~、すてきな記事、ありがとうございました!!!
> Unknown (ご同輩さま) (人骨)
2016-10-30 17:59:11
こんばんわ。ミイラ少女には初めてお目にかかります。
新設の日本人女性ミイラは既に見ました、写真を撮らないでください的な微妙な展示コメントが気になりましたが、みんなスマホでバシバシ撮りまくっていましたね。
またミイラや人骨を発見したら教えてください。
Unknown (カハク)
2020-01-12 11:48:50
いま開催中のミイラ展でこの女性と子供とほし首が展示されてますよー
またお会いできましたね、とご挨拶してきました
> カハクさま (人骨)
2020-01-12 20:59:57
モチロンすでに再会をしてきました!当時以上に詳細な、この博物館に来た経緯や、ニュースとして新聞掲載記事のコピーなどまで掲載されていました。ミイラ展、必見でございます!
ちなみに小6の娘と2人で行ってきました。ミイラ女子育成に余念がありません。

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