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金正恩の両親(金正日&高英姫)が、恋愛中によく聞いていた沈守峰の그때 그 사람(クッテクッサラム)

2016-10-29 07:42:23 | 韓国旅行

金正恩の両親(金正日&高英姫)が、恋愛中によく聞いていた沈守峰(심수봉)그때 그 사람(クッテクッサラム・その時、その人)。

 

歌手:심수봉 (沈守峰)

그때 그사람 -(심수봉)

비가 오면 생각나는 그 사람

언제나 말이 없던 그 사람

사랑의 괴로움을 몰래 감추고

떠난 사람 못 잊어서 울던 그 사람

그 어느 날 차안에서 내게 물었지

세상에서 제일 슬픈 게 뭐냐고

사랑보다 더 슬픈 건 정이라며

고개를 떨구던 그때 그 사람

외로운 병실에서 기타를 쳐주고

위로하며 다정했던 사랑 한사람

안녕이란 단 한마디 말도 없이

지금은 어디에서 행복할까

어쩌다 한번쯤은 생각해줄까

지금도 보고 싶은 그때 그 사람

외로운 내 가슴에 살며시 다가와서

언제라도 감싸주던 다정했던 사람

그러니까 미워하면 안 되겠지

다시는 생각해도 안 되겠지

철없이 사랑인줄 알았었네

그제는 잊어야할 그때 그 사람

잊어야할 그때 그 사람

이제는 잊어야할 그때 그 사람

 

金正日の専属料理人だった藤本健二氏によると、金正恩(キム・ジョンウン)の母親・高英姫(コ・ヨンヒ)と金正日と恋愛中の出来事として、金正日のベンツでドライブに出かけた二人は、車の中で、韓国の歌を夜が明けるまで聞き続けたそうだ。

そして、高英姫はその思い出の歌を歌ってくれたそうだ

沈守峰(심수봉)『그때 그 사람(クッテクッサラム・その時、その人)』とてもロマンチックな歌だ。


   

藤本健二氏によると、『金正日夫人の高英姫は、本当に美人である。日本の女優にたとえると、“若い日の原節子“といったところか。金正日は、よく日本映画を見たあとで、「日本で一番きれいな女優は吉永小百合だ」と、言っていた。その吉永小百合に高英姫はよく似ている。』とのことである。

 

 

 沈守峰(심수봉)は、朴正煕大統領暗殺事件の時、晩さん会に同席していた歌手である。

以下のニュースは 朝日新聞が単独インタビューし 5回掲載の内容を 朝鮮日報にまとめられたものであります。

 

朴正煕大統領暗殺秘話を公開

歌手・沈守峰(シム・スボン)さん(51)のインタビューが、朝日新聞に「無窮花(ムグンファ)の女‐歌手・沈守峰の半生」という見出しで5回(10月25日から31日)にわたって掲載された。
沈守峰氏が日本のマスコミとインタビューを行うのは今回が初めて。

沈守峰さんはこのインタビューで、1979年10月26日に起きた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件のショックから抜け出し発表した新曲「無窮花」が、朴大統領を連想させるという理由で禁止曲に指定されたことについて語り、「わたしの歌の中で、“無窮花”は唯一政治的な曲といえる。だが、だからといって全斗煥(チョン・ドゥファン/朴正煕暗殺後、ほどなくしてクーデターで実権を掌握し、80年に大統領に就任)政権に抵抗したわけではない」とし、曲を制作した経緯について明らかにした。

「朴大統領の暗殺直後、取り調べを受け、放送出演を禁止され、心の整理がつかずに朴大統領の墓にお参りした。
そのころ子供が生まれ、我が子の顔を見ながら“この子は幸せなのだろうか”と考えた。
外では絶え間なく民主化を求めるデモが繰り広げられていた。
咲く前に散る花もある。当時の社会は希望と絶望が交差していた。
そのとき、韓国の国花・無窮花が思い浮かんだ。
咲いては散り、そしてまた何度も咲く花を…」

沈守峰さんは朴大統領の晩餐に3回出席したことがあるという。
中学生のころ、初恋だった家庭教師からもらった日本の歌手・美空ひばりのレコードで日本の歌に馴染み、これが朴大統領と面識を持つきっかけになったと明かした。

その経緯は「高校卒業後、レストランでピアノの演奏をしていたとき、“ある特別なパーティー”で代役として美空ひばりの歌を歌ったところ、ちょうどそのパーティーに出席していた朴鍾圭(パク・チョンギュ)大統領警護室長に気に入られた。
それがきっかけとなり、大統領の晩餐の席に呼ばれるようになった」というものだ。

沈守峰さんは「初めて見た朴大統領は意外に老けて見えた。
わたしが“涙に濡れた豆満江”、“皇城旧跡”を歌うと涙を流していた。
そして美空ひばりの“悲しい酒”を歌うと、朴大統領は目を大きく開いて“誰が日本の子を呼んだんだ?君は日本人か?”と言いながら、とても上機嫌な様子だった」と語った。

沈守峰さんは自作曲「あの時のあの人」で1978年のMBC大学歌謡祭に出場し、歌手デビューの夢を果たしたことも、朴大統領の称賛を受けたことがきっかけだったと話した。

沈守峰さんはインタビューの中であえて政治の話は避けつつも「今では朴大統領を非難する人の気持ちも分かる。
国民を生活苦から救った功績はあるが、精神の自由を抹殺したということを。
現在は“理念が第一、生活は第二”に価値観が変わったのかもしれない」と慎重に語った。

また、朴大統領の娘・朴槿恵(パク・クンヘ)前ハンナラ党代表が今年5月に襲撃を受けた際には、悲運に倒れた陸英修(ユク・ヨンス)女史(朴大統領夫人)と朴大統領の2人を思い出し、心の中で朴槿恵前代表に「もう政治はやめて欲しい」と叫んだという。

沈守峰さんは 韓国内での自身に対する評価について、「ある人はわたしのことを“守旧派”または“親日派”と言い、またある人は“無窮花”が学生運動で歌われたことで“進歩的”とか“民族派”などと言うが、わたしはどちらでもなく、音楽は理念を超えるものだ」と語った。
そして「わたしは日本の歌、特に演歌を好むが、日本に親しみを持つ人々を親日派と罵ることについては疑問を感じる」とも述べた。

このほかに沈守峰さんは、朴大統領暗殺当日の宮井洞の晩餐会場で、夕方7時のテレビニュースに国会議員を除名された金泳三(キム・ヨンサム)新民党総裁(当時)の顔が映ると、朴大統領が「政治家でもないやつが…」とつぶやいたという事実や、事件直後に情報機関の地下室で取り調べを受けた際、全斗煥合同捜査本部長(当時)が現れ、「あなたは大したものだ。男たちは皆逃げてしまったのに、勇気を出して現場に残っていた」と褒めながら、「これで栄養剤でも買いなさい」と小遣いまでくれたという秘話も明かした。

また、放送出演を禁止され、生活が苦しかったころ、朴泰俊(パク・テジュン)元首相が米を送ってくれたり、パーティーに呼んで歌を歌わせてくれたりと、様々な支援を受けたという話も打ち明けた。

朝鮮日報 2006/11/02

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