よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

坂の上の雲を鯨が

2009年11月30日 | Weblog
NHKで、坂の上の雲が始まった。

 第1話で、秋山兄弟と正岡子規は松山を離れてしまう。 その後の話の展開からすれば、それくらいのボリュームになっても仕方ないのかもしれないが、あっけなくて、親の身になるとやってられない。 子役がなかなか魅力的なので、なおさら。

 あんなに可愛い子らが、東京に出て、日本を動かしていく。 その前日に、山本寛斎氏のパフォーマンス「太陽の船」を観た。 http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=100994037

 みんなの夢を乗せた「太陽の船」。
むくむくと膨らむ気球が、命を帯びて空に起き上がる。 ひとたびロープを放したら、天中高く舞い上がるに違いない。

子どもの成長とは、こういう勢いのものだったに違いない。
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坂の上の下り坂

2009年11月23日 | Weblog
土曜日、五台山の竹林寺まで歩きました。登るときは護国神社の脇から
の参道を。おおかたは石を積んだ坂道ですが、場所によっては幅が一間
半ほどもあります。高貴な人が籠でこの道を上ったのかもしれません。

うっそうと木々に囲まれた枯葉の道を、一人さくさく歩くのですが、
いったい今までどれだけたくさんの人がここを歩いたろう、これから誰
か同じ道をあるくだろうか。しんとしていて、何か気配がするような。

その夜、NHK-BSハイビジョンで数学の「リーマン予想」について
の番組を見ました。こちらは「素数の階段」の怪談のような話。のぼっ
てのぼって、ありゃま量子物理学。(今夜の放送は「ポアンカレ予想」
ですって。)どこまで行くんや、この道は。
http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/

日曜日、誘われて「尺八おさらい会」に行きました。舞台に上がる演奏
者の方が観客より多い。さらわれる、から「おさらい会」かしら、と不
安に。

演奏者より少ない観客のためのていねいな「曲目解説」によれば、尺八
という楽器は江戸時代には禅宗の一派普化宗の虚無僧が吹くもので、尺
八の古曲は禅的な心象を現したものであったようです。与作は木を伐
り、虚無は竹を吹く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/尺八

知り合いの演奏が始ると、大丈夫かしら、音が出ないんじゃないかとそ
わそわ心配になり、終わるとやれやれと安堵します。オギャーと泣い
て、息を吐ききる、一息の間のいのち。聴く方にも精神修養を迫る「お
さらい会」。来年もするんですって。茫たる不安、とはこれか。

それとも、不安彼予想。
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五台山散歩

2009年11月21日 | Weblog
土曜の朝、実家の裏山、五台山を散歩しました。

湧き水の独鈷水が勢いよく、管からあふれ出ていました。



その後、五台山の山頂には竹林寺という四国八十八箇所の札所があり、その昔の参道をゆっくり歩き登りました。

人は誰も通りません。

場所によっては道幅がかなり広い部分もあり、昔はたくさんの人が往来したはずです。

山があって、湧き水があって、お寺があって、人が集まって、
南無阿弥陀仏、、、か。

なんのことやら。
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大卒内定率62%、氷河期超す下げ幅

2009年11月20日 | Weblog
の、ニュース。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20091119-OYT8T00726.htm

うちの子も氷河期か、とため息ついていたら、
今日になって本人から「内定もらった」と電話。

よかった。

これで「学校」は卒業。
これからは「社会人」。

親子で新しいステージ。

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人は二度死ぬ 山城新伍は、、、

2009年11月14日 | Weblog
人は二度死ぬ、とは法事の時、浄土宗の坊さまから聞きました。

身体が死んだときと、人々の記憶から消えたとき、人は二度死ぬそうです。

山城新伍氏の場合、病気をして人前から姿を消した時点で「一度死んだ」のかもしれません。

人から忘れられ、一人死んで行く。
そのような死に方が、「孤独死」という言葉と、ぼやけかさなり。

じゃあ、身体は死んでも、二度死なせないためには、忘れなければいいということになり、こちらが死ねないことになり、、、。



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情報の中近遠

2009年11月10日 | Weblog
インターネットや携帯電話は便利で、あったことのない人がたったいま何をしているか、何を考えているか知ることが出来る。

Twitter やら Facebook やら。

地球の裏側に居たって知らされる。

テレビを点けたら、見たくもない話題やお笑いばかり。
悲しくて動画検索をし深夜、昔に帰り、枝雀や志ん朝の噺を聞く。

ところが今、隣に住んでいる人のことはからきしわからない。

インターネットや携帯電話を持っている、自分の子どもたちもどこで何をしているかさっぱりわからない。

本当に知りたいことわかりたいことは、近くにあっても、すごく遠く感じられるのかもしれない。

阿呆や。

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