寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

名脇役のスナップエンドウ

2014年04月30日 | 食材
春野菜の代表格とも言えるスナップエンドウ。茹でると一層緑が鮮やかになり肉料理などの付け合わせとして重宝する。私はサラダの一材料としてよく使っている。

今日は新玉ネギを入れたポテトサラダの横に飾ってみた。甘みが強いサクサクの食感のエンドウは口直しに丁度いい。メインを引き立てる脇役が私は大好きだ。

ポテサラ

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総社市駅前1丁目・旧天満屋ハピータウン及び総社国際ホテルの解体工事 

2014年04月30日 | 
金粹食堂(駅前1丁目7‐4)の角を曲がり北へ向かう。道路右手、西総社公会堂(同7‐8)の背後(東側)の大きな建物が取り壊されていた。

道路

立ち話をしていた地元のお母さん方にビルの名前を尋ねたところ、「天満屋があった所ですよ」と教えてくれた。ハピータウン総社駅前店は昭和48年12月に開店し平成8年2月に営業を終了した。同じ建物内にあった総社国際ホテルと共に長い間放置されていたという話である

解体工事現場

私は「閉店が決まった福山市緑町の天満屋ハピータウンも同様になるのかな」と呟き跡地に出来るかもしれぬマンション群を少しだけ想像してみたのである。解体工事は昨年中に終了し現在は更地となっている。

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甘みの強い新玉ネギスライス

2014年04月30日 | 食材
春は魚介だけでなく野菜も美味しい時期だ。新玉ネギが出回ると私は必ずと言っていいほど薄切りにする。水に晒すかどうかは気分次第で決める(辛味が好きな人は省いてもOK)。削り鰹を振って自家製ポン酢をかけたものは丼一杯でも食べられそうだ。生の玉ネギの甘さと美味しさにはびっくりする。

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総社市の中心部を流れる東川水路(農業用水路)

2014年04月29日 | 
総社1丁目10‐28のお宅の前に建つ「史跡探訪 松山往来筋」の石柱。側面に「是より東へ田町 北へ門田」の刻銘あり。

松山往来筋を示す石柱

ヒゲ題目

往来をしばらく西へ進む。私は塀に囲まれた空き地に南無妙法蓮華経のヒゲ題目を見付けた(中央2丁目20‐2の隣、向かいが山陽設計の総社営業所)。脇の石灯籠は明治四十一年製だが、供養塔の方はどう見ても江戸期のものだろう。

住友生命前の説明板

住友生命保険相互会社岡山支社新総社支所(駅前1丁目6‐43)前を流れる東川水路。源流は高梁川で数ヶ所の分水ポイントを経て市の中心部へと広がっている。福山市の芦田川同様に総社では高梁川が母なる川なのである。川の水は畑の作物を実らせる他に庶民の文化的生活を維持するためにも重要であった。

東川用水

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福山市千田町大字薮路・天神坂馬供養碑

2014年04月29日 | 郷土史
赤血谷から峠に下りた私は市内(旧松永エリア)にもっと強烈な地名が存在することを思い起こした。羽原川上流に「血吹地」という場所を発見した時には背筋が寒くなったものだ。血を含む地名には御仕置場や古戦場の言い伝えが残っている例が非常に多いのである。

ヒゲ題目

北美台から千田町大字薮路にかけての坂道を「薮路大峠」といい、かつては城下から横尾方面に抜ける主要な街道であった。旧村境付近に南無妙法蓮華経のヒゲ題目があり、そこから先は緩やかな下りが続く。「天保十三壬寅正月…」の文字が刻まれた石塔は赤間(現下関市)の人が建立したものである。

薮路大峠

にごり池

坂から平地に変わった先にフェンスで囲まれたにごり池が見える。池のすぐ近くの山裾には2つの石造物が祀られ、傍らに説明板が立つ。仏さんの隣の小さな石(可愛い馬が彫り込まれている)は過酷な荷運び中などに息絶えた馬を供養したものという。

千田薮路天神坂馬供養碑

当時斃牛馬の捨て場(草場とか旦那場と称した)は明確に定められており、農民が勝手に処分することは許されなかった。遺骸の回収場所が当地かどうかは不明だが、江戸期の庶民の暮らしぶりや資源リサイクルを理解する上で重要な文化財と言えよう。

説明板

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雨で始まった昭和の日

2014年04月29日 | 日記
4月29日に家族でイベントや旅行に出掛ける人は多いと思う。私も外出するつもりだったが、ぐずついた天気ゆえに予定変更も考えている。しかし、小雨が似合う観光地(岩国錦帯橋)もある。錦川沿いの割烹で地酒を飲みながらくつろぐのはある意味贅沢と言えよう。

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総社市総社1丁目11・豪商西戎屋跡

2014年04月28日 | 
田町小公園の少し先、総社1丁目11‐48のお宅周辺が豪商西戎屋の跡で史跡探訪の石柱が設置されている。この界隈を東田町という。

豪商西戎屋跡の石柱(拡大)

豪商西戎屋跡の石柱

西戎屋は本町の戎屋の分家にあたり酒造業などを営んで相当に栄えた時期もあった。石柱から西へ約20m、通りの南側に小祠がある。

松山往来沿いの小祠

神社名は不明だが、東を向いている。多分昔からあるものだろう。駅方面へ向かう私は松山往来でもう一本石柱を見つけた。

松山往来

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エディオン福山本店新築工事の進捗具合(4月下旬)

2014年04月28日 | 日記
久し振りにエディオン福山本店新築工事現場の前を通りかかった。西側入口には錢高組作業所の郵便ポストが設置されており住所は入船町1丁目80と書いてあった。

工事現場入口

工事現場

まだこちらからは福山東警察署が見える。続いて歩道橋の方へ移動すると鉄筋がかなり組み上がっていた。工事は相当のハイペースで進んでいるのだ。

鉄筋

歩道橋の上から南西方向を望むと本店の大まかな骨格が分かる。夏頃には周辺の景観がガラリと変わっていることであろう。市中心部の動きを定期的に観察するのは本当に面白い。

鉄筋2

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野菜をたっぷり仕込んだ和風ハンバーグ

2014年04月28日 | 家飯
私はやわらかいだけのハンバーグにはあまり興味がない。自作する場合はひき肉の中にたっぷりの刻み野菜(炒めて冷ましたもの)を加える。今回は筍・ピーマン・玉ネギを使用した。

肉団子風ハンバーグと称すべきシロモノは適度な歯応えがあって複雑な味わいである。肉よりも野菜をたくさん摂りたい(または摂る必要がある)人におすすめしたい一品だ。

肉団子風ハンバーグ

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総社市総社1丁目5・大邸宅前の六枚橋小公園

2014年04月27日 | 
総社1丁目5‐1の大邸宅、和風建築・洋館共に目を奪われるほどの立派さである。門前に六枚橋の親柱が残されている。

六枚橋

まちかど郷土館長の話では以前周辺は水が流れていたそうだ。用水路を暗渠化(あるいは埋め立て?)した理由は狭い道幅を有効に使うためだろう。車時代の到来は街道沿いの様子を若干変えたのである。

大邸宅の蔵

蔵の前には「街なみ環境整備事業 六枚橋小公園」の石柱が建ち観光客も小休憩できるスペースが設けられている。この場所で写真を撮る人も多いと聞く。石柱の北側に位置する建物は一風変わった形状だった。

大邸宅の向かい(北側)の建物

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福山市の赤血谷伝説(後編)

2014年04月27日 | 郷土史
木之庄と吉津の村境にあったという石鎚神社の残骸を確認できず諦めかけて帰ろうとした時、偶然私は奇妙な姿をした石仏を見つけた。場所は韜光寺墓地の北端辺り、住所は木之庄町6丁目(北吉津町3丁目との境界近く)と思われる。

石鎚神社の残骸

石鎚大権現

片足を上げているのが金剛蔵王権現である。おそらく祠の中にあったもので今でも関係者(土地所有者か?)が祀っているようだ。赤血谷に関する伝聞の真偽は不明だが、藩政時代の御仕置場(斬首・火あぶり・磔・獄門が行われた)の位置を考えると興味深い脚色話ではある。

 赤谷という地名がある。ここに妙齢の美女が住んでおり、…近隣の者はその容姿に心を奪われる日々が続いた。ところがその美しさが人の口に上ると、やがて噂となって城中奥深く迄語られることとなった。やがて殿様の耳にも聞え、殿様も娘に思いを寄せるところとなった。募る思いは第二夫人にという願望となり、人を送っての懇願の仕儀となったが、親は悲しみ、娘は嘆き、幸福な結婚を願って、頑強に奥に上がることを拒んだ。拒まれれば尚慕情はいやまし、とうとう慕情は憎悪に変わって「我が意に逆らう者」と、彼女をこの谷間にひき出して斬殺してしまった。赤い鮮血は、しぶきとなって谷を染めた。以後土地の人はこの谷を赤い血に染まった谷、赤血谷と呼ぶようになったという。

 赤血谷は年を経るにつれていつのまにか、いまわしい血の字を避けて赤谷と名を変えたらしい。今三津木山と教可堂の丘の中間からRCCのテレビ塔に至る谷あいを「赤谷」と呼んでいる。時代は何時頃のことか、殿様というから江戸期の話かも知れない。…

『いとしき故郷 ‐本庄・木之庄・北吉津‐ / 鎌田一(平成四年)』

墓地周辺の地図

露骨な営利活動とは無縁の聡明な郷土史研究家に「黒歴史との絡みを臭わせますなー」と私が話を振ると彼は「推して知るべし」と言ってニヤリとした。そして暫くの間沈黙が続いたのである。

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筍入りミートソース・スパゲッティ

2014年04月27日 | 家飯
筍料理(和食)に飽きてくると中華やイタリアンに切り替える。筍は肉と一緒に炒めたり煮込んでも実力を発揮する。冷凍しておいたミートソースを溶かして賽の目にカットしたボイル筍を投入。茹であげたスパゲッティを皿に盛り中央にソースをかける(バターとパルメザンチーズを加えてコクを出してもよい)。フォークではなく箸を使って混ぜて食べるのが私流だ。

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総社市総社1丁目14・旧八田部村の豪商元戎屋跡

2014年04月26日 | 
松山往来の本町筋、現住所:総社1丁目14‐20のお宅の前に「頼山陽来遊の元夷屋跡」を示す石柱が建っている。道の向かい(南)が「肉の三協(同4‐15)」だ。

元戎屋跡

旧賀陽郡八田部村の豪商元戎屋・亀山徳右衛門道本(号は北翁)は頼山陽と親交があった人物。郷土の偉人・雪舟の碑を宝福寺へ建立することを念願し、師の国学者・藤井高尚(たかなお)に撰文を依頼し、頼山陽に揮毫してもらった。ただし、碑が完成するまでには相当の年月が流れている。

お茶屋

石碑から西へ約50mの地点に白壁の美しい「井上老松園(同14‐26)」がある。「瓊乃柚(たまのゆ)」という小洒落た和菓子で有名な店だ。

カルチャーセンター

菓子屋の隣が総社カルチャーセンター(同14‐1)。この対面に位置する「かめや呉服店(同4‐8)」はモルタル建築と思われる。昭和30年頃の総社商店街絵図ではセンターの場所が総社郵便局建設予定地となっていたが、真相はどうなのだろうか?

呉服店

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福山市の赤血谷伝説(中編)

2014年04月26日 | 郷土史
小さな石材店事務所の前(木之庄町6丁目11‐3)を通過し更に下りると墓苑の駐車場がある。駐車場から林の中に入っていく。韜光寺境内から山頂辺りまで墓地が続いているという話は本当だった。

墓園


 木之庄焼は、赤かっ色の外観が、備前焼によく似ているため、これまで大抵「備前焼」で通用していた。市教委が、福山市木之庄町(旧木之庄と吉津の村境)にある窯跡を、四十五年十二月発掘調査、出土したとっくりの破片を調べたところ、焼き上がりが硬くしまった感じで、陶土に砂粒を少量含み、光沢があるなど備前焼と違った特徴を持っていることがわかったとある。
 …ここは村境にあり、境界を示すために、山の立ち木をもってした。山の頂上に今も松の大木が残っており、その下にかつて石鎚神社があったが、いまは残骸を残しているのみである。 

『いとしき故郷 ‐本庄・木之庄・北吉津‐ / 鎌田一(平成四年)』

RCC福山放送局

鎌田さんの説明と昭和30年代の住宅地図を頼りに私はしばらく山の中を歩き回った。地図では石鎚神社が北美台の「中国放送(RCC)福山放送局」の下(南)側に位置しているのだ。北美台の区画が完成した頃(※高美台の造成は未着手)までは神社は存在したようである。それから数年後(昭和40年)の地図で既に神社は消えていた。

昭和30年代の住宅地図

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味の逸品ぬれ小餅(秋田いなふく米菓)

2014年04月26日 | 食材
日本には面白いお菓子があるものだ。レンジで温めて食べてもよい米菓。製品は1つずつ小袋包装となっている。

小袋

小袋から取り出して15秒ほど加熱すると砂糖醤油をつけた焼き餅のようになる。おかきと焼き餅の中間程度のしっとりとした食感でなかなか旨い。ぬれ煎餅の進化形とも言えよう。

レンジで加熱

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