寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

旧福山港(内港)跡を巡る(その5)

2013年05月31日 | 郷土史
広島県道260号と一方通行の道が交わる所が四ツ樋交差点となる。私が松浜ポンプ場の上から眺めた橋は「よつひばし」であった。

広島県道260号・四ツ樋交差点

広島県道260号・四ツ樋橋

 堰閘
閘四 四ツ樋ト云松カ端ニアリ潮汐進退ニシタカイ開闔シテ水ヲヌク凡塡海所ノ堤ニアルモノミナ同シ

『山志料 深津郡野上村』

道路を東(入江大橋南詰方面)に向かってすぐ右手に川口新四国八十八カ所・第十番の石仏が祀られている(東川口町2丁目1‐1)。昔この界隈では暗い印象を受けたものだが、大分雰囲気が改善された。これは東川口町から港町2丁目へ抜ける道路が完成し福山市立大学が開学したことが大きい。

川口新四国八十八カ所・第十番石仏

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そら豆とベーコンのパスタ 

2013年05月31日 | 家飯
そら豆は鮮度が命。鞘むき後、すぐに塩ゆでにして冷凍しておくと非常に便利である(味はさほど落ちない)。解凍したそら豆とアスパラとベーコンをオーリブオイルで炒めて(茹で汁をお玉半杯加えて)パスタと和えコショウで味を調える。

濃厚な味が好きな人はパルメザンチーズの他にバターを仕上げに追加するとよい。ほろほろと舌の上で崩れるそら豆はしみじみ美味しいと思う。

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三原市・本郷歩道橋から沼田川を望む

2013年05月30日 | 
本郷橋には若草色の歩道橋下流)が併設されている。私は東詰から中ほど近くまで歩いて先ず南方を眺めた。

本郷橋歩道橋東詰より対岸を望む

本郷橋歩道橋より南方(川面)を望む

沼田川の水量は少なく歩いて渡れそうだ。江戸時代、沼田川は徒歩(かち)渡し(増水時や冬季を除く)であった。旅人は草鞋を脱いで浅瀬をゆっくりと進んだのであろう。私は旧草津川(廃川)の情景を懐かしく思い起こした。

北の景色は非常に絵になる。左が新高山(にいたかやま)、右が高山。JR山陽本線の車窓からは新高山しか望むことができないので、ここまで歩いて来たのだ。三原に浮城が築かれる前は山城が普通の時代であった。

本郷橋歩道橋より新高山(左)と高山(右)を望む

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旧福山港(内港)跡を巡る(その4)

2013年05月30日 | 郷土史
昭和5年(1930)発行の福山市街地図より松浜町周辺を拡大した。赤丸で囲んだ所が「四ツ樋々門」付近で細い水路(汐廻川)が入江とつながっていることがお分かりになるだろう。

松浜町3丁目1の樋門を望む

一方通行の道から広島県道260号を望む

銘板のあった建物の下が松浜ポンプ場(松浜町3丁目1‐52)で南方には橋が架かっている。水路(川)は東川口町・田治米町方面に延びており、中央公園南側を流れる道三川とも少し先で合流する。

松浜ポンプ場

松浜ポンプ場横から広島県道260号を望む

藩政時代、樋門の辺りは深津郡野上村の一部であった。明治31年深安郡野上村となり大正5年(1916)に福山市が誕生する直前は深安郡福山町字野上松ヶ端と呼ばれていた。菅茶山編纂『福山志料』の深津郡野上村の項には詳しい記述がある。

 溝渠
古川 山溜池ヨリ出テ松カ端ニテ海ニ入ル
蕩 多治米村ヨリ出松カ端ニテ海ニ入ル方言ニ汐廻ト云汐廻ニ二ツアリ一ツハ鹽場ニアリ鹽田ノ間々ヘサシクル潮ヲ引メクラスル溝ナリ一ハ塡海所ノ惡水ヲヌキスツルニ潮サシ入トキ蹔閘ヲ閉テ退潮ヲ待ツソノ間ニ滯ル水ヲタクハフル所ナリミナ防海塘ノ内際ニアリコレ蕩ナリ狹長溝ノ如キモノ又池塘ノ如キモノアリ今此字ヲ用ヒテ波塘ニワカツ

これほど町並みが変わっても基礎の部分はしっかり残っている所が福山の面白さだ。自分の足で歩いて地道に確認していくことが正しい歴史認識につながると思う。自虐史観にとらわれた者達(厚顔無恥の団塊に多い)は見るべきものをあえて無視する。そこを平井隆夫さんはサラリと窘めているのである(笑)。私は川口新四国八十八カ所の第八番と第九番の石仏を眺めて広島県道260号との合流点に向かった。

川口新四国八十八カ所・八番・九番石仏

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三原市・本郷橋東詰近くにある錦山神社・大渡大師堂・常夜灯

2013年05月29日 | 
上市地蔵の南に鎮座する錦山神社。熊本県にある同名の神社は加藤清正公を祀っているが、これはどうなのだろうか。更に南には大渡大師堂が建っている。

大渡大師堂

大師堂の扁額

お堂の扁額を見ると六番大和国壷坂寺と書かれていた。御詠歌「岩をたて水をたゝへてつぼさかのにわの砂と浄土なるらん」を唱えて西国三十三所の第六番札所であることに気付いた。本郷にはミニ霊場があったのかもしれない。

大師堂の中

お堂の中には小さな扇風機まで置かれており地元の人がよく立ち寄るみたいだ。お堂奥の安政四年の文字が刻まれた常夜灯、沼田川を渡った昔の旅人はこれを眺めて宿場町へ入っていったのである。

沼田川左岸土手の常夜灯

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思い出の水餃子

2013年05月29日 | 家飯
私が焼き餃子一辺倒から考えを改めるようになったのは本場の味を知ってからである。NHK福山支局とセブンの間にかつて「天津肉まん(三之丸町4辺り)」という小さな店があり、中国(大陸)出身のおばちゃんが肉まんと水餃子を安い値段で提供していた。

どれも飾り気のない家庭の味で私の口にはあった。『日本人は黒酢が苦手なようね』と言って丸顔の彼女は苦笑していたが、主食としてたくさん食べるのであれば黒酢も決して悪くない。お店は久松台へ移転したと聞く。お盆に帰ってくる、腐れ縁の「策士」に推薦しておこう(笑)

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旧福山港(内港)跡を巡る(その3)

2013年05月28日 | 郷土史
金毘羅大権現灯籠前から一方通行の道路を南東へ進むと大きな水路(旧福山港の名残)が見える。潮が引いた時には写真のようにコンクリートの土台が出現する。

旧福山港跡(川と海との合流点)

右から順に川口新四国八十八カ所・第五番石仏、地神、第六番・第七番石仏

ここがまさに川と海との合流点で福山藩の干拓事業推進の歴史を振り返る上では重要な場所と言えよう。川口新四国八十八カ所の石仏が並ぶ間に古い建物がある(福山市松浜町3丁目1‐43)

松浜町3丁目1‐43の建物

鍵のかかった入り口右側の銘板はひどく緑青がふいて判読しにくい状況だが、書かれている文字は「四ツ樋々門」であろう。旧福山市街には今でも数多くの「樋門」が残り交差点の名称としても使用されている。

建物の銘版に書かれた四ツ樋々門

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旧福山港(内港)跡を巡る(その2)

2013年05月28日 | 郷土史
現在金毘羅大権現灯籠は元あった場所から約10m北西の歩道沿いに移動している。昔は見上げていたのが同じ目線になってしまった。

金毘羅大権現灯籠

石灯籠には「明治十三年庚辰八月吉日建之」と刻まれており新町遊廓誕生の5年前に造られたことがわかる。香川の金毘羅さんへ向かう船がこの近くから出ていたと思うと感慨深い。朱の鳥居の愛宮神社そばには川口新四国八十八カ所の札所が2つある。

川口新四国八十八カ所第三番札所

第三番の石仏

寝泊りができる大きなお堂が第三番札所、小さい方が第四番札所だが、お婆さんと話しているうちにこれらも移設されたことを思い出した。幼い頃の記憶では広島県道22号福山鞆線沿い(現リーデンローズ駐車場西ゲート付近)にあった。

川口新四国八十八カ所第四番札所

別の第四番の石仏

彼女は自分の家の隣に「四番の石仏(※ブロック組の祠の中に祀られている)が別にある」ことを教えてくれた。確かに番号がダブるが理由は不明とのこと。こちらの位置は昔のままだ。

参考までに第一番・第二番札所の場所を書いておこう。松浜町1丁目1‐36の共立ビル南側にあり(そこから西側が旧赤線地帯)札所は旧入江南岸から東へと配置されている。

川口新四国八十八カ所・第一番

川口新四国八十八カ所・第二番

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三原市・本郷橋東詰近くにある鳥獣慰霊碑と上市地蔵

2013年05月27日 | 
本郷橋東詰から少し南に下った沼田川土手(広島県道33号瀬野川福富本郷線沿い)には注目すべき石造物がずらりと並んでいる。鳥獣慰霊碑は地元の猟友会が昭和42年に建立したものである。普段意識することはないが、毎日多くの生き物の命をいただいて我々は暮らしている。感謝と供養の意味合いを兼ねた碑に手を合わせた。

鳥獣慰霊碑(背面と側面)

石碑の後ろに赤いよだれかけをつけた上市地蔵が祀られている。本郷宿の東端あたりにあった三界萬霊地蔵尊(下市地蔵)と同じく北向きだ。

上市地蔵(正面)

台座側面に刻まれた「天保十四年癸卯霜月廿四日」の文字。地蔵は170年近くにわたって静かに町の変化を見てきたことになる。「西国街道のヘソを歩く」には「お地蔵さんのうしろに咲くサクラがきれい」との注釈があった。土手の桜を楽しめる時期はとうに過ぎていたのを残念に思う。

上市地蔵(側面)

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ピリ辛味噌味の豚焼肉丼 

2013年05月27日 | 家飯
脂肪の多い豚肉・玉ねぎを豆板醤を溶かした油で炒めてネギを加える。続いてゴマの入った味噌タレを絡めて仕上げに少量の酢を回しかけてご飯の上に移す。酢には味をぐっと引き締める効果がある。適度な辛味が脂っぽさを中和し食欲を増進する。夏向けのスタミナ食だ。

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旧福山港(内港)跡を巡る(その1)

2013年05月26日 | 郷土史
福山市松浜町3丁目1‐23辺りからみなと公園を望む。背後の大きな建物がダイヤパレス福山港町弐番館とアルファステイツみなと公園である(右端が福山市立大学)。旧福山港(内港)は埋め立てられて公園と大学が建設されたことは以前にも述べた。

歩道・自転車道の向こうが昔は堤防で江戸期決壊防止用の松が植えられていたことから「松が浜」という名がついた(※『おもしろふくやま史 / 平井隆夫』)。私の記憶に土手の松はないが、目の前(取り払われた堤防の上)にはかつて大きな石灯籠があった。戦前この位置から対岸(現在の港町)まで渡し船が出ていたと近所の関係者から話を聞くことが出来た。

帝国染料

その人が嫁に来た昭和27年には既に廃業していたという話だが、大きな橋が完成するまで渡し船は庶民の重要な交通手段であった。入江が築切(三菱東京UFJ銀行福山支店付近)まで延びていた頃、徒歩で対岸まで行くには木綿橋を渡らなければならなかったのである。大正6年(1917)に芦品郡府中町から座床に移転した帝国染料(後の日本化薬)の跡地がポートプラザ日化(入船町3丁目)となり南側の港もリーデンローズ駐車場(松浜町2丁目北端)に変わった。

昭和15年頃の市街地図より入船町・松浜町周辺を拡大

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害虫に悩まされる季節がやって来た

2013年05月26日 | 日記
Tシャツ姿で晩酌をしていると耳のそばでプ~ンという音がした。いつ聞いても嫌な響きである。黒い小物体は愚かにも私の掌に着地したので速攻で叩き潰した。5月下旬で既に真夏のような気温、今後はやぶ蚊に悩まされる日々が続く。

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新生姜の甘酢漬け(後編)

2013年05月25日 | 食材
塩もみした新生姜を湯通しして辛みを調整する(殺菌の意味合いもある)。2分程度茹でたらザルに移して湯切り。団扇などを使って生姜を冷まして甘酢(※沸騰手前まで加熱して冷却)に漬け込む。

甘酢に漬けた瞬間

時の経過とともに生姜が次第に薄紅色に変わってくる。最後の画像は2時間後の状態を撮影したもの。自然な色合いで甘さ控えめのガリは自家製棒寿司の脇に添えたくなる。

甘酢に漬けて2時間後の状態

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新生姜の甘酢漬け(前編)

2013年05月25日 | 食材
新生姜のウリは爽やかな風味である。新生姜を使った代表的な料理と言えばやはり甘酢漬けだろう。手作りするだけの価値は十分にあるとある寿司屋の主人が力説していたが、私が実際に仕込むまでに5年以上の月日が流れた(笑)。生姜をスライスして塩をまぶして汗をかくまで放置する。

新生姜のスライス

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港町の福山記念病院前からフェリー乗り場跡を望む

2013年05月24日 | 郷土史
福山市立大学の学生さんに「大学は旧福山港(内港)埋立地に出来たんですよ。昔は近くに桟橋(フェリー乗り場)があって香川県の多度津や笠岡市白石島への船便がありました」と説明したところでピンとはこないだろう。かく言う私でさえも桟橋の存在は昭和30年代の市街地図を見て初めて気付いたのである。

悪臭漂うどす黒い港に小船がなんぼか浮かんでいた光景を記憶している程度で最近では位置関係もあやふやになってきた。先週私は福山記念病院へ入ろうとする80代と思しき老婆を引き留め桟橋があった場所を訪ねた。彼女は「かなりや幼稚園の運動場の向こうに建っとるマンションの裏から船が出とったなー」と当時を回想してくれた。

船着き場跡は現在のみなと公園

港町の地図

つまりアルファステイツみなと公園(港町2丁目18‐6)の南側(現在はみなと公園)に県営の渡船場があったことになる。半世紀で街並みは一変した。ちなみに福山電機株式会社跡が福山記念病院とかなりや幼稚園の運動場になっている。産業道路が出来る前は運動場とアルファステイツの間の道を車が走っていたことになる。

運動場とアルファステイツの間の道路

港町1丁目の福山記念病院を望む

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