寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

滋賀県草津市矢橋町の酒屋・中一商店が販売していた近江の銘酒「帰帆」

2012年03月31日 | 
梅川の墓に手を合わせ矢橋道に戻る。ミニポストのそばに中一という屋号の酒屋がある。看板に「近江の銘酒帰帆きはん販売元」と表示されているが、もう入手することは出来ない。主人の話では2008年頃にプライベートブランド酒の販売を止めたらしい。

私は製造元の「竹内酒造(滋賀県湖南市)」に問い合わせて帰帆の販売実績は20年以上あったことを確認した。中身は人気の普通酒「鳳紋ほうもん」で矢橋町では別名でも流通していたことになる。

矢橋婦人会館前

更に西へ歩いて行くと矢橋婦人会館前に婦人消防隊発祥の地碑が建っていた。これは珍しい。そろそろ矢橋道の終点である。小さな祠の後ろに樹齢250年ともいわれるイチョウの大木が見えた。

矢橋湊跡に近づく

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野原に咲く菜の花の美しさ

2012年03月31日 | 日記
散歩中に目にした菜の花。鮮やかな黄色に感動して思わずシャッターを切った。春は山菜を楽しむ季節でもある。土筆、蕨、筍など考えただけで涎が出てくる。

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福山市北吉津町の法鏡山實相寺に参詣し藪路大峠に向かう 

2012年03月30日 | 郷土史
日蓮宗の實相寺は見所が多い。参道の左側に福山城東外堀石垣が移築保存されており山門ももと神辺城の城門である。

参道から實相寺山門を望む

實相寺本堂

本堂は水野家下屋敷を改築したもので慶安5年(1652)の建築といわれ、寛文6年(1666)に現在地に移築された。

桜丘小学校のグラウンドを背にして墓地から塔時計及び城下を望む

桜丘小学校のグランドを背にして墓地から城下を見下ろした。ドイツ製の塔時計が境内に設置されているのは珍しい。明浄保育園からはにぎやかな声が聞こえ普通の寺とは違った雰囲気が味わえる。實相寺のホームページは非常によくできているので歴史好きは要チェックだ。

實相寺参道前から見た坂道

吉津の坂

吉津の坂にあるお堂

参詣を済ませて通称:吉津の坂(※実際には峠と言った方が適切な表現だ)を上って行くと左手の歩道沿いにコンクリート製のお堂があり石造の合掌地蔵(及び両脇に二体の小石仏)が祀られている。いつも思うのだが、不気味な雰囲気を醸し出している。この上りは東京九段の坂並みにきつい。江戸期に荷車を押して物資を運搬する者にとっては相当の難所であったろう。

中国放送福山支局下辺り

藪路大峠の石塔

中国放送福山支局の下を通過してまもなく立派な石塔を見つけた。この辺りを藪路大峠(やぶろおおたお)と言うようである。

藪路大峠の説明

藪路街道沿いに祀られた地蔵

私は「今日はいい機会だ」と思い、わざわざ六体の小さな石仏が祀られているところまで引き返した。地蔵の背後から竹が生い茂る山道を駆け上がると梅が満開であった。

高台でのシブい花見

舞い散る花びらを眺めた後、藩政時代の御仕置場の方を向いた。世を騒がせた罪で串刺しにされ息絶える極悪人は今の頭塵政治家よりもはるかに肝が座っていたのかもしれぬ。

地図

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福山市の北吉津町(中)交差点中央辺りに建っていた道標

2012年03月30日 | 郷土史
備後福山10万石の城下町で育った者であれば吉津の道標を何度か目にしたことがあるだろう。北吉津町(中)交差点角に建つ古めかしい石柱(繋ぎ合わせた痕跡あり)には「従是東京大坂道 従是北石州道」という文字が刻まれている。

吉津町の道標(従是東京大坂道 従是北石州道)

桜丘学区文化財を大切にする会の説明によればかつてここは三叉路で道幅も現在の半分位だったようである。つまり道標は現在の交差点の中央辺りにあったことになる。ここから東が神辺街道、北が藪路街道(旧大峠を経て石見街道に繋がる)であることを通行人に示していた。江戸時代(から昭和の初めまで)は自動車時計博物館へ向かう道(交差点から西方向)は無かった。

吉津町の道標に関する説明(藩政時代西へ抜ける道はなく三叉路だった)

元和~元禄時代の福山城下絵図より吉津の道標辺りを拡大

昭和5年の福山市街地図より吉津の道標辺りを拡大(近くを両備軽便鉄道が走っている)

私が所有する江戸期の福山城下絵図と昭和5年の福山市街地図(緑の丸が道標、紫の丸が惣門 ※私が後から地図に色付けした)も確かに三叉路になっている。城下への(北からの)入り口である惣門が近いので周辺には不審者を見張る者が配置されていたはずだ。

北吉津町(中)交差点を北上すると上河橋がある

交差点から北は上り坂となり上井手川に上河橋が架かっているが、私にとって橋の向こうは未知の世界であった。生活する上で通る必要性がないからだ。川沿い(下)の細い道ですら行き来した回数は両手で足りる。上河橋を渡った右手が法鏡山實相寺の参道である。

上井手川に架かる上河橋から北吉津町3丁目付近(西方)を望む

實相寺の駐車場付近

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滋賀県草津市矢橋町の旭耀山遍照院清浄寺(梅川の菩提寺)

2012年03月29日 | 
路地に入り柴原商店を過ぎると左手に旭耀山遍照院清浄寺を示す石柱がある。裏面には皇太子(現在の天皇陛下)御成婚記念という文字が刻まれている。

清浄寺の石柱裏面

梅川の墓に関する説明(境内入り口)

境内入り口に貼ってあった梅川の墓に関する説明書き(お寺と草津市観光ボランティア協会の連名)に目を通し元遊女は長寿だったことを知る(享年83)。彼女の小さなお墓には美しい花が供えてあった。

清浄寺境内にある梅川の墓(画像右端)

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福山市木之庄町尾之上共用墓地に立つ

2012年03月29日 | 日記
福山市立樹徳小学校前の道を北上し信号機つき交差点を右折する。それから分かれ道に入ると尾之上共用墓地に至る。水くみ場の注意事項の看板を眺めて丘のてっぺんまで歩いた。

尾之上共用墓地に関する注意事項

尾之上共用墓地に隣接する自動車時計博物館収蔵車庫

共用墓地は自動車時計博物館収蔵車庫の南西に広がり、城下で非常に有名な中学校が見下ろせる。私の通った高校にはこの中学の卒業生が大勢入っていた。高校の偏向教育に強い拒絶反応を示した自分とは対照的に彼らは既に免疫が出来ているようだった(笑)

尾之上共用墓地の南に位置する中学校

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滋賀県草津市の矢橋交差点角に建つふれあいの塔 

2012年03月28日 | 
矢橋交差点は矢橋道と滋賀県道26号(通称:浜街道)が交わる所で、この角地に「ふれあいの塔」が建っている。塔には明治29年(1896)9月の琵琶湖大洪水で(当時の)湖の基準水位より約3.7m上昇したと書いてあった。

矢橋では、ふれあいの塔という金字の下にほられた赤色の溝まで水が来たということだろう。このように過去の災害を若い人たちに伝えて、どう対処すべきかを考えさせることは重要だと思う。

矢橋町の美容室

交差点を渡り西へ歩いていくとレトロな「ひふみ美容室」が現れる。有体に言うと私は梅川の菩提寺へは容易にたどり着くことはできなかった。周辺を15分ほどウロウロした末にやっと道を見つけたのである。

矢橋町の中半商店前から北に路地がのびている

美容室の少し先に液化石油ガス設備工事事業者「㈱中半」があり、商店の前から北に非常に細い路地がのびている。入り口に取り付けられた(飛び出し注意の)少女の板絵が目印だ。

梅川の菩提寺へ続く路地

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ふきのとう味噌(おっさんの酒のアテ)

2012年03月28日 | 家飯
ウチの畑でふきのとうを収穫した。万人受けのする天ぷらを一瞬考えたのだが、たったの3個では油が勿体無い(笑)。苦味を適度に残したふきのとう味噌を作るのがベストと判断した。

ふきのとうをよく洗って泥を落とし塩を加えた沸騰水でゆでる。冷水に移して軽くアクを抜き水気をふき取り細かく刻んでおく。中味噌を味醂で溶き伸ばして火を入れ、ふきのとうを混ぜ込んで完成である。

ふきのとう味噌

苦味が後を引く味噌をなめて日本酒を飲んだ私はふと思った。関東にいた頃であれば、間違いなくそばでしめただろう、と。どんなに寒い日でも向こうでは「盛り」で通していた。「かけ」を啜ることなど有り得なかったのである。それ位海無し県のそばのレベルは高かった。

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滋賀県草津市矢橋町の郷土史研究家から史跡散策案内を貰う 

2012年03月27日 | 
矢橋町在住の郷土史研究家から史跡散策案内(彼の作品)を受け取った旅人はすかさず質問をした。

「梅川の墓はここから近いんですか」

「ええ。一応この案内にも載っています。まー、ゆっくり探してみて下さい」

「分かりました。ご丁寧にありがとうございます。本当に助かりましたよ」

「行ってらっしゃい」

私は深々とお辞儀をして矢橋道を西に進んだ。「ゆっくり」という地元民の言葉をその時は軽く考えていた。

矢橋道

浄土真宗本願寺派「湖臨山善行寺」に立ち寄る。竹林を背にした親鸞聖人の銅像がズドーンと建っていた。「時間を無駄にするな。早く行け」と言われたような感じだ。

湖臨山善行寺(浄土真宗本願寺派)

善行寺境内にある親鸞聖人像

また小雨が落ちてきた。変わりやすい滋賀の天気である。曇り顔の私は梅川の菩提寺への方向を示す標識を見つけて足を止めた。

梅川の菩提寺を示す標識(矢橋交差点近く)

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人参葉のゴマ和え

2012年03月27日 | 食材
沸騰水に塩を加え人参葉を茹で冷水にとり色止めする。葉の水気を絞り食べやすい長さに切っておく。白ゴマを乾煎りしてすり鉢であたりだし・砂糖・薄口しょうゆを加えて和え衣を作る。

食べる直前に人参葉と和え衣を合わせ小鉢に盛る。葉の清涼感が消えぬように砂糖は控えめにしておくのがよい。幼い頃はダメだったのに年を重ねるにつれて好きになっていく味がほろ苦さではなかろうか。

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畑から抜いてきたばかりの人参 

2012年03月26日 | 食材
畑の泥を洗い落とした人参。新鮮なので葉っぱも皮も食べられる。ウチの年寄りは人参葉の佃煮をよく拵えていた。葉っぱはお浸し、天ぷら、ふりかけなどにできるし、皮はきんぴらになる。子供の時から様々な味を試して記憶することは非常に重要だ。

味覚の鋭い人間は旨い物以上に不味い物を知っているから不味い物を少しでもマシにする技を身につけている。柔軟な発想は豊富な経験(大失敗を含む)から生まれるものだ。

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滋賀県草津市矢橋町の十王堂跡(遊女梅川の終焉地)

2012年03月25日 | 
谷商店は鞭崎八幡宮表鳥居の真向かいにある。表門を抜けた時から店の青い装飾テントは目立っていた。

草津市矢橋町の谷商店(鞭崎八幡宮表鳥居向かい)

大坂新町遊廓の遊女・梅川の終焉地(十王堂跡)

自販機横の貼り紙を見た私は「ここに大坂新町遊廓の遊女だった梅川が流れ着いたのか」と呟いた。近松門左衛門作「冥途の飛脚」は飛脚問屋亀屋忠兵衛と梅川の悲しい恋の物語である。

馴染みの遊女を身請けするため預かった公金に手をつけてしまった忠兵衛、梅川と一緒に逃げるが捕まって大坂千日前の仕置場で処刑された。年季の明けた梅川は江州矢橋の十王堂で余生を過ごしたという。梅川終焉地がまさに貼り紙のしてある場所で梅の古木が残っているらしい。中庭を見ると小さな祠があった。

梅川の墓への行き方を確認している最中、どこかで聞いたような声がした。振り返ると裏参道で会った初老の男性が立っていた。彼は息を切らして「間に合って良かったです」と言った。

谷商店の自販機横にある貼り紙(十王堂跡に関する説明を拡大)

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福山市北吉津町1丁目1で地蔵堂を発見

2012年03月25日 | 郷土史
福山市立樹徳小学校の所在地は木之庄町1丁目。ちょうど蓮池(どんどん池)の北側に位置している。

福山市立樹徳小学校正門

小学校正門の斜向かいにある地蔵堂

私は小学校正門の斜向かいで七体の地蔵を祀るお堂を発見した。この場所は北吉津町1丁目の西端にあたる。真ん中の背の高いのが阿弥陀如来で残りが六地蔵でろう。

六地蔵は墓地・火葬場・村境あるいは御仕置場跡に建てられることが多い。お堂に由緒書はなく詳細は不明である。地蔵群の北は中学校の敷地で木之庄町4丁目との境になっている。中学校のグラウンドのフェンスに大阪市西成区山王1丁目と同様のキツい注意看板が取り付けてあった。あまりにストレートな表現に私は大笑いした。

地蔵堂の北は中学校のグラウンド

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滋賀県草津市矢橋町の鞭崎八幡宮(その3)

2012年03月24日 | 
旅の安全を祈願して表門に向かう。廃藩置県後、膳所城の南大手門を移築したという説明通り、歴史を感じさせる造りである。

鞭崎八幡宮の表門

表門に関する説明

表門の横には竜の干支飾りが置かれており、大きな扇子には「東北関東被災者の皆さんの再出発を(町内の発展を)願う」と書かれてあった。

表門前の干支飾り(竜)

正月にこのような飾り物を福山市の神社で見たことはない。日本は狭いようで実は広いと思った。表鳥居を過ぎた私は石灯篭に近づき文政二年(※1819)の銘を確認した。

鞭崎八幡宮表鳥居近くの石灯篭

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大根菜飯を作る

2012年03月24日 | 家飯
畑から抜いてきたばかりの大根の菜っ葉は瑞々しく食材として利用できる。青菜をさっとゆでて水気を絞り1cm程度の長さに刻み塩をまぶしておく。ご飯が炊き上がったら菜を加えて少し蒸らしてから混ぜ合わせる。

先に述べたように大根菜飯の作り方は非常に簡単。味は良いし栄養価も高い。菜飯に炒りゴマとチリメンジャコを足しておむすびにしたものは私の大好物である。美味とは素材の鮮度と始末の精神そして知恵によって完成する。

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