寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

笠岡市の古城山中腹に鎮座する稲富稲荷神社

2012年01月31日 | 
薬師堂の隣に建つ石造りの鳥居。その先に小さな石橋が架かっている。橋の下を流れるのが宮地川で川の南に古城山はある。

笠岡市の宮地川に架かる石橋、右手に見えるのが薬師堂

稲富稲荷神社表参道(石段)を跨ぐ自動車道

稲富稲荷神社の表参道には歴史を感じさせる石造物が配置され、常夜燈には文化十三歳と刻まれていた。石橋の上方にあるのが古城跨線橋(道路)で東京日本橋の縮尺版といった感じだ。

稲富稲荷神社表参道で見かけた野良猫

私は老人の如く背を曲げて急勾配の長い石段を上って行った。「おっさん、バテとんか?」とでも言いたげな野良猫に構っている余裕はない。額に汗を浮かべた中年は漸く稲富稲荷神社の境内に着いた。

稲富稲荷神社拝殿

稲富稲荷神社の由緒

弘治元年(1555)に笠岡城内の鎮守として建立されたと伝わる稲富稲荷神社。祭神は早迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた子(穀物の神)である。参拝を済ませた私は笠岡の宮大工の仕事に見とれていた。

稲富稲荷神社の扁額

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福山の古写真展(天満屋ハピータウンみどり町店・3階特設会場)

2012年01月31日 | 日記
リビングふくやま(第1272号)のおでかけガイドの頁に福山の古写真展(平成24年1月31日まで)という記述を見つけ「これは行っとこう」と思った。福山市緑町の天満屋に入るのは久しぶりだ。エスカレーターで3階に上がるとすぐ右手が展示会場だった。

戦災前の福山城

国宝だった福山城(空襲により焼失)の写真はいろんな所で目にしているが、鞆鉄道(かわいらしい車両の数々)に関しては珍しいと言える。一般市民(お客さん)に無料で公開する心意気が素晴らしい。

懐かしい鞆鉄道の車両たち

今年限りの企画で終わらせず、次回は古地図や年表と組み合わせたりすればより魅力的なものになろう。戦前の良き文化を若い人たちに伝える試みとしては十分に成功している。

福山市緑町の天満屋ハピータウン

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急遽JR山陽本線・笠岡駅で下車する

2012年01月30日 | 
旅の途中で急遽予定を変更する男、それが私である。決めたコースだけを機械的に回るだけでは面白みは半減する。その日の天候と体調に合わせて多少の手直しを試みるのがベストだ。JR笠岡駅の改札を出るのは5年ぶりかも知れない。

笠岡市の駅前通り

駅前通りを東に向かいながらこんなことを考えていた。水野家の断絶が無かったならば笠岡は広島県に属していた可能性もある。水野氏の時代、笠岡は福山藩の所領であったからだ。元は同じ国だったという歴史を知ると親近感がわくのは自然であろう。

JR笠岡駅の東方にある蔵屋敷

東本町通りより一本南の小道に出て線路伝いに歩くと蔵が建ち並んでいる。JRの線路辺りが昔の船着場でこの辺りで積荷を降ろしていたという。埋立地が多いのは福山と一緒である。

JR山陽本線・八軒家一踏切を渡って南下するとマルナカに出る

更に東へ進んだ所に八軒屋一踏切があるが、この辺りの旧町名が八軒家町だったことを物語っている。伏越の浜街道に出ると薬師堂が現れた。私は古城山の麓まで来たことを悟った。

笠岡市笠岡にある薬師堂

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6種類のおつまみミックス(セブン&アイ・プレミアム)

2012年01月30日 | 食材
セブン&アイ・プレミアムの100円おつまみ。人気の豆菓子3種と米菓3種を詰め合わせたお得パックである。私は豆菓子や海苔煎餅に目がない男で、これらをアテにしてビールを飲むこともある。

昭和40年代の豆菓子類と言ったら色も調味料もどぎついものだったが、平成のおつまみセットは目にも舌にもやさしい。私はもう花見のことを考えていた。今年は缶ビールとこのつまみを持って誰も知らぬ穴場へ出かけようと(笑)

6種類のおつまみミックス(セブン&アイ・プレミアム)

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日本で最初に国立公園に指定された仙酔島(後編)

2012年01月29日 | 
旅館・常磐館が作成した鞆の浦案内(鳥瞰図)より仙酔島を拡大してみた。島の左側上部に御膳山(赤枠)、御野立所(白枠)と記載されているが、大正15年(1926)5月24日、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)はこの展望所から鯛網を御覧になられた。現在は鞆の浦観光鯛網として5月上旬から下旬にかけて行われ観光客の目を楽しませている。

海食洞

仙酔島には自然の造形美が数々ある。長い年月をかけて波や風が作り出した海食洞、流紋岩質凝灰岩の風化によって現れた五色岩(青・赤・黄・白・黒)。島の歴史に比べれば人間の生涯なんてほんの一瞬である。

日本では珍しい五色岩と赤色岩

忙しい日々を送る人たちが仙酔島を訪れて癒される理由が分かる。周りに余計な物がないから雑念が消え、大自然と向かい合っている内に生の喜びを再認識するのだろう。

仙酔島の彦浜を望む

彦浦に着いた私は笑みを浮かべた。中核都市の福山にまだこんな美しい浜辺が残っていることに感動したのである。平成いろは丸に乗って来て良かったと心から思った。

平成いろは丸

2月9日(木)から第10回鞆・町並ひな祭が始まる。冬から春先にかけては魚介類が最も美味しい時期である。ぜひとも能書きを言わぬ街・備後の本流・福山にお越しあれ!

第10回鞆・町並みひな祭りのちらし

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橋下徹大阪市長VS御用学者

2012年01月29日 | 日記
本日の産経新聞朝刊に掲載された加地伸行さんの「古典個展」。橋下徹市長のやり方が気に入らぬ某大学教授の発言を取り上げていたのには笑った。某が誰を指すのか私には分からなかったのだが、MNS党応援団の御用学者(パープーバーを始めとする頭塵)は橋下氏の言動に悉く噛み付いている。

1月15日にあるテレビ番組で大阪市長と生討論したYJ大学教授はフルボッコで見ている方が辛かった。まさに串を打たれクネクネする泥鰌であった。市長は「学者は何もしない。人に文句言うだけ。ほんと気楽」と言ってとどめを刺した。あまりにも的を射た表現である。涙目のYJは最後に「楽しかったですよ」と言うのが精一杯だった。

確かに自分の発言に責任を持たぬ政治家・評論家・学者・記者は官僚以下である。2年半前の投票行動で最悪の事態を招いた有権者は「誰が政治をやっても同じ」とのたまうが、レベルは彼らと全く同じである。

愚者とは失敗の反省をしないために同じ間違いを繰り返す輩を言う。「国家は悪ではなく愚で滅ぶ」という格言を噛み締めなければならぬ無能がいかに多いことよ。故に元外交官・天木直人さんの嘆きは尤もだ。

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日本で最初に国立公園に指定された仙酔島(前編)

2012年01月29日 | 
福山市営渡船場から鞆の仙酔島まではおよそ5分の船旅である。平成いろは丸を降りた私は標識に従い最短コースを巡ることにした。

瀬戸内海国立公園・仙酔島

国民宿舎・仙酔島 昨年12月にかき小屋がオープン

国民宿舎前の砂浜から見る海の青さ。海水浴シーズンはとうに過ぎており周辺はとても静かである。

国民宿舎前の砂浜

友人や家族から一応話は聞いていたが、これほど立派な海岸線遊歩道が整備されているとは。まさに百聞は一見に如かずだ。時間がいつもよりゆっくりと流れているように感じた。

仙醉島の勝景
鞆津には今一つ人を牽きつけるものがあつた。それは仙酔島その他の風景である。鞆津が商業地として繁栄した傍には、この風景に誘われて多數の文人墨客が鞆津に来り遊んでいる。…
仙酔島は昔は向江島と呼ばれていた。一説には仙酔島も皇后島も共に向江島といわれていたのが、仙酔島の方は「むか江島」と讀み、皇后島の方は「こうご」と音で讀むようになつたというが、それはこじつけであろう。又向江島という名の起りは、足利直冬が西國探題として下つて來たときに、迎えの船を整えて此の島で待受けたからだという説もあるが、それも怪しい話で、恐らくは尾道の前に向島があるように鞆の向側の島として名づけられたものであろう。仙酔島はまた何れの方向から見ても山の姿が同じだということから「面向不背の島」という名稱をも與えられている。
仙酔という名の起りは泉水の意味であつただろう。水野勝成が備後に入國して鞆津にから上陸したときにも、此の島の佳景を賞め、「お立て山」と定めて濫伐を禁じ、厚く保護を加えたということであるから、或は藩主の「お泉水」という意味で名づけられたが、或はまた島の姿が、恰も人工の庭園のように美しいので、泉水と名づけたか。仙酔の字は後に誰が詩人が洒落れて當て嵌めたものに相違ない。それが後になつては此の字に拘泥して、とかく酔つた仙人を聨想するようになり、頼山陽も「鞆の景勝は酔仙を以て主となす、山容秀麗、之れを望めば頽然として天僊醉て將に眠らんとするが如し」といい、その他の詩人も殆んど悉く、仙酔といえば醉つた仙人を詠み込むような習慣になつている。

『鞆の浦三千年 / 広島県鞆町教育委員会(昭和三十一年三月一日発行)』

仙酔島の海岸線遊歩道

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平成いろは丸から弁天島(百貫島)を望む

2012年01月28日 | 
平成いろは丸は北に進路を取り弁天島の前を通過した。台風接近の影響で損傷が生じた福寿堂は緑のシートで囲まれていた。

スキューバーダイビング同好会に入っていた大学の同期生は夏になると東広島市から鞆に遠征していたのを憶えている。彼らは目を輝かせて「結構サザエがおって思わず手がのびそうになる。獲りはせんけどな(笑)」とよく話してくれた。

鞆の浦振興事業団が作成した観光案内地図より渡船場周辺を拡大


百貫島の伝説
島の傳説というのは次のような事柄であつた。何時の頃であつたか、近江國の住人正道という武士が厳島參詣の歸途、此の島に船を寄せたが、誤つて伝家の宝刀を海中に取落した。海は深く潮は早いので、如何ともすることが出來なかつた。浦人に相談した結果、布苅という所から蜑を呼び寄せて、刀を取り得なば百貫の錢を與えると約束した。その男は此の瀬戸には惡魚がいて度々人を喰うたことを知つていたので、危ぶんだが、思い切つて海に飛び込んで、千尋の海底に潜り、やがて太刀を引揚げて来たが、その時には既に惡魚のために足を咬み切られていたので、船に上ると共に絶命した、此の瀬戸には今でも可なり大きな鱶がいて、時折人をくうことがあるが、こゝにいう惡魚というのは鱶の事であつたであろう。正道は目前に此の有様を見て不愍に絶えず、約束の錢百貫を以て、十一重の石塔を島の上に立て、郎等一人を殘して四十九日の供養まで行わせたということである。それから此の島を百貫島と稱えるようになった。
百貫島にはまた古來から辨才天祠があつて、辨天島とも呼ばれている。辨才天祠の創建年代は詳でないが、後年水野氏の奉行荻野重當が堂宇を再建して壽堂といい、最近に至つてまた縣費によつて改築された。自然の絶景に配するに人工の觀美を以てし、頗る調和の取れた風景となつている。辨才天女は印度の様であるが、日本では市杵島媛命に擬えている。それは仙酔島に命が降臨されたという伝説と一脈相通じている。

『鞆の浦三千年 / 広島県鞆町教育委員会(昭和三十一年三月一日発行)』

総重量19トンの平成いろは丸

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今は無き旅館・常磐館が配布していた鞆の浦案内(鳥瞰図)

2012年01月28日 | 
平成22(2010)年3月にあき書房が復刻した常磐館の「鞆の浦案内」。このパンフレットと昭和2(1927)年の廣島縣沼隈郡鞆町営業別明細図がセットになって1050円で販売されている。

鳥瞰図(ちょうかんず)とは上空を飛ぶ鳥の眼から見た地形図のことで戦前に流行ったスタイルである。カラー写真が無かった時代に観光客は鳥瞰図を眺めてワクワクしたことだろう。平成の世を生きる私が見ても十分に魅力的だ。流石に古書店の主が付録にしただけの価値はある。

常磐館は鞆シーサイドホテルが建っている所にあったそうである。福禅寺下の有磯町(道越町の東筋にあたる)の遊廓は有磯廓と記載されている。私は鳥瞰図と鞆の浦振興事業団作成の観光地図を見比べていてはっと気付いた。ユニークな鳥瞰図を参考にしてあの分かりやすい地図を拵えたのだと。

日東第一形勝・鞆の浦案内より旅館・常磐館周辺を拡大

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福山市営渡船場から平成いろは丸に乗る

2012年01月27日 | 
海岸通りの防潮堤に座り釣り糸を垂れる爺さん。鞆の浦ではごく普通の光景である。私は福山市営渡船場に向かい往復切符(240円)を買い着いたばかりの平成いろは丸に乗り込んだ。

福山市営渡船・平成いろは丸

福山市鞆町の本瓦造船株式会社の銘板

平成いろは丸は市営渡船で地元の本瓦造船株式会社が建造したものである。私は客室を通過しデッキに出て海原を眺めた。まもなく船は出港し心地よい風が額の汗を吹き飛ばした。

福山市営渡船場を出港した平成いろは丸から福禅寺對潮楼を望む

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広島県の主要三都市の連携強化を心から望む

2012年01月27日 | 日記
安芸国城下町の広島市(県庁所在地であり中国地方最大の政令指定都市)、備後国城下町の福山市(中核都市)、軍港として発展した呉市が県内の主要三都市である。私は18歳まで福山市で育ち、屑高校卒業後、大学時代の約半分を広島市で過ごし、専門課程に進んでからは呉市とも縁があった。だから各都市の長所短所を熟知している。

呉市の警固屋と音戸町を結ぶ音戸渡船

昨年私は呉市に何度も足を運び官民双方が観光PRに相当力を入れていることを肌で感じた。観光という面で福山市はかなり遅れをとっていると思うが、呉市の取り組み(観光案内所の充実など)を参考にすればもっともっと県外からお客さんを呼び込むことはできると思う。名所はたくさんあるのに知名度が低いのは情報発信の方法に問題があり、おもてなしの精神が未熟ということである。

特に役所に勤める人間は他の街を積極的に(自費で)見に行き「故郷に欠けているものは何か」を悟るべきだ。そういう意味でも広島市、福山市、呉市の間での人材交流・連携強化が望まれる。今年は平清盛ブームで観光客が県内に押し寄せており莫大な収益が見込まれる。

平家一門の盛衰の跡を辿るには、廿日市市の宮島、呉市の警固屋・音戸町を観光した後、福山市の沼隈町中山南・鞆町後地まで足をのばすのがおすすめだ。

瀬戸内マリンビュー

JR西日本が瀬戸内マリンビュー(広島~呉~三原)の拡大版である清盛マリンビュー(宮島口~広島~呉~三原)を土日・祝日に走らせているので旅行者にはぜひ利用して欲しい。マリンビューは美しく穏やかな瀬戸内海を一望できる呉線のルートを走る。途中の停車駅である竹原忠海も訪れたいのであれば最低でも3日は必要と助言しておこう。

※冒頭の画像は明治後期に発売された着色絵葉書(宮島)の実逓便

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福山市鞆町後地の村上製パン所でうぐいすパンを買う

2012年01月26日 | 
福山市鞆町の有名なパン屋、村上さんに立ち寄る。ここは地元のテレビ局がよく取材に来る店だ。商品陳列ケースがレトロでいかにも昭和という雰囲気が漂っている。

「おってですかー」と大声で叫ぶと忙しそうなおかみさんが出てきた。御門町の同姓のパン屋との関係を聞くとはっきりした口調で「ありません」と言われた。

村上製パン所のうぐいすパン

私はうぐいすパンを買い求めてバッグに入れた。写真では円形になっていないが、これは持ち帰り方に問題があったのである。今の小・中学生にうぐいすパンと言っても首を捻るかもしれない。

ポリ袋から取り出したうぐいすパン

うぐいすパンとはうぐいす餡パンの略である。つまりパンの中にはグリーンピースを甘く煮て作った餡が入っている(普通の餡パンは小豆を使用)。緑色の餡が涼しげで懐かしい味がした。価格は確か120円だったと思う。

緑色のうぐいす餡が綺麗

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あればとても便利・国産乾燥ワカメ 

2012年01月26日 | 食材
乾物で最も使用頻度が高いのは乾燥ワカメであろう。国産はそこそこの値段がつくが、やはり味が良い。

だから即席味噌汁(小袋入りの廉価版)に水戻ししたワカメを足すだけで相当風味がアップする(笑)。汁物や酢の物に安易に入れがちだが、胡麻油で炒めて醤油で味付けしたものは飯のおかずになる。このひと手間が重要なポイントだ。

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福山市鞆町・平漁港前の防潮堤に微かに残る交通安全標語

2012年01月25日 | 
福山市鞆町後地の藤本酒店を通過し平漁港に着いた。時差式二つ目信号機の先からのびる防潮堤は私の思い出の場所であった。「鞆の浦旅行記・第二部」をご覧の方は多分チンプンカンプンだろうから少し説明しておこう。

平漁港前の防潮堤に微かに残る交通安全標語「左上の信号機をよく見ませう(黄色のペンキで大きな字で書かれていた)」

私が小学校に上がった時分(今から35年以上も前のこと)この防潮堤には黄色のペンキで「左上の信号機をよく見ませう」という交通安全標語が書かれていたのである。助手席に座っていた息子はハンドルを握った母に何度も尋ねた。

平漁港前から見た二つ目信号機、交通安全標語はこの位置で意味を成す

「なんで見ませうと書いとん。正しくは、見ましょう、じゃが。おかしいのー」

「戦前は見ませうと書いて見ましょうと読んだんよ。旧仮名遣い言うても分からんかー(笑)」

息子は憮然として「分かるわけないがー。おかしな話じゃ」と繰り返し母親は笑っていた。今から思うと既にこの頃から疑問に思ったことは徹底的に質問していたようだ。もっとも旧仮名遣いで書かれたエッセイ(旧制広島高等学校卒業生の阿川弘之さんなど)を読むようになったのは大学入学後の話である。

平漁港に浮かぶ小船

防潮堤ごしに眺める港は昭和40年代末と全く同じと言ってもよかった。懐かしい平地区をしばらくぶらついた後、来た道をゆっくりと引き返した。

昭和二年の沼隈郡鞆町の地図(あき書房による復刻)から平漁港周辺を拡大

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活けクルマエビを使った料理

2012年01月25日 | 食材
養殖クルマエビ(画像はサイマキクラス)は手頃な価格である。おどり食いが一番だと言い張る人(頭脳と舌のレベルがすこぶる低いローカルテレビ局のキャスター&レポーターを含むw)もいるが、私は必ず火を通している。

エビの類は加熱した方が美味しく見栄えも良いからだ。実際に食べ比べてみると味の向上が分かるはず。

クルマエビの料理では塩焼き、天ぷらの人気が高いが、エビしんじょを拵えて椀だねにする手もある。和食の要である吸い物が好きな私としてはこれが一押しだ。縁起をかつぐ日本人と赤いエビとの関係は非常に深い。

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