寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

8月末日が猛暑日となる

2011年08月31日 | 日記
今日は暑かった。最高気温が35℃を超えると時の挨拶をするのも億劫になる。野だいこ先生の言葉をアレンジしてこう言いたい、もう夏は終わりにしましょう!と(笑)

9月に入ってもこんな天候が続けば人間だってニョロニョロになるはずだ。台風の直撃は嫌だが、いくらか雨をもたらしてくれることを密かに願っている。

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自動車保険の相見積もりはインターネットを利用すると便利

2011年08月31日 | 日記
自動車の任意保険はおまじないの意味でかけているが、車にあまり拘りのない人間としてはできるだけ安くあげたい。従来の保険料が高いと疑問に思った私は昨年インターネットで相見積もりを取った。中間に業者を挟まないから料金は何と半値近くまで下がったのである。結局いろいろ考えた末、二番目に安い額を提示した会社に決めた。無事故無違反の私は手続きが楽なネット契約で十分安心できるという結論に至っている。

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その6)

2011年08月31日 | 
忠海の川下地区とは大砂川の河口周辺を指すものと思われる。つまり現・忠海中町1丁目のことで、広義では忠海床浦1丁目まで含むのかもしれない。

私は大砂川に架かる「鍵坪橋」東詰より対岸の汲み取り便所の脱臭筒(城山市営住宅)を眺めた。住宅のすぐ南西に位置する城山(多儀城跡=大正公園※1)の東が海水浴場であった(※2)が、その後埋め立てられて某会社の所有地となっている。

遊廓跡から橋を渡った先が海水浴場だったことに若干驚いたが、砂浜及び海のきれいな所(※3)だから納得はできる。河口ではおっさんが1人釣りをしていた。

大砂川河口


※1
大正公園
町の西南白砂青松の海岸に突出する小山と、海将、浦宗勝公の古城跡である。古松の枝姿おもしろく、日清・日露の英霊を祀る忠魂碑あたりからは、芸予水道を一眸におさめる奇観である。またこの辺りは海水浴場としても絶好のところとなつている。
『芸南風土記 / 芸南新聞社(昭和三十六年発行)』P.149

※2
大正十二年七月廿日 川下に忠海海水浴場を設く
『忠海案内(昭和十年発行)』P.17

※3
忠海町略年譜(明治・大正・昭和)
昭和二年 大毎主催の日本新百景に忠海海岸入選。
『芸南風土記 / 芸南新聞社(昭和三十六年発行)』P.34

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蒸し暑い日にはあっさり味のドライカレーだ!

2011年08月30日 | 家飯
汁気の少ないドライカレーが私は結構好きである。ひき肉と野菜とカレー粉と水(+酒)だけでそれなりの味が短時間で完成するからだ。冷蔵庫で眠っている野菜を一気に片付けることができて、しかも健康的と一石二鳥である。

今回はナスとトマトの粗微塵切りをたっぷりと使って旨みを引き出した。隠し味は醤油と少量のウスターソース。カレー風味のミートソースとも言えるが、不思議とあっさりしている。中高年に受けがいいのは当然であろう。

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その5)

2011年08月30日 | 
「おはようございます。この辺りは昔お盛んだったと聞きますが…」

老人はきっと嫌な顔をすると予想した私だったが、取り越し苦労であった。お前さんも好きじゃのぅと言いたげな笑みを浮かべて彼は語り始めたのだ。

「ほうよ。…ここらは女郎屋でな。店の前が雁木じゃった」

色街の生き字引と表現してもよい男性は格子戸の家の前で昔を懐かしむかのように話を続けた。

「ようけ(遊)女が並んどったわ。じゃが、わしは一度も(店には)上がったことがないんよ。今から思うと惜しいことをしたなー。ハハハハハ…」

西村晃そっくりの高い声につられて私もヘラヘラ笑った。しっかりとした足取りで湊明神社の方へ歩いて行く黄門さまを見送り頭を下げた。若き日の男性が見た遊里の賑わいを想像し妓楼の裏手(すぐ西)を流れる大砂川河口へ歩を進めた。

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台風12号北上による蒸し暑さ

2011年08月29日 | 日記
台風12号が本土に近づいているため中国地方は先週末から蒸し暑い。不快指数が高いのはどうやら政界も同じのようだ。欲が入り乱れた選挙を制した上島竜平新代表、失礼(笑)、野だいこ先生には「しっかりおやんなさい」と声をかけてあげたいが、雲行きが怪しい。近い終わりの始まりのような気がする、私には。

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その4)

2011年08月29日 | 
湊明神に手を合わせて社を出た私は海に向かって歩いた。道路の右手、駐車場奥の建物は一見して妓楼だと分かった。その時、公衆電話の背後から杖をついた老人がニョロニョロと姿を現したのである。ちょっとばつが悪かったが、80過ぎと思しき男性に私は声をかけた。

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酷い内容の野球観戦終盤

2011年08月28日 | 日記
「そのうち夫はヒットを打ちます」

チアリーダー(嫁)の弁護むなしく、自打球を股間に当てまくり、タンカで運ばれていく、冴えない選手兼監督。観客の大ブーイングの後で代わりに登場する選手は気の毒である。

ある評論家が「イボには実はやりたいことが何もないのではないか」と分析していたが、私も同じ意見である。取り巻きと飲み食いに興じることと言い訳に終始する醜い姿しか思い浮かばないからだ。とにかく失政退陣の日は秒読みとなった(笑)

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その3)

2011年08月28日 | 
塩浜(塩田)の西沖堤に鎮座していた湊明神社。祭神は厳嶋明神、塩浜(正徳年間にできた)の守り神である。江戸時代の忠海地図(文政年間発行の「芸藩通志」より)を参考にするとJR忠海駅の南側が塩浜の跡地で肥料会社やジャム製造会社が出来ている。

湊明神社の敷地隅に残る石柱(文化十四年奉寄進の文字あり)

社の敷地隅に建つ高さ50センチほどの石柱に文化十四年(※1817)奉寄進と彫られていることから、19世紀の初めには既に地域住民によって祀られていたことになる。この円柱石造品が船繋ぎ石の一部なのか、それとも橋欄干の石柱なのかは私には分からない。

湊明神社の全景

元妓楼及び湊明神社前の道の大部分は江戸時代海だったと考えられる。社の前にはおそらく雁木が設けられていたはずだ。手持ちの資料が少ないので自信はないが、幕藩体制崩壊後、船入堀に面した向町にあった遊女屋が川下地区に移転し遊廓として認可されたのではないだろうか。

元妓楼と湊明神社の位置関係から昔の海岸線を想像する

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2年前の新聞をネチネチと読み返そう

2011年08月28日 | 暗黒の無政府時代
2年前の新聞を読み返してみると実に笑える。政権交代に大きな期待を寄せる記者に対して当時から私の見方は冷ややかであった。自分があの頃危惧したことの多くは現実となってしまった。

今年の8月6日、広島の講演会で田母神俊雄さんは「信じる者は騙される」と発言して会場を沸かせたが、皮肉にもこの言葉の意味を噛み締めたのは東北の民ではなかっただろうか。混沌とした政治の世界では迷惑な鷺に続いて閑古鳥がヨロヨロと羽ばたこうとしている。次に飛んで来るのが鬼車鳥でないことを祈るばかりだ。

早急な厄災封じ(解散総選挙)が必要と考える庶民が日に日に増えているのは自然な流れだ。そろそろ我々自身(真の日本国民)の手で「民意」という言葉を復活させねばなるまい(笑)

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あっぱれ!熟年ファイターズは面白いよ

2011年08月27日 | 日記
熟年ファイターズは地元広島の名所、歴史、食文化などを紹介するテレビ番組(広島ホームテレビ制作)である。民放各社同様の番組を拵えているが、面白さと質の高さでは熟ファイが一番だ。主役なべさんの駄洒落を軽く流すだいちゃん(まっちゃんやみのりさん)がいい味を出している。出演者の分をわきまえた口のきき方などは本当に好感が持てる。

私が熟ファイを高く評価する最大の理由は歴史の明暗を取り上げる際にさりげなくタブーにも触れることだ。それは一級品の写真や資料をこれ見よがしに出すことよりもはるかに重要である。そして「過去にこんな経緯がありました。皆さんはどう思われますか。じっくり考えてみて下さい」というスタンス(社の考えを押し付けることなく問題提起にとどめる)が備後人には気持ちよくて受け入れやすい。

番組制作スタッフはインターネット社会が確立された中でのテレビのあり様(生き残り戦略)をよくよく考えていると思う。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という諺を熟知した知的センス溢れる人たちは今後もあっと言わせる番組を作ってくれることだろう。

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その2)

2011年08月26日 | 
昭和5(1930)年発行の「全国遊廓案内」には川下遊廓が忠海町遊廓として以下のように紹介されている。

 忠海町遊廓は広島県豊田郡忠海町に在つて、山陽本線本郷駅から東へ約一里半、乗合自動車及乗合馬車の便がある。鞆又は呉から船で行くのも面白い。貸座敷は目下四軒程で、娼妓は約二十人程居るが、九州及四国の女が多い。店は陰店を張つてゐて、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやつてゐない。遊興は時間、仕切、泊花制で、費用は一時間一円二三十銭、一仕切は二円七十銭位で、一泊の通し花は五六円見当である。台の物は着(※ママ)かない。

客が6キロも離れた本郷駅から移動することに驚かれる人がいるだろうから説明しておこう。実はこの時点で忠海駅はまだ存在していない。三呉鉄道の停車駅として忠海駅が開業するのは昭和7年7月である。私はむしろ福山の鞆の津から遊び人が船に乗って登楼した(であろう)という記述に注目した。

唐破風玄関が印象的な元妓楼

玄関先に唐破風屋根がある元妓楼の向かいは公園のように見えたが、違っていた。大木の近くには忠海の歴史を知る上で重要な神様が祀られていたのである。

元芸楼のすぐ東に位置する場所(大木のある周辺)

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忠海の川下遊廓跡を訪ねて(その1)

2011年08月26日 | 
川下(かわしも)踏切から先は忠海港に向かって道が真っ直ぐのびている。距離にしておよそ100mである。そして道が緩やかなS字を描き始めるところに大きな屋敷が建っている。広い築山を囲う屈強な塀を見て私は「ここからだな」と言った。

川下遊廓跡(竹原市忠海中町1丁目)

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茹で野菜をじっくり味わう

2011年08月25日 | 食材
野崎洋光さんが茹でた野菜を何も調味料をつけずによく噛んで食べるという話を聞いて実際に試してみた。普段の食生活でいかに自分が調味料に頼っていたかということを痛感した。そして野菜の持ち味を消すほどの醤油やタレなど必要ないと反省したのである。

噛めば噛むほど人参などは甘さや旨みが感じられる。咀嚼によって満腹感も出て頭の働きも良くなる。いいこと尽くめだ。ビタミンの流出が気になる方には蒸すことをおすすめする。私は普段からまともな食事を心がけているのでわざわざ蒸したりはしない(笑)

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JR呉線・川下踏切(竹原市忠海中町)を越える

2011年08月25日 | 
忠海駅前バス停より南西へ約100mの地点に川下(かわしも)踏切はある。昭和10(1935)年10月に発行されたガイドブック「忠海案内」の地図にも川下という地名が遊里として確認できる。私は遮断機の上がった踏切を越えて南下した。

国道185号線沿いにある川下踏切(忠海中町)

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