寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

さようなら旧広島市民球場

2010年08月31日 | 日記

午後5時過ぎ「旧広島市民球場」の看板が取り外された映像を見た私は一抹の寂しさをおぼえた。学生時代に何度も足を運んだ場所が近い内に消滅することになる。

私が旧市民球場に最後に入ったのは平成10(1998)年9月27日(日)の対横浜戦(デイゲーム)である。この日は大野投手の引退試合で友人のコネを利用してバックネット裏最前列から観戦することができた。プロの投げる球の速さ、弧を描く打球の美しさを初めて知った日でもあった。木葉竹識元監督を目撃したことも今となっては懐かしい思い出だ。

政治の世界は菅・小沢のガチンコ対決になった。まさにエゴのぶつかり合いである。メディアへの格好の撒き餌となったが、国民の多くは白けた感じであろう。平成22年8月末日は良い意味でも悪い意味でも忘れられない日になった。

旧広島市民球場に近い「西蓮寺さいれんじ(中区大手町)」の被爆地蔵尊


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ゴマサバの内臓を使った料理

2010年08月31日 | 食材

分厚い脂肪に包まれた内臓のうち心臓と肝臓と胃袋を取り出し塩水で洗って血抜きする。これをさっと湯通して酒、醤油、味醂で煮て仕上げに針生姜を加える。

心臓と胃袋はコリコリした食感である。サバの肝は意外に美味しくブロイラーのそれよりは格上と言えよう。サバを一本買いすると廃物からも数品(船場汁や骨せんべい)作ることができる。

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酢で締めたゴマサバ

2010年08月30日 | 食材

ゴマサバの頭を内臓ごと外して三枚におろす。腹骨をすき取り両面にたっぷり塩をまぶして脱水する。その後水洗いして酢につける。サバの脂肪分が多いので脱水、酢締めの時間はいつもより長めにした。

最初の画像は酢で締めた直後である。仕込み当日よりも1日置いてから食べた方が美味しかった。生っぽいのが苦手な私は仕込みから2日経ったものに対しても○をつけた。夏場の安いゴマサバは利用価値が高い。

丸一日経った〆サバ

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脂肪を蓄えたゴマサバ

2010年08月29日 | 食材

夏が旬のゴマサバ。ずんぐりむっくりの容姿である。内臓の周りを脂肪がびっしりと覆っていた。造りがあまり好きではない私は酢で締めることにした。

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夏のネブト天作り(後編)

2010年08月28日 | 食材

手の平にサラダ油をつけて味付けしたすり身を円盤状に成形する。170℃に加熱した油で表面がうっすら色づくまで揚げる(卵白の効果で天ぷらは一時的に膨れる)。熱々のネブト天をアテに爽やかなハイボールを飲む至福の時。

宇和島のジャコ天(主原料はホタルジャコ)が好きな方にはぜひ食べていただきたい郷土料理だ。備後人は見てくれよりも味を重視する点では宇和島の人と考え方が近いのかもしれない。

備後のネブト天

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雷雨の後の飲み会

2010年08月28日 | 日記

昨日の午後5時40分頃から夕立が降った。予期せぬ出来事ゆえに私は喜んだ。ここ数日の蒸し暑さは異常で音を上げる寸前だったからだ。

天然の打ち水が地表の熱を奪った後、知人と酒を飲んだ。三次会終了後、新町赤線跡で心地良さのようなものを感じた。それは水不足にじっと耐える野菜も同じであっただろう。

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夏のネブト天作り(前編)

2010年08月27日 | 食材

ネブトのすり身の天ぷら、略してネブト天。広島では関西と同じように魚のすり身を円盤状に成形して揚げたものも天ぷらと言う。

頭と内臓を取り除いたネブトを出刃包丁でコトコト叩いて粗微塵にする。これをすり鉢に移して天塩、日本酒を加えすりこ木であたる(小骨が気にならない程度まで)。私は膨張材として卵白を使っている。

つなぎを入れなくても塩だけで十分まとまる。ネブトに関して言えば澱粉や旨味調味料の類を混ぜるのは愚の骨頂である。ゴボウのささがきを具として入れてもよいだろう。

魚肉をすりこ木であたりまとまった状態

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瀬戸内の小魚ネブト(テンジクダイ)

2010年08月26日 | 食材

瀬戸内の小魚(雑魚)として人気が高いのがネブトである。正式な名称はテンジクダイだが、広島県内でもいろんな呼び名がある。耳石のある頭部と内臓を除去すれば歩留まりは半分近くになってしまう。

鮮度抜群のものは臭みがないと言い張る人がいるが、微妙だと思う。体表面と内臓から発する臭いは魚好きの私でさえも気になるからだ。揚げ物にして食べることが多いのは独特の癖を抜く目的が大きいのだろう。

頭と内臓を取り除いたネブト(テンジクダイ)

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(完)

2010年08月26日 | 

男の遊び場を巡回してストリップ劇場に到る。薬研堀と西平塚町、田中町を隔てる道路周辺には昭和30~40年代の雰囲気がかろうじて残っている。

中区薬研堀の日本舞踊研究所

なかなか斬新なデザインの日本舞踊研究所。この隣の三戸ビルがかつては「夕月旅館」だった。余談になるが夕月という名の妓楼は我が故郷にも存在していた。

三戸ビル内の有名なお好み焼き店から西に風俗店が軒を並べている。私は大人の休憩所「泉」に背に向け田中町に移動した。

広島市中区薬研堀と田中町の境界

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その9)

2010年08月25日 | 

「銀山町13」交差点の横断歩道を渡り「仏壇通り」を西へ進む。最もお盛んな町・薬研堀に到着。変てこなコンクリート三階建てを見上げた私は風俗街を散策することにした。

広島市中区薬研堀1-×付近

私が大学生の頃は呼び込みがウジャウジャいたものだが、県警の取り締まり強化でひっそりとしている。その反面増えたのが無料案内所だ。締め付けが行き過ぎると金が循環しなくなり、市の税収が減り恐ろしい病気が蔓延する。歓楽街全体が潤うことを否定する現在の流れが正しいとは決して言えないだろう。

中華料理「龍王」と「平和園」の間を小路を東に50mほど進んだ辺り・即ちあづまビルが建つ場所(薬研堀1-3,4)に「東湯」という名の銭湯があったことを付け加えておく。

風俗街への入口付近

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その8)

2010年08月25日 | 

レトロな美容院から旅館に引き返し酒店前の道に入る。町名が西平塚町から銀山町(かなやまちょう)に変わった。横長のアパートに「呑み喰い屋」の看板が出ていたが、店はかなり前に畳んだようである。蝶が描かれた硝子の意味が分からない(笑)

アパート1階の硝子に描かれた蝶(広島市中区銀山町)

かつては寿司屋だった建物(広島市中区銀山町)

調理師紹介所を通過し広い道に出た。二階の窓の形が異様な建物は昭和30年代寿司店だった。それ以前はどういう風に使われていたのか気になる。この辺りが町名変更されるまでは弥生町と呼ばれていたからだ。

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その7)

2010年08月24日 | 

「I旅館」前の道を京橋川方面に進むと最初に登場した中華そば屋に出るのだが、途中に年代を感じさせる美容院があった。隣の建物の短い屋根(青色)はこの界隈に共通する構造であることに気づいた。

遊里の周辺には必ずと言ってよいくらいタバコ屋、銭湯、交番、一膳飯屋、床屋(美容院)が存在する。ここ西平塚町も例外ではなかった。

広島市中区西平塚町の美容院

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その6)

2010年08月24日 | 

妖怪の目玉のような窓を配した「I旅館」の玄関に回る。木を模した斜めのコンクリート柱に様々な色の小石が埋め込まれているのが面白い。

黒壁の方には円窓と透かし彫りが施された手すりがある。赤線廃止後から営業を続けるこの旅館を西平塚町の裏名物として認定しておきたい(笑)

広島市中区西平塚町の旅館

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その5)

2010年08月23日 | 

駐車場の前から「I旅館」を望む。遊里研究家でなくても一度目にしたら決して忘れらないような構造である。かなり手が加えられているが、かつて栄えた色街の代表的な建築物と言えよう。

中区薬研堀及び弥生町は今なお広島の夜の街として君臨しているが、西平塚町に関して言えば(一部の例外を除いて)その役割を終えて普通の住宅街に変貌を遂げている。

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その4)

2010年08月23日 | 

鮮魚店隣の建物は独特のバルコニーを有していた。私は「鳩の街」に来ているかのような錯覚に陥った。昭和30年代の住宅地図ではここが「末広旅館」になっている。地図からはこの界隈が旅館の密集地だったことがわかるが、その多くは赤線廃止後に旅館経営に切り替えたと考えるのが自然であろう。ちなみに鮮魚店の入ったビルは当時「繁畑旅館」だった。

派手な色彩の「大衆焼肉酒場」の方へは行かずに本能の赴くまま手前の小路に入り北東に進んだ。すると出入り口が3つもある奇妙な造りの家があった。私は駐車場の方に歩いてゆき自分の勘が正しかったことを悟った。

広島市中区西平塚町にある出入り口の多い家

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