寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

やわた夢生小路の癒し効果

2008年09月30日 | 

「ながはま御坊表参道」と「やわた夢生小路」が交わるところに設置された「お花ぎつねのオブジェ」。長浜の民話に出てくる、茶店の美しい娘(お花さん)に化けたきつねをモチーフに作られたそうである。

大宮町の「鮒熊楼」

「やわた夢生小路」は「長浜八幡宮」への参道であり、「癒しの小路」という別名を持つ。割烹旅館「鮒熊楼」の先にはタンス店、薬局、仏具店などが軒を並べる。静かでどことなく懐かしい雰囲気の漂う商店街で、都会で忙しい毎日を送っている人がここを歩けば確かに癒し効果はあると思う。

「やわた夢生小路」の突き当たりが長浜八幡宮

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南片町遊廓跡では時間が止まっている(後編)

2008年09月29日 | 

空き地の隣が「季水庵茶花道研究所」。スナックハウス「YUKA」との間に地蔵尊がひっそりと祀られ、その脇で樹齢400年を超える黒松が天に向かって伸びていた。

地蔵尊と黒松

来た道を引き返して「旅館」の角を曲がり「駅前通り」に出た。昭和32(1957)年創業の「巴蕪亭Von」は元置屋を利用したパブ喫茶で、時折地元ジャズバンドの演奏の場になる。

「巴蕪亭Von」

「駅前通り」を横断して旧特飲街への入口を望む。左が「Von」、右が「つぼみ食堂」で食堂の裏に「妙法寺」がある。私は北に足を向けて賑やかな界隈に入った。

旧特飲街への入口

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南片町遊廓跡では時間が止まっている(中編)

2008年09月28日 | 

赤線風の建物には何軒もの飲み屋の表示が見られたが、営業している雰囲気は感じられなかった。裏手はあのボロボロに傷んだ妓楼に隣接している。

旧特飲街に残る「旅館」

厳つい造りの旅館があった。屋号を見て戦前の娼楼のそれと同一であることに気づいた。こういう旅館は身元の不確かな客は断っているのではなかろうか。どん突き(T字路)を左に曲がった先にあった「東仲店」が取り壊されて更地になっていた。

「東仲店」は既に取り壊されていた

古い建物を修繕して維持するには十分償却可能なことが前提条件になる。高齢となった土地所有者が現状に見切りをつけて売却するのも納得だ。赤線廃止から既に50年。行政や周囲の住民から「負の遺産」と冷たく見放されて花街からの完全な脱却に成功した例を私はほとんど知らない。

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南片町遊廓跡では時間が止まっている(前編)

2008年09月27日 | 

長浜市の「南片町遊廓」跡は豊臣秀勝の菩提寺「妙法寺」の南から東にかけてのエリアだ。駅前通りと米川の支流に囲まれた、大宮町3、朝日町4辺りが該当する。

「妙法寺」

売春防止法が施行されてからは「色街」の歴史に終止符を打ち「飲食店街」として再スタートした。遊廓(赤線)から居酒屋、割烹、スナック、旅館などに商売替えし昔の建物を有効利用している。

川べりの旧「妓楼」

水路に面した手すりつきの「妓楼」は荒れ果てており、取り壊しは時間の問題と思われた。彦根市の「袋町遊廓」跡よりも規模は小さく随分と寂れていると言わざるを得ないが、薄暗い路地を歩いていると昭和初期の「迷宮」にタイムトリップしたかのような錯覚に陥る。

スナック「実南みなみ」

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長浜市高田町の「よじむ湯」

2008年09月26日 | 

煙突を目印に歩いて行くと左手はスナック街である。昔はこの道が「米川」の支流だったのだろう。

朝日町の「神明神社」

人の気配のない「神明神社」にお参りして高田町の銭湯にまわった。「よじむ湯」はレトロな造りである。私は「遊里」の近くの「高田橋」まで来た。川の流れる先が旧「特殊飲食店街」だ。

「よじむ湯」

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明治ステーション通りを東に向かって歩く

2008年09月25日 | 

「明治ステーション通り」は「旧駅前通り」のことで初代長浜駅舎から市立図書館までの間を指す。

「長濱浪漫ビール」

地酒「奥琵琶湖」の看板が立つ「樋口酒店」を通り過ぎて「朝日橋」を渡ると「長濱浪漫ビール」だ。湖北で唯一の地ビールを飲ませる食事処で結構繁盛していた。

「田町会館」前の街路灯

舟板塀前の人込みを抜けて東の方角に進む。最近明治時代のガス灯をイメージした街路灯が通りに設置された。

「日本料理ふじ石亭」の広大な敷地の角に短い石柱が建つ。よく見れば「八幡町」と彫ってある。昔の町名のようだ。細い脇道を北上して遠方に長い煙突を確認した。

朝日町の「ふじ石亭」は旧「紅梅荘」

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長浜城跡を遠目に眺める

2008年09月24日 | 

Hさんは以前飲みの席でこう語っていた。

「ここから長浜は近いから行ってみたらええわ。城跡やら見るもんはいっぱいあるぞ」


「長浜城」

JR長浜駅西口から公園町を目指す。高層マンションの前に「御馬屋跡」を示す石柱が建っていた。湖南道路の向こう側がコンクリート製の長浜城である。時計を見て「歴史博物館」に立ち寄るのは無理と判断し南下した。

「慶雲館」の表門

浅見又蔵の別邸だった「慶雲館」の斜向かいに「初代長浜駅舎」がある。これは現存する最古の駅舎で、美しい姿を目に焼き付けようと多くの観光客が足をとめていた。鉄道好きにはぜひ訪れてほしい場所だ。

「旧長浜駅舎」

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二度目の彦根ちゃんぽん

2008年09月23日 | 

背脂のプカプカ浮いた旨味調味料の肥溜めみたいなラーメンは肉体と脳味噌に悪影響を及ぼすので口にしない主義である。「豚脂は頓死のもとだ」と私は考えている(笑)

体を壊した後も義務感のようにバランスの悪い食事を続けて亡くなった元「●ー●●王」が頭に浮かぶ。忍耐力と分別があれば彼はもっと長生きできたろうと苦々しく思った人は多いはずだ。

麺とスープとたっぷりの野菜を一緒に摂ることで先のようなリスクは大幅に軽減できる。そういう意味で彦根ちゃんぽんは陳腐なラーメンよりはるかに上等だ。

すこぶる美味しいとは言い難いけれど和風だしベースのやさしい味には好感がもてる。卓上の酢を好みの量ふりかけると味がしまってあっさり食べられる。

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花しょうぶ通り商店街を見て感じたことなど

2008年09月22日 | 

袋小路から「花しょうぶ通り」に出て東の方角に進む。河原3丁目の「妙源寺」から「大雲寺」の門前は近かった。

河原1丁目にある大雲寺

ここから銀座方面に引き返した。商店街を歩いて床屋が多いことに気づいた。レトロ調の「宇水理髪館」は昭和初期のコンクリート建築である。

「宇水理髪館」

「魚浩」の店先で主婦が晩のおかずを吟味していた。好物の鰻があって思わず手が出そうになったが、泣く泣く我慢した。

「魚浩」

旅から戻って「花しょうぶ通り商店街」のHPがあることを知った。そこでは遊廓の歴史について詳細な記述があり大いに参考になった。


私は彦根と同じ城下町で生まれ育った。今ではすっかり寂れて虫の息となった商店街の東側に「新町遊廓」の流れを汲む旧赤線地帯が残っている。飲み屋街として辛うじて機能しているようだが、健全な若者には見向きもされないエリアになってしまった。

どんな町の歴史にも光と影はあるのだ。都合の悪い事実(一部の人間にとって)に墨を塗り公的な記録からことごとく抹消しようとする愚かな行為は町を衰退させた一要因だと思う。

また、目先の欲にとらわれるだけで客を呼び込む努力を放棄した商店街の主に「知恵」と「先見性」が無かったことは明白だが、最も欠如していたのは下町の人間としての「プライド」だろう。

「花しょうぶ通り商店街」のように余裕をもって過去の歴史を後世に語り継ぐことができなかったのは黒い団体とべったり癒着しているから、という冷たい見方もできる。「広島県東部=ガラの悪い地区」と認識されては、いつまで経っても観光客は増えない。

旧城下町のランクはピンからキリまである。先に述べた通り、我が町は最下位から数えた方が早い(笑)

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袋町遊廓跡を彷徨う(その3)

2008年09月21日 | 

由緒ある妓楼を見つけて足をとめた。他の建物とは明らかに造りが違い、風格と歴史を感じた。入口内壁の仕事には職人の「遊び心」すら見える。

彦根市河原2丁目のスナックA

続いて小さなスナックが建ち並ぶ界隈に移動した。やはり女性の名前をつけた飲み屋が多いが、「水曜日の朝」とか「客恋坊」のような洒落たネーミングもある。

彦根市河原2丁目のスナックB

スナック「公爵」の前にあった立て看板の太字を読んでほくそ笑んだ。車は通れなくても人は‥‥‥。私は口の中でぼそぼそと「玉の井」の有名なフレーズを唱えていたのである。

彦根市河原2丁目のスナックC

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袋町遊廓跡を彷徨う(その2)

2008年09月20日 | 

「花しょうぶ通り」まで真っ直ぐにのびる細道の右側が河原1丁目に当たり「るんびにー保育園」と「大雲寺」がある。

そして左側から2丁目(遊廓跡)となるのだが、十字路はなくT路(どんつき)ばかりで地図を持っていてもどこを歩いているのかわからなくなる。暫く私は不思議な空間である「袋小路」を彷徨った。

保育園斜向かいの旧「朝日楼」

売春防止法施行後、楼主は転業を余儀なくされた。今も営業を続ける料亭や旅館などは昔の屋号をそのまま使っているのが結構ある。

「皆遊」

「飛田新地」のような派手なコンクリート建築が少なく、落ち着いた色合いの木造家屋が多い。これは彦根市が戦災を受けていないからだろう。旧妓楼の玄関に残る色褪せたプレート類がかつての「色街の繁栄」を静かに物語っている。

営業許可証

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袋町遊廓跡を彷徨う(その1)

2008年09月19日 | 

横断歩道を渡って「橋本町歴史」に目を通した。江戸時代、芹川に唯一架かっていた橋の袂に立地することからこの名がついたそうだ。明治になって「袋町」という名に変わり遊廓が作られた。現在の河原2丁目である。

浄願寺

堤を更に進むと左手に「浄願寺」、ビジネス旅館KTが見える。遊廓時代の屋号を旅館名として使っている。「恵比須橋」の手前の階段を下りれば飲食街だ。道路脇に小さな祠と常夜灯(石柱)があった。

芹川堤

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芹川沿いのケヤキ並木

2008年09月18日 | 

彦根城を築く際に「芹川」沿いにケヤキが「防護堤」として植えられた。築城は慶長9(1604)年に始まっているので樹齢が400年を超えているものもあるということだ。

私は胴回りが1m以上の巨木を見て驚くとともに納得した。江戸時代の情景を想像しながら堤を歩いて「芹橋」の袂に出た。

彦根市芹橋交差点

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割烹で食した珍味(後編)

2008年09月17日 | 外食

「カニ入り長芋のネギ焼き」は秀逸な一品。すりおろした芋にカニの身と青ネギを混ぜて焼いたものでトロトロの食感だ。素朴な味わいながらも鍋底にお焦げが出来ているので微妙な変化を楽しめる。

一夜干しを炭火で焙る

「カワハギの一夜干し」を客自らが好みの加減に焼いて食べる演出が憎い。炭火で焦がさぬようにさっと焙り口に入れた。淡白な魚を干してアミノ酸分解を待つのは実に理にかなっている。瀬戸内でポピュラーな造りや煮魚とはまた違った良さがある。

イカの塩にぎり

しめは名物「塩にぎり」。飲んだ後にちょっとお腹に入れたいという客の欲求を十分に満たす。他にもネタは選べたが、イカを注文した。イカの上にはアンチョビがのっていて、この塩気と旨味で寿司を食べるのだ。柔軟な発想の出来ぬ古臭い「喰い切り料理屋」が腰を抜かすメニューだった。

「体を蝕むラーメン(毒入り餌)」が大好きなタコスケが冷やかしに出掛けるのを防止するためにあえて店名は伏せておこう(大笑)

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割烹で食した珍味(前編)

2008年09月16日 | 外食

独特の発酵臭と爽やかな酸味が特徴の「鮒寿司」。微生物の作用と作り手の愛情によって深い味わいが生まれる。1切れで生ビールが1杯飲めるほど。我が国における寿司の歴史を研究する上では外すことができない食品だ。

続いて鯨の「尾の身」。霜降りだが、決して脂っぽくはない。和牛刺しを軽く凌駕する上品な旨みがウリだ。貴重な部位をゆっくりと噛み締めて目を細めた。本当に美味しいものはたまに食べるからこそ感動が大きいのである。

極上の尾の身に舌鼓を打つ

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