寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県津山市の材木町遊廓跡(前編)

2017年08月28日 | 
遊里研究のバイブルを読んで期待して現地へ行った人の殆どは落胆するであろう。時代の流れには誰も逆らえず建て替えが相当に進んでいる。

津山市材木町遊廓は岡山県津山市材木町及伏見町に在つて、作美線津山駅へ(※ママ)下車して東北へ約拾丁の個所に在る。津山は松平氏の旧城下で、城址は今鶴山公園に成つて居る。(中略)明治維新の際に、藩主松平氏が、市の繁栄を計る為めに補助金を交付して、初めて此の遊廓を設立したもので、他廓とは一寸其の行き方が異つて居る。従つて其の建物や構造等は一寸他廓の追従を許さぬものがある。設計者は当時の藩士榊原貞一氏であつた。目下貸座敷は十八軒あつて、娼妓は約九十人居るが、重(※ママ)に金県の女である。店は写真式に成つて居て陰店は張つて居ない。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と仕切花制とである。費用は一時間が一円五十銭で、午後六時から終夜は八円、引け過ぎからならば四五円程度である。勿論客の廻しは取らない。台の物は附かない、芸妓は呼べない。娼楼には、浪花楼、花月楼、一冨士、油宗、見晴楼、菊水、日の出、都楼、松月、鶴の家、松田、春日楼、昭和楼、岡田楼、小野恵、大正楼、一心楼、金本楼等がある。

『全国遊廓案内 昭和5(1930)年発行』



遊里への入口付近にかつての妓楼と思しき建物が数軒残るのみだ。色街の規模は(娼妓及び貸座敷の数の単純比較で)福山の新町遊廓の方が上だったようである。大正版『福山案内』には「遊廓 新町にあり、新町遊廓と稱す、妓樓及貸座敷四十八戸、娼妓九十一人なり」との記述あり。

『国内旅行』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 広島県・福山市立霞小学校北... | トップ | 広島県福山市三吉町南2丁目... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事