本郷橋には若草色の歩道橋(下流)が併設されている。私は東詰から中ほど近くまで歩いて先ず南方を眺めた。 沼田川の水量は少なく歩いて渡れそうだ。江戸時代、沼田川は徒歩(かち)渡し(増水時や冬季を除く)であった。旅人は草鞋を脱いで浅瀬をゆっくりと進んだのであろう。私は旧草津川(廃川)の情景を懐かしく思い起こした。 北の景色は非常に絵になる。左が新高山(にいたかやま)、右が高山。JR山陽本線の車窓からは新高山しか望むことができないので、ここまで歩いて来たのだ。三原に浮城が築かれる前は山城が普通の時代であった。