寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県津山市伏見町の刑務所跡

2017年09月04日 | 
材木町遊廓(追廻遊廓)跡から伏見町のゆめマート津山(イズミ)へ向かう。戦前の市街地図を見るとこの辺りが岡山刑務所津山出張所である。再び『角川日本地名大辞典33 岡山県』から伏見町の解説を引用する。

刑務所跡2

[近世~近代]江戸期~現在の町名。江戸期は津山城下の1町,町人地。明治22年津山町,昭和4年からは津山市の町名。古くは片原町といった(津山市史)。津山城の南に位置する。東は材木町,西は京町,南は吉井川,北は山下に接する。片原町の由来は,道路の南側にのみ家並みがあり,北側は城濠に面していたからである。「津山誌」によれば,元禄12年から北側にも家を建てることを許され,伏見町と改めた。町名の由来は,京町の東にあたることによるとも,京の伏見の繁栄にあやかるためともいわれている。元禄10年の城下町図によれば,家数36のうち持家26,借家10,人数476(男242・女234)。弘化3年に札元になった錦屋のほかに多くの有力な商人がいる商業町である。町の南河岸に臨んだ所に御木蔵と呼ぶ藩の材木庫と米倉,そして牢舎があった。(中略)本琳寺の寺域は広く,はじめ吉井川の土堤近くまであった。元禄年間に火災に遭い,天明年間の頃に再興,以後寺域が狭くなった。明治初期の戸数65・人口264(津山誌)。明治12年津山銀行が創立された。錦屋の森本藤吉が頭取で,支配人は浮田卯佐吉であった。浮田卯佐吉は,同13年当町で座繰製糸を,同20年子佐平が機械製糸を始め,同45年合名会社浮田製糸を設立,資本金25万円であった。世帯数・人口は,昭和45年114・322,同55年82・224。

ラジオ中継放送所

ラジオ中継放送所(拡大)

刑務所が最大規模を誇った時代には現NHK津山ラジオ中継放送所も敷地の一部だったのかもしれない(詳しい資料が手元にないので自信はないが…)。刑務所の歴史を遡ると津山藩の獄舎(明治5年津山懲役場に改称)に行きつく。美作騒擾の首謀者・小林久米蔵は獄内で首を刎ねられたと伝わっている。

刑務所跡3
コメント
この記事をはてなブックマークに追加