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クロード・レヴィ=ストロースが遺したこと

2016-11-28 21:28:25 | 教育 子育て


11月28日は、クロード・レヴィ=ストロースの誕生日であります。101歳の誕生日の少し前の2009年10月30日に惜しまれながら亡くなりました。まさに、知の「巨星落つ」です。

まず「文化(culture)とは?」

アメリカの文化人類学者のクライド・クラックホーン(C.Kluckhohn,1905-1960)は『後天的あるいは歴史的に形成された外面的・内面的な生活様式の体系』として「文化」を定義した。これは、文化人類学(社会学)で用いられる一つの定義であり、C.クラックホーンのいう文化とは、社会の全員・大多数や特定集団のメンバーによって共有されている生活様式の体系であり、この文化は人間が社会生活を送っていく中で親(先行世代)から子(後続世代)へ、社会集団から社会集団へと伝承されていく『社会的行動様式(social behavioural patterns)』であると定義する。

上記のような行動における価値意識(指向)であるいわゆる「文化」が、人間の行動様式にも影響しながら規定する。この点は、見田宗介著『価値意識の価値理論』:欲望と道徳の社会学(1996.弘文堂)に良く解釈されている。
「人間の幸福、善の問題、社会の理想像の問題等は人生に意味を与える内面的な要因である。この問題群を統一的分析の枠組みに入れ、経験科学の方法によって出来る限り追求してゆくための核となる「価値意識」の概念を捉えている。

目次
序 章 人間科学の根本問題
第一章 価値と価値意識─概念・次元・および類型
第二章 行為の理論における〈価値〉
第三章 パーソナリティ論における〈価値〉
第四章 文化の理論における〈価値〉
第五章 社会の理論における〈価値〉
第六章 価値意識研究の方法
結 語

それはまた、「価値とは何か?」に繋がっていく。
価値研究者であるミルトン・ロキーチ(Milton Rokeach)は、価値を次のように定義しました。「特定の行動のありようや存在の究極の状態が、反対のそれらよりも個人的にあるいは社会的に好ましいとする、持続する信念」(Rokeach, 1973, p.5)
さらに、価値の定義としては、シャローム・シュワルツ(Shalom Schwartz)は、「価値とは、望ましい、状況超越的な目標であり、程度の差はあれ、人々の生活を導くために用いられるものである」(Schwartz, 2005, p.1)と価値を定義している。

つまり、文化(価値意識)は多様でありながら、日常の行動は切り離せない。また行動主義のB.F.スキナーをはじめ、ドイツの社会心理学者であるKurt Lewin クルト・レヴィン(1890-1947)が唱えた、B=f(P・E)のようにBは行動(Behavior)、Pは、personality。個人の特性、能力、姿勢などを指し、Eは、Environment。人を取り巻く環境、状況、組織風土、周囲との人間関係また、PとEは相互に影響を与えあう。こうした公式に集約しながら、人間行動(B)を、個人(P)と環境(E)の相互作用で測れるのか?

話を戻して、レヴィ・ストロースの名著「悲しき熱帯」の日本の読者へのメッセージには、「もし日本文明が、伝統と変化のあいだに釣り合いを保つことに成功するならば、そして、世界と人間のあいだに平衡を残し、人間が世界を滅ぼしたり醜くしたりするのを避ける知恵を持っているならば、つまり日本文明の生んだ賢者たちが教えたように、人類はこの地球に仮の資格で住んでいるにすぎず、その短い過渡期的な居住は、人類以前にも存在し、以後にも存在し続けるであろうこの世界に、修復不能な損傷を引き起こすいかなる権利も人類に与えていない、ということを日本文明が今も確信しているならば、もしそうであれば、この本が行き着いた暗い展望が、未来の世界に約束された唯一の展望ではない、という可能性を、わずかにではあれ、私たちはもつことができるでありましょう。」と書かれている。

そういえば、かなり以前の放送大学で特別講義として、「文化の多様性の認識へ∼日本から学ぶもの」というタイトルのクロード・レヴィ. =ストロースの放送大学の講義があったのを思い出した。その内容は、以下の著作の第3講に記されています。

レヴィ=ストロース講義 現代世界と人類学
(平凡社ライブラリー)注記 『現代世界と人類学ー第三のユマニスムを求めて』改題書

20世紀最良の知的遺産たる構造主義は、21世紀世界の難問にいかに答えるのか。構造主義を提唱した文化人類学の泰斗が、性・開発・神話的思考など、アクチュアルなキーワードを通じて、第三のユマニスムとしての人類学の新しい役割を説く。日本文化への鋭い洞察を示す、一九八六年、東京での三回の講演と質疑応答を収録。

目次
第1講 西洋文明至上主義の終焉ー人類学の役割(人類の歴史と人類学/人類学とは何か/客観性と全体性を求めて ほか)/

第2講 現代の三つの問題ー性・開発・神話的思考(共通言語としての親族関係/「未開社会」の“人工受精”/“低開発”とは何か ほか)/

第3講 文化の多様性の認識へー日本から学ぶもの(人種決定論の誤謬/文化が遺伝を決定する/累積的社会・停滞的社会 ほか)

また、レヴィ・ストロースの日本文化に関する著作集である月の裏側 (日本文化への視角)には、「私は「はたらく」ということを日本人がどのように考えているかについて貴重な教示を得ました。それは西洋式の、生命のない物質への人間のはたらきかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化だということです。他の面では、ある種の能の演目でのように、ごく日常的な仕事に詩的価値を付与することによって、それらを顕彰しています。」
このように、レヴィ・ストロースは1977~88年の間に5度も来日し、日本を愛してくれていた。

誕生日なのだが、以下の内田樹さんの「追悼文」の内容にとても感銘を受けましたので、以下に紹介いたします。
http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/

内田樹の研究室

追悼レヴィ=ストロース
20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。

第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜本的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。
サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウ ロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基本構造」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同 年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64~71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。2008年11月には、100歳の誕生日に合わせてさまざまな記念行事が催された。(パリ共同)
新聞記事では「レビストロース」と表記してあったけれど、やはりこれは「レヴィ=ストロース」と書いていただかないと、かっこうがつかない。
Lévi-Straussは英語読みでは「リーヴァイ・ストラウス」。おそらくご同族の方がアメリカで労働着メーカーとして成功されたのであろう。それゆえ、学生時代の親友、故・久保山裕司くんは「リーヴァイスを穿いてレヴィ=ストロースを読もう」という名コピーを遺したのである。
レヴィ=ストロースとともにフランスの知性が世界に君臨していた時代が完全に終わった。
同世代の知識人たちはもうみんな亡くなっている。
アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロー=ポンティ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レイモン・アロン、エマニュエル・レヴィナス・・・
この人たちがほんとうに狭い知的サークルにひしめいていたのである。
ナチスの占領下のパリでパブロ・ピカソの戯曲『尻尾をつかまれた欲望』の上演会がミシェル・レリスの家で行われたことがあった。
演出はカミュ。ボーヴォワール、ドラ・マールらがこの豪華な文士劇に出演した。上演後、脚本家、プロデューサー、演出家を取り巻いて俳優たち観客たち(ジャン・ルイ・バロー、シルヴィア・バタイユ、ジャック・ラカンら)が記念写真に収まっている。
彼らはその場にいた知的・芸術的エリートたちがそれぞれどんな仕事をしているのか、よくは知らなかった。
けれども、自分たちがナチス占領下のフランスに残された「最後の知的・倫理的希望」だということはするどく自覚していたはずである。
そういう知的・倫理的負託感というものを私たちはうまく想像することができない。
私たちの国にはそういう意味での「エリート」というものが存在しないからである。
もちろん権力や威信や文化資本を潤沢に享受している人々はいる。才能のある人々もいる。努力して高い社会的地位を得た人もいる。
けれども、彼ら単に優越していることを言祝ぐだけで、おのれの「優越性」を「世界を知的・倫理的に領導する責務」として重く受け止めるというようなことは思いもしない。
20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」だという自覚を持っていた。自分の個人的な営為の成果がそのままフランスの知的威信と、フランスが世界に差し出す「知的贈り物」のクオリティに直結するということを自覚していた。
私の知的達成がフランスの知性の最高水準を決するのだという壮絶な自負と緊張感をもって彼らはそれぞれの仕事をしていたのである。
ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオン(哲学教授試験)の同期だった(サルトルは一回落ちたので、一年後輩)。
「アグレガシオンの同期」というのがどういう感じなのか私には想像もつかないけれど、お互いにどの程度の知的ポテンシャルをもった人間であるかについては、おそらくきわめて正確な相互評価をしていたはずである。
その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」いた。
試験のあいまに近くのカフェでちょっと休憩とかしているときに、「はは、楽勝だったねえ、さっきの試験」「オレ、時間あまっちゃったから、裏まで書いちゃったよ」などと声高に語って、まわりの受験生たちを怯えさせていた(そんなにせこくないか)。
でも、パリ大学出(ということは二流大学出ということである)レヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずである。
たぶん「世界でいちばん頭がいいのって、やっぱオレだろう」という自負をもっていたレヴィ=ストロース青年にとって、パリのブルジョワ的な鷹揚さは許しがたいものに映ったのである。
片隅でまずいコーヒーを啜りながら、レヴィ=ストロース青年は「お前ら、いまのうちにたっぷり笑っとけや。いつかその坊っちゃん嬢ちゃん面に泣きみせたるわ」と思ったのである(全部、私の想像ですけど)。
そんな気がする。
とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたのであった。
すごい話である。
自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち。
このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない。フランスにも、アメリカにも、どこにも存在しない。
そういう意味でも、ひとつの時代が終わったのである。
uchida : 2009年11月04日 12:27



著作の解説など、以下の松岡正剛氏のホームページが、大変に参考になります。

http://1000ya.isis.ne.jp/0317.html

レヴィ=ストロース
悲しき熱帯
中央公論社 1977・2001
ISBN:4121600045
Claude L vi-Strauss
Tristes Tropiques 1955
[訳]川田順造

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