硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

ノスタルジア。

2017-08-24 21:13:05 | 日記
デイサービスに勤めていると、まず、お年寄を自宅まで迎えに行きます。また、新規で迎えに行くとき、地図を確認してお年寄りの家を探すのですが、その家は20年前に付き合っていた女の子の家の近所だったのです。

僕と彼女の家はずいぶん離れていて、また、普段使わない道を通っていかなければならなかったから、お付き合いを断ってから、その道を通る事は無くなりました。でも今回、仕事上どうしてもその道を通らなければならなかったのですが、不思議と当時の記憶が少しづつ蘇ってきたのです。女々しいと思われるかもしれませんが、想い出が記憶の何処かにあったのです。

行く道の風景そのものは当時とあまり変わらなかったけれど、彼女の家にお邪魔する時に手ぶらではいけないと立ち寄ったお店はもうなくなっていた。

幹線道路から路地に入ると彼女の家が近づいてきて、このあたりだったかなぁと前方の家を観ていると、かすかな記憶の中に彼女の家の面影を見つけた。表札には彼女の苗字。
間違いない。家の前の通り過ぎる時、すこし観てみたら、家は二世帯住宅に建て替わっていて、家の軒には使い古されたベビーカーがと小さな自転車が置いてあって、広くなった駐車場には可愛い車も止まっていた。

付き合っていた頃、結婚に踏み切る勇気がなく、急にモテ始めて勘違いをしていた僕は、彼女の気持ちを汲み取ることをしなかった。今思えばぐずぐずだった自分が嫌になるけれど、あの時の選択は今の彼女にとっての幸福に繋がっていたのかなと思った。彼女は長女さんだったから、きっと優しい旦那さんと子供たちと彼女の両親と暮らしているのだろう。

それと同時に、別れを切り出した時彼女が言った、
「あなたは、人を好きになる事がどうゆう事だかわからないと思う」
という言葉が、胸にチクッと突き刺さった。

この歳になって、ようやく彼女がどういう気持ちで言ったのか痛いほどわかるようにはなったけれど、過ぎた時間は取り戻せないのだから、どうする事も出来ない。

お年寄りをのせて車を走らせると、公園の横を通った。その公園は当時、公園を作る為の基礎工事が終わったところで、二人でなにもない公園を訪れた時に彼女が嬉しそうに、
「この公園、今は何もないけれど、木がたくさん植えられて、みどりでいっぱいになるんだよ」と言っていた通り、緑が一杯の公園になっていた。
しばらくは、この道を通る事になるけれど、遠ざけていた風景に少しづつ慣れてゆけば、ノスタルジーな気持もやがて解けてゆくのかなと思う。

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