硝子戸の外へ。

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介護という仕事についての散文。 その2

2015-04-03 15:50:19 | 日記
あのような事件が起こるたびに、介護職員なのにどうして思いやりに欠けるのかという疑問をずっと抱いてきましたが、介護という仕事を客観的に考えてゆく上で、少し視点を変え「愛」や「思いやり」や「受容」という言葉を意図的に使わないで表現してみることを試みた結果が前回の散文なのです。

しかし、改めて読み返してみると、やはり、自身でも少し異様に感じます。

でも、逆に考えれば、人が人を支えるという働きの起源は、宗教的な思想から発生しているので、「愛」や「慈悲」という普遍的な思想が欠落していては成り立たないということであり、介護というビジネスとして立ち上げてしまうと「愛」や「慈悲」がなくても成り立ってしまうという矛盾に陥ってしまっているように思うのです。

それでも、普遍的な思想が無くならない限り、希望も無くなるわけではなく、人が人である以上、その働きも、形を変え未来へ受け継がれてゆくものだと思うのです。