硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

時代の声を聴け。

2015-02-13 21:59:29 | 日記
いつも同じ話を繰り返す認知症のおばあちゃんが、何かの拍子で小学生時代に体験した話をし出した。これは新たな話が聞けるかなと注意深く傾聴してゆくと、その話に驚きとともに恐怖を感じた。

お婆ちゃんが小学生の頃、戦場に行く若者を見送りに多くの人が駅のプラットフォームに集まり、皆で日章旗を振りながら「勝ってくるぞと勇ましく~。」と歌ったそうであるが、その間、戦場に行く若者の母は下を向き、涙を流していた。
少女はその様子を見て可哀想にと思ったが、涙する母を見て「泣いているわ。」と、言って笑っている人が何人かいるのを見て、子供ながらにとても不快に思ったという。

美輪明宏さんが戦中に体験した若き兵士を見送った話も胸に突き刺さったが、生身の、しかも記憶がなくなりつつある人の口から聴く体験談は、それ以上に不気味さを感じた。

戦場に行ってしまえば、生きて帰ってこれぬかもしれない我が子を国の為に送り出すのであるから涙を流すのは普通であろう。それは他人ごとではないのだから悲しみも共有されるのが普通なように思う。
しかし、当時は人としての普通の感情を表に出してはならなかった。そして歪められていった。

統制されたイデオロギーは時として、人の心の感情さえ歪めてしまうほど危険なものであり、ナショナリズムは行き過ぎると人の命さえ自身の物でなくなる。
お婆ちゃんの体験談は体験を通して現実としてそれを示している。

今の時代をけん引している人たちは、お婆ちゃんの体験を次世代の子供たちに追体験させぬよう舵を取らなければならないし、それが義務であり、それこそ大儀であるように思うのです。