探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

第13回巡墓会「池上本門寺巡墓会 第1回」を開催しました

2016-05-23 00:52:52 | イベント
会員のカネコです。
昨日、5月22日(日)に第13回巡墓会「池上本門寺巡墓会 第1回」を開催いたしました。
初夏を思わせる暑い1日となりましたが、参加者24名(講師含む)の方にお集まり頂き、無事終了することが出来ました。
参加者の皆さまに厚く御礼申し上げます。

本門寺は数年前から巡墓会の候補として挙がっていたのですが、やっと実現することが出来ました。

本門寺で行った巡墓会で解説した人物は以下の通りです。

中野石翁 お美代の方養父(カトケン・釣先生)
阿部正蔵 町奉行・阿部正外の父(釣先生)
加藤清正 肥後熊本藩主・七本槍・虎退治(カトケン)
鍵屋 花火師(クロサカ)
竹本正雅 外国奉行(カトケン)
日蓮 日蓮宗開祖(クロサカ)
狩野家 幕府絵師(カトケン)
能勢家 旗本・能勢妙見(カネコ)
金保元泰 幕府医官多紀家(カトケン)
加藤忠広 肥後熊本藩主(カネコ)
紀州徳川家 徳川御三家(クロサカ)
三木之次 徳川光圀育ての親(カネコ)
池上幸豊 池上新田開発者・国産砂糖功労者(カネコ)
津軽大石家 大石内蔵助一門(カネコ)
上田松平家 信濃上田藩主(クロサカ)







釣洋一先生もお越しになり、中野石翁・阿部正蔵の解説をして頂きました。

今回も「墓マイラー」として各方面で活躍しているカジポン・マルコ・残月さん、『乙女の日本史』シリーズの著者滝乃みわこさん、『静岡戦国武将墓巡り』の著者岩堀元樹さんにご参加頂きました。

今回私は、加藤忠広・三木仁兵衛之次・武佐夫妻・池上太郎左衛門幸豊・津軽大石家というマニアックな人選で挑みました。

加藤忠広は熊本藩主加藤清正の2代目で改易され庄内に配流となった悲劇の藩主です。この忠広の代に先日の熊本地震と同規模の地震が起こり城が倒壊したという話を拾い出し解説しました。

三木仁兵衛之次・武佐夫妻は水戸黄門こと徳川光圀育ての親。この子孫である三木啓次郎は松下幸之助を支援した人物で、松下に浅草雷門を再建することを薦めた人物です。しられざるその人物像に迫りました。

池上太郎左衛門幸豊は川崎の新田開発をした郷土の名士ですが、老中田沼意次の支援を受け、各地にさとうきびの栽培と砂糖の製造を伝授した国産砂糖産みの親です。

津軽大石家は忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の一族で、赤穂浪士を影から支えた一族です。知られざる大石家の子孫達の話をしました。久々に本格的な系図も作成しました。

毎回、あまり知られていないエピソードを国会図書館などで掘り起こし紹介していますが、今回も調べていて、驚くような発見がありました。この会は自分のスキルアップにもなっています。

運営に関してはまだまだ改善の余地があると思いますので、今回の反省点など幹事メンバーで話合い、次回以降に反映させて行きたいと思います。

懇親会には15名のご参加を頂き、様々なお話をさせて頂きました。
釣先生もお元気なご様子でした。

参加者の皆さまには改めて御礼申し上げます。
本門寺様にもこの場を借りて御礼申し上げます。

次回巡墓会につきましてはまた決まり次第、当ブログ上にて告知いたします。
引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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★レジュメの訂正
配布したレジュメに誤字がありましたので、訂正いたします。
P.7 11行目
誤)奥野→正)奥津
P.7 23行目
誤)丸に桔梗→正)花菱
P.33 15行目
誤)昭和年(1982)→正)昭和57年(1982)
P.33 22行目
誤)七代良興→正)九代良興

★落とし物のご連絡
加藤清正墓近辺で折りたたみ傘の落とし物がありました。心当たりのある方は幹事メンバーまでお知らせ下さい。


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