Tanaka masaru

田中 賢ブログ

ライブのお知らせといろいろ

2012年06月24日 08時44分46秒 | 日常と音楽
 このあいだ、久々にのんびりした昼下がり、ニコの音が聞こえてきた。同僚のとある方が弾いてることは知ってたし、数年前にはいっしょに演奏したこともあったので、ちょっと立ち寄ってみた。ボランティアで老人ホームに今週末も演奏しにいくとのこと、すばらしい。で、何曲か聴かせていただいたあとに、ちょっと弾かせてもらうこととなった。
 まずとても軽いのだ。持ち運びにかなり便利そうだ。太腿の上にのせるとちょっと不安定感が・・左手でネックを支えながら弦を押さえていくのは、かなり力をぬいておかなければ難しい、まして、スライドさせて音と音をつなぐのは。2本の弦の間でゆみを動かし、この角度はとても微妙であり、音もきれいに出たりかすれたりしてしまう。ギターみたいにフレットがないので、音程をとるのもなかなか難しいが、これは慣れていけそうだ。ともかく、「でんでんむしむし、かたつむり」を弾くことには成功した。ビブラートは思いのほか難関で、指というよりも手頸を動かすんだそうだ。両手、両肩の力は知らないうちにはいっているからね、どんな動きも不自然である。とはいえ、この初めての体験はピアノやギターを弾いてるときとはまったく違う感覚だった。ほんとうにうまく弾きこなせたなら、メロディーを自由に弾くことができれば、さらに深い音を出せたなら、ひょっとして、歌うことより気持ちいいんじゃないかなあと思えた。とても良い時間だった。
 毎日は同じことの繰り返し、というのではつまらない。心が固まってしまって、ついつい自分はできるような気になってたりする。ほんとうはなんにもできてないのにね。新しい感覚っていいものだ。人の脳は絶えずそういうものを求めてるのかもしれない。
 いろいろなところで話しながら、歌ったり、飲んだりしているこのごろなのだ。みんないろいろな立場や人生経験からいろんなことを言うのだ。なるほどなあ・・・と思えたり、独特のものごとのとらえ方だなあと思ったり、でもそれがその人が今まで生きてきた道を反映しているのだなあと感じて、あー、いろんな人がいてよいのだなあと思ったりする。みんながみんな、おんなじことを言ってたら、これほど気持ち悪いことはないのである。というわけで、東洋医学にはまったく関係のない人にも、十四経脈の歌のCDをふとわたしてみたりしている。
 さてさて、一瞬にして、このライブが決定した。大好評企画、アラン・スミシー・バンドの樫本さんとのカバーライブが場所を変えて実現です!彼の絶妙のボーカルに合わせて、僕はピアノのみに集中できる、二人の間の暗黙のコンビネーションみたいなものを自分でも心から楽しんでいる。ちなみに、このお店にはグランド・ピアノがあるそうです!ちょっと急ではありますが、ぜひぜひ聴きにきてくださーい!

■2012年7月3日(火) レストランバー・Lawrence
大好評企画「THE WAREHOUSE」が場所を変えて梅田・お初天神にて開催。田中賢と樫本英之さんとの洋楽カバーユニットです。

OPEN 18:00 / START 19:00
Live Charge 2,000 Yen+店内での飲食代

【アクセス】
東梅田駅から119m、お初天神通り
大阪府大阪市北区曽根崎2-10-19 河合ビル 3F
TEL: 06-6313-0265

レストランバー・Lawrence
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27009997/


 8月16日(木)には、京都モダンタイムスでの田中賢久々のライブも決定!そろそろ自分の表現ともまた向き合ってみる時なのかも。詳細はまたアップします!

 では、またお会いしましょう!お元気で!



「歩く」という歌が歩き始めようとしている!

2012年06月14日 23時25分46秒 | 日常と音楽
 「歩く クリックで曲が聴けます

 暑い夜です。みなさん、元気でしょうか?
 発表してきた歌たち、発表されず僕の手元に密やかにある歌たち
合わせると何百曲あるだろうか?できの良し悪し
どれだけうまく思いが伝わるか
ということについては様々だが
どの歌にもその時々の思い出がつまっていることは確かだ。

 歌を作る、表現するということと、20年以上、正面から取っ組みあってきたように思う。考えてみると、ちょっと真面目にやりすぎたかもなとも思ったりする。
若い頃はそういうのにもずいぶんあこがれていたが、今になってみると、ちょっとはずかしい。そして、歌には人生は反映するが、人生は歌のようにはなかなかいかないのだということも、身にしみて分かるようにもなったのだ。ようやく。

 とある学校があと数年で創立100周年を迎えようとしている。
そのメインテーマ曲として、「歩く」が選ばれたようである。うそのような、本当の話だ。
 この歌は数年前に、僕が受け持ったクラスにむけて、卒業式の日におくった歌である。その1年間の思いを歌にした。

 そして、自分のその時の精神状態も反映されている。毎日の生活のなかで生まれた歌という気持ちなのだ。
 とあるコンサートの打ち上げにギターを持っていってた。学校の同僚の方々と楽しく歌って、その流れで「歩く」を歌ってみると、これはいいんじゃないか、100周年の歌として・・・みたいに話がもりあがった。それから、時間が流れ、100周年の歌として、という話が現実的になってきて、僕なりに歌詞を改めて、今回の決定に到った次第である。

 とはいっても、ライブではすでに何度もあたりまえに歌っている歌だし、もともとからして、100周年用に作ったというわけでもないので、自分の中ではごく自然に今後も歌っていきたい歌なのである。
 この歌に関する想いみたいなものは、これからいろんな場所で語っていくことになるだろうけれど、それはそれ、僕は歌うことを、表現することを、心から楽しんでいきたいと思う。そして、いろんな人たちとつながっていきたいと願う。いろんなもろもろを抱えながら、それらをポジティブなエネルギーに変えて、前に向って歩く、そんなイメージが広がっていけば、うれしいのである。
 十四経脈の歌についても、だいぶ反響があって、楽しみにしてくれている人たちもいるみたいなので、いよいよあと6曲、がんばって作ってみようと思う。日々頭をひねりながら、今は膀胱経のイメージを膨らませているところである。そんなに暇なわけでもないが、できるだけ楽しいことを考える時間を増やしていきたいと思うようになっている。
 ついさっき連絡があり、またまた新たな場所で、アラン・スミシー・バンドの樫本さんとのカバー・ライブが実現しそうである。7月の最初になるようだ。日程はタイトだけれど、こういうのは勢いだから、やってみよう!と、すぐさま返事したのである。例のごとく、酔っ払った頭で。

 8月には、久方ぶりに自分のオリジナル曲によるライブもやれそうになってきた。
こちらは京都である。こんなに何にも考えていない僕であっても、時には自分の言葉というものに疲れてしまうことがある。オリジナル曲を歌うことは時としてつらいものなのだ。が、東洋医学においても、「陰極まれば陽となる」という考え方があって、うんうん、そのとおりだなあと、一人で納得しているのである。やっぱり、酔っ払った頭で。
 ともあれ、これから数年は、「歩く」という歌のごとく、歩き続けていくのかもしれない。歌い続けていくのかもしれない。それはとてもうれしいことだ!
 みなさん、どうかどうか、「歩く」をあたたかく見守ってやってくださいね!そして、大切に歌ってやってくださいね!必要とあれば、どこへでも歌いにいきます!この歌の作者として。

 ではでは、また!



関連ページ 「歩く

十四経脈の歌のブログができました!

2012年06月02日 20時55分38秒 | 日常と音楽


 もう6月になっています。みなさん、お元気でしょうか?

 ちょっとライブからはとおざかっていますが、あわただしい毎日を元気に過ごしています。

 なんと十四経脈の歌のブログができました!我らがHPの管理人Kがこの歌たちを面白がってくれて、さっそくにも作ってくれたのです。うそのような本当の話なのですが、ともかくありがたいのです!

 言葉の羅列をただ単に覚えるっていうのはどうも僕のしょうに合わないのですね。いろんなイメージを大切にしながらも、やっぱり笑って覚えたいのです。だから、本気で遊んでみることにしました。

 毎日の生活には苦しいことがとても多いですね。真面目に考えすぎたら心が潰れてしまうくらい。現実はそう簡単には変えることはできないし、どうしようもないことだってたくさんあります。それでも、僕らは今を生きているのですね。とてもありがたいことなんですね。

 苦しみのうちのたったひとつでもいいから、ちょっと楽しめるようになれたらいいなと思います。

 長い道を歩いて分かることもあるんでしょう。あの苦しさが、実は自分を大きく成長させてくれたんだなと思うことだってあるんでしょう。そんな経験を誰かに話したり、誰かの苦しみを受け止められるようになったり、あれほどたいへんだったことが、誰かの助けになっていたりもするんでしょう。

 中学1年生の時、先輩の歌に感激しました。彼は中途で視覚障害を負ったわけですが、そのやりきれなさと、これからは頑張って前に進んでいくぞという決意を、ギターをかき鳴らして叫んでいたんです。心が震えましたね。苦しい経験から立ち上がろうとする気力みたいなものが、僕の体にぶつかってきて広がりました。

 傷ついた経験をメロディーにのせるということ、どちらかといえば自分の胸のおく深くに埋めておくような言葉たちを歌にすること、これはネガティブな感覚をポジティブな形へと変える作業なのかなあと、感覚的に、その時も、今になっても、そう思うのです。

 あの頃の僕には言いたいことが山ほどありました。ギターが少し弾けるようになったら、誰かの歌を覚えるよりも、まず歌を作ることに夢中になりました。そして、今もそれだけは変わらないことなのです。

 歌っていうのはほんとうに不思議です。悲しい言葉でもメロディーにのせると、なぜだか面白くなるし、へたをすれば、「いい歌やねえ!」なんていうことにもなるのです。

 日々の暮らしもまた、そんなふうにやっていけたらと思うのです。身近なところでも、世界中でも、いろんなことが起こり、悪いことも多々あって、それでも前に進んでいくために、何か面白いことはないか、ひとつでも楽しみに変えられないかと考えながら過ごしているのです。それが僕の人生の仕事なんじゃないかなあと、ふと思うのです。

 十四経脈の歌たちが、たいへんな勉強の中で、ほんの少しでも楽しみを増やしていく小さな助けになればと願います。

 とはいっても、いちばん楽しんでるのは、この僕なのです。ちょっと遊びすぎているかも・・・怒られるんじゃないかと心配にもなりますが・・・。これだけ何度も歌入れをしたり、チェックするために聴いたりすれば、つぼの並びについては、もう忘れることはありません。きっと。たぶん。きっと。

 というわけで、今週は心経の歌のイメージを固めつつ、本日録音が完了しました。最初のイメージとはずいぶん変わったけれど、イメージどおりにいかない時にこそ、自分なりの工夫があったり、あきらめずに続けてみると、ちょっと突き抜けるような感覚を得られたりするのかなあと思います。この歌は心経の表裏関係にある小腸経が完成したら、またアップしようと思います。

 聴いてみようかな、と思っていただけた方は、田中賢のHPのトップページから「十四経脈の歌」へ遊びにきてくださいませ!

 もうすっかり暑い夜、そろそろビールですかねえ。

 みなさん、またお会いしましょう!それまで、お元気で!



田中 賢 十四経脈の歌(経穴の歌)