小さな農園

日々の労働と想いをつづります。

伊那市高遠町の産直

2012-02-18 06:17:16 | お花

 冬の季節、屋外での作業をする農業者にとっては退屈な時期となります。体を動かさないことが、思考力をも衰えさせるようです。

 さて、伊那市高遠町に住む方の主催する会のチラシを偶然眼にした。内容は、

「私たちの会は同じ地域に住む農家と消費者が共に農の恵みとリスクを分かち合うことを目指して生まれた新しい形の産直システムです。食べ物を作っているいる人と食べる人とが手をつないで‘食べ物をもう一度自分たちの手に取り戻す‘活動です。」

「かつて人々は自分の創りだしたモノに誇りを持ち、それらで人が助かったり、喜んでもらうことにその価値を見い出してきました。しかし、「喜びが大きいほど高く買ってくれる」という貨幣のみでモノの価値を判断する傾向が出てきて、思考の逆転が起こりました。高く買ってくれることを思考するモノづくり、また、高く売れるモノを作ることに喜びを見出してきたのです。そして、お金さえ多く手にすることができる人が憧れになってきたのです」

こんな内容のチラシでしたが、興味深い活動に思われました。

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朝市、一休みです

2012-01-21 09:29:12 | お花

 毎週土曜日に行っている朝市を本日で一休みとした。4月下旬から再開になる。辰野町の旧市街地で高齢化率も高い地域での開催であるが、人の出が少ない。毎週来てくれる人の話を聞くと、今の時期青物野菜が欲しいとのことであるが、提供は困難である。各スーパーに直売コーナーが設置されている中、朝市の時代は終わりなのかもしれない。そんなことを思いながら朝市を一時休みとした。農作物を地域で循環することが、私の目標であるが、道は大変厳しいものがある。

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ほかいびと

2012-01-14 07:06:11 | お花

映画「ほかいびと」を観た。映画を観るのも年何回もないが、今回は映画館へ足を運んだ。伊那市に住む北原明さんはこの映画について次の3点に注目している。(長野日報への寄稿による)

 井月は武士としての生き方と絶縁し、家族・友人・知人などの人間関係や一切の栄耀栄華を捨て、ほかいびととして伊那の地にやってきて野たれ死に同様に終局を迎えるが、この映画はそのような生の深い意味を問いかけているいるのではいか。

 明治の新時代は四民平等の文明開化を標榜する近代国家でありながら、むしろ井月のような生き方を許さない社会へと転換し、徴兵制や徴税など個人を捕捉する装置を作動させるといった前時代との逆転現象を生じてしまったのではないか。

 例えば田んぼを耕作するトラクターを畔に立って見つめる井月が登場する場面があるが、そうした映像をみながら、「歴史とは現代と過去との対話である」を天啓のように思い出してきた。「過去」は共同体などが生き生きとと機能した社会であり、「現在」は物質文明や機械の前に人間の主体が危うくなったそんな時代である。

 大変難しい寄稿文である。映画は伊那谷の美しい風景が随所に観られる。近代国家として歩み始める「明治」、この映画を参考にどのような時代であったのか考えてみることもよいのでは。

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冬の野菜

2012-01-11 17:52:33 | お花

 先日、玉ねぎに追肥をした。この寒さのなかで玉ねぎは大きくなっていないが元気に生きていた。定植したときより小さくなっているようでもある。玉ねぎが甘くなるようにぼかし肥料を使用した。春になってこの肥料が効果を発揮することを願っての作業である。この時期屋外での作業は大変である。本日はほうれん草の収穫をした。ほうれん草もこの寒さのなか、ゆっくりであるが成長している。野菜の生命力に驚くばかりである。現代ではスーパーに行けば年中野菜を購入することができる。ここには野菜の命を感じることはないであろうし、いつでも食することができ、有難みはあまり感じられない。消費社会は食べ物の命を感じさせなくしている。

 

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成長依存から方向転換を

2012-01-09 09:27:14 | お花

 本日の信濃毎日新聞に見田宗介さんの記事が載っていました。現代社会はどこに向かうのか。私たちは新たな年をどう生きたらいいのかといった問にたいする見田さんの意見である。その中で

 「3.11以降、私たち人間の幸福とは何かと、根本に立ち返って考えざるを得なかった。基本的に大事なのは健康、愛情、自然です。貧しい時代や地域には健康を保つために経済成長が必要でしたが、今の日本でこれ以上成長すると、環境を破壊し、放射能をまき散らす事態になる。」

 「成長という近代の狂気から目が覚めれば、そこに、永遠に発展し続けることができる世界が開かれているのです。」と述べている。

 現代社会は成長を大前提に動いている社会である。成長により多くの貨幣を得ることを目的とした社会である。そうすると、成長を否定することは現在の仕組みを根本から否定することとなる。成長を否定するのでなく、「成長とは異なる価値観」が問われているような気がする。

 

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