久喜市長 田中 暄二(たなか けんじ) ~久喜市の発展のために~

職員一丸となって日々公務に励んでいます。

日々の公務や生活を通じ、感じたり考えたりしたことを発信していきます。

平成28年度全国都市問題会議

2016年10月18日 | 日記
平成28年度全国都市問題会議が、「人が集いめぐるまちづくり」をテーマに、10月6日(木)~10月7日(金)の2日間にわたり、岡山県岡山市で開催されました。

第1回大会が昭和2年に大阪市で開催されて以来、今年で78回目です。

戦前は隔年で開催されていましたが、戦後は昭和23年に開催されて以来、毎年、全国各地で開催されています。

残念ながら埼玉県で開催された事例は一度もなく、多くの大会が関東以西で開催されています。

全国市長会総会が、6月に、内閣総理大臣を来賓に仰ぎ、東京で開催されますこともあるのか、秋の全国市長会議たる都市問題会議が関東地方で開催されることは、大変少ない状況です。

ちなみに、このところの開催市は、大分市、高知市、長野市、岡山市です。

長い歴史を持つ全国都市問題会議が、埼玉県で開催したことが一度もないという事実は、参加者を受け入れる宿泊可能人数等の問題もありますが、埼玉県市長会長としては、大変寂しい気がしております。

大会二日目の行政視察では、歴史上、豊臣秀吉の水攻めで有名な、あの備中高松城跡(公園)を視察して参りました。

天正10年(1582年)、織田信長の命を受けた豊臣秀吉が、毛利軍との戦いの中で、軍師 黒田官兵衛の戦略「天下の奇策 高松城水攻め」によって、敵将 清水宗治を切腹せしめたことは有名な故事です。

明智光秀の謀反により、本能寺で織田信長が倒れることになりますが、「弔い合戦」を大義にかかげた秀吉は、光秀討伐のため京都までの道のりを急いだ「中国大返し」のお話は、あまりにも有名ですね。

私は、今回初めて備中高松城を訪問しましたが、城跡の公園の遺跡、清水宗治首塚の横に立つ碑に刻まれた宗治の辞世の句

「浮世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」

を読み、古き戦国時代を思い、今なお、我が身を捨て、秀吉軍との和睦にこぎつけた英雄として、地元の人々に愛されている清水宗治を偲びました。

清水宗治が切腹してから数時間後に、清水軍は、明智光秀の謀反を知ることになります。

もう少し、清水軍に情報収集能力があったならば、清水宗治の切腹はなかったかも…。

全国都市問題会議は、会場での様々な講演、パネルディスカッションなどの学習のレベルが高く、とてもありがたい一面に加えて、屋外での備中高松城跡の視察などの学習の場もあり、私にとっては、中身の濃い魅力ある会議です。


一緒に参加した久喜市議会議員の皆さんと都市問題会議会場で



行政視察で訪れた備中高松城跡の清水宗治首塚で












<下記、広告は、田中けんじ とは関係ありません。>


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