晴耕雨読

本年三月に退職、現在は京都で通勤農業に励んでいます

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筆を折るの記

2010-05-30 10:24:36 | Weblog
第二の職場を70歳で引退し、これから何をして生きようかと考えていたとき、畏敬する門間先輩からブログをやってみないかと勧められ、ご指導を受け第一号を平成18年の10月23日に発行した。
先ず第一部として「自分の教育史」みたいな雑文を書き綴った。
第二部としては、日新中学校に校長として着任以来週に一度「日々新たに」と題した手紙を先生方に出し続けた。着任当時から教育委員会に17年もいたものが校長としてきたのだから「何かあるのではないか」という警戒心が強い中で私自身の教育観を理解してもらうために一号一号に願いをこめて書いたものである。
これらの中から新任の教員や指導に困っている先生がいれば、これを読んで貰えば多少は参考になるのではないかと思うものを抜粋して紹介した。
第三部には月に一度ずつ「校長からの手紙」を家庭に届けていたので、その中から家庭教育の参考になりそうなものを選んで紹介した。
学校から家庭に届けられるこのような文章には、二つのタイプがある。一つは「情報伝達タイプ」である。学校のその月の行事や催し、連絡事項などが中身になっている。
もう一つは「世論形成タイプ」と名づければ良いような内容を意図的に伝えるものである。
尼崎の生徒の学力が低いとか非行が多いとかいわれつづけてきた。実際に生徒と生活をともにしながら生徒の家庭の様子をうかがってみると、「この子はこんな家庭状況の中でよく育ってきたな」と思うような家庭がある。
私は家庭が生徒にとって「最も安心して心休まる場」であって欲しいと願っていた。そのため大変おこがましいことであったが、私の考える家庭のあり方について訴え続けた。
それらを抜粋したものが第三部である。
門間先輩の「みどりの館」。金生先輩の「昆布が美味い」。植垣先輩の「BLOG雲流水」。いずれもカラー入り、動画入りで見るものをあきさせない。ただ文字の羅列に過ぎない私のブログとはその技術の差が余りに大きいので恥ずかしい限りである。
さて、突然「筆を折るの記」を書いたのは、4月の初めに「多発性転移性肝癌」が発見され可なり手遅れの状態であり、「余命」のカウントダウンが始まったため、きりをつけておいたほうが良いのではないかと考え、この一文を書き記した次第です。読んでいただいた方々に厚くお礼を申し上げます。
なお今後の生き方については、「座して死を待つより積極的に生きていく」ことを旨としたいと考えています。
今まで京都で野菜をつくり、一人暮らしの人や障害を持った人、あるいは友人知己に味わっていただいていたことは今後も続けたいと思っています。
さらに、機会があれば私の生涯の研究テマーである「人権の問題」「人権尊重の精神を基底にした教育の推進」「生徒を大切にした生活指導」「望ましい家庭教育」「子育ての基本」などについて話し続けたいと考えています。
最後にみなさんのご健康を祈念します。  合掌
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もう一つの教育を  

2010-05-04 20:03:05 | Weblog
私は尼崎市の教育委員会で14年間同和教育に関わる仕事をしてきた。したがって学校の校長としても学校運営、生徒指導等の面で「人権の尊重」をもつとも大切な柱と位置づけ、日々の教育活動を推進してきたつもりである。しかし、この思いが時には「からまわり」でしつかりと「地」についていないことを思い知らされることもあった。

     「もう一つの教育を」

11月5日から始まった文化発表会も10日の演劇鑑賞を最後に無事終わりました。随分たくさんの保護者の方々も参観してくださいましたし、展示、合唱、演劇等生徒たちが遅くまで一生懸命準備したり練習したりした甲斐もあり、立派なできばえだったと評価しています。

     <残念です>

この文化発表会に追われている間に、椀田公園で落書きがありました。10日の朝礼で「落書きをした者は名乗り出るように」と言っておきましたところ、「落書きをしました」と名乗り出てくれましたので、「ホッ」としているところです。
しかし、この落書きの中に「ガイジ」という文字があったことは、私にとっては大変ショックなことでした。また、調べてみると生徒たちがこの「ガイジ」という言葉を時折使っている事実があることを知り、非常に悲しい気がしています。
「ガイジ」というのは、「障害児」から出ているもので、いつ頃からかはわかりませんが、本校の限らず、生徒たちの間で友達を馬鹿にしたり、ののしったりするときに使っているようです。
このようなことから考えると、この「ガイジ」という言葉には、「障害者に対する差別的な感情」を含んでおり、「差別語」だといえます。

     <前任校での経験>

私は前任校に4年いましたが、この学校には、難聴学級とこの3月に卒業しましたが、二人の車椅子利用の生徒がいました。
前任校の生徒は毎日のようにたくさん遅刻してきます。この遅刻ゼロにするのに二年かかりました。
また、市内の他校生徒と乱闘事件をお越し、新聞やテレビで報道されたりもしました。本校生徒と比べると、随分ダラシナイところが多い、しかも荒っぽい生徒がいる学校でした。
しかし、これらの生徒も難聴学級や車椅子利用の生徒に対しては随分心を配ってくれました。
難聴学級の生徒が、交流学級に来たときには,周囲の者が、先生の指示や言葉を「サッ」とノートやメモ書きにして伝えるということを自然にしていました。

     <車椅子は我々の手で>

車椅子生徒についても涙の出るようなことがありました。車椅子の生徒が教室の移動をするときは、4人の生徒の手で車椅子ごと抱き上げたりだきおろしたりするのですが、時によると人手が足りないことがあります。そこで生徒の負担を軽くしようと移動用のキヤスターの導入を考え、試運転をしていたときでした。
いつも積極的に車椅子の上げ下ろしにかかわってくれている生徒が「そんなの可哀想や」「我々が手伝えなくなる』と言ってくれたのです。
今は『障害者と健常者がともに生きることが大切だ」といわれています。前任校ではこのスローガンが実際に生きていたと考えています。

    <もう一つの気養育の目的>

本校へきて、感じたことはどの生徒もきつちり躾けられており、前任校で労力を注いだこれらの指導に殆ど力を注がなくてもよいのでありがたいと思っています。
ただ生徒の一人ひとりに「温かみ」「人間くささ」が薄いような気がしてこの点が気がかりだったのです。
今回の「ガイジ」という落書き、あるいはこの言葉が生徒の口の端にのぼつたことはこのへんに原因があるのではないかと反省しています。
学校でも同和教育や特別教育活動を通して『障害者理解」はもちろんのこと「差別や人権」について今一度深く考えます。
家庭におきましても「学業の問題」「躾けのこと」の他に、「人情味豊かな人間の育成」についても考えていただければと願っています。  
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手紙をもらいました

2010-04-10 10:50:56 | Weblog
4年間勤めた日新中学校から平成4年4月1日塚口中学校に転任になった。下町の雰囲気が強く「先生よろしくおねがいします」という鷹揚な日新中学校とちがい、尼崎での有数の高級住宅地を含む塚口中学校では保護者の教育への関心は高く、学校に対しても批判的な雰囲気も感じられた。
こんななか、私は学校の雰囲気がどうであれ、本音で教育に取り組むことにした。

     <手紙をもらいました>

去る5月13日の夕方、校門のポストの中に、私宛の一通の手紙が入っていました。切手が貼っていないので、わざわざ学校のポストまで持ってきてくださったのでしょう。

     <金曜日にガツカリ>

「・・・今日は先生にお願いをしようと思いペンをとりました。実は参観日のことなのです。子供が持ち帰りました手紙を見てガッカリ。またまた金曜日なのです。
一年生のときも二年生のときも参観懇談日はいつも金曜日なのです。
 私ごとで恐縮ですが、火、金のみの仕事をしている私はどんなに参加したいと思ってもできないのです。
 勿論、ほんの少しの時間抜けることは可能ですが、他の仕事仲間への迷惑を考えると時間ばかり気になって、落ち着いておれません。まあ、これだけ働くお母さんが増えた現在、せめて曜日を固定せず、たとえば1週間まるまるを5時間目なら5時間目はいつでも参観どうぞとか、1年間全て曜日を違えるとか、何らかの措置をとっていただきたいのです。
 また、思春期の子供たちにとって父親の関わりはとても大切です。それなのに日曜参観なし。体育大会、文化発表会ともに平日では、父親が学校へでかける機会を学校自ら奪っているように思えます。せめて土曜日に参観があれば行ってもらえるのにと、残念でなりません。
 去る5月10日の日曜日、お隣りの武庫東中学校では日曜参観があり、多数のお父さんが行かれたとうかがいました。うらやましい限り・・・一母親」
 「あと残りわずかの中学校生活」という文言がありましたので、三年生の保護者の方からではないかと思います。

     <同じことを>

 5月15日の二年生の野外活動説明会の後に、一人のお母さんが校長室に来てくださいました。
 このお母さんも「参観日の曜日をなんとかできないですか」との申し入れでした。
 「なんとか学校の参観や行事に参加したい。だけどパート勤めもあるので」という気持ちが伝わってきます。
 最近では、ほとんどと言ってよい程、お母さん方が仕事をしておられます。一人ひとりのお母さんの都合に合わせて、学校行事を組むのは「至難の技」といわなければなりませんが、出来るだけ曜日が固定しないように心がけたいと考えています。
 また、「土曜日、日曜日の参観」については、校内事情もあり、早急にとは行きませんが、校内で検討していきます。

<ご意見には耳を傾けます>

 4月の着任以来、お叱りの電話やお手紙をいただき、みなさん方がお子さんの教育について強い関心をお持ちのことがハダにつたわってきます。
 私の教育についての基本的な考えは、以前にも申しましたように、「生徒を大事にする」「生徒の幸せを実現する」ということであります。したがって、みなさん方が「自分の子は大事にされていない」「自分の子は学校生活を楽しんでいない」と感じられることがありましたら、率直に申し出てください。
 ただ、匿名である場合、万一学校で把握していることと申し出ていただいたことの間にソゴがある場合、確認のしようがありません。
 また、申し出ていただいたことについて、学校として処置したことの報告のしようもありません。したがって、できればお名前を聞かせていただきたいと願っています。
 さらに、電話の場合、電話をとらせていただいてすぐお叱りの言葉が飛び出してくることがありますが、時によると、私自身、十分事情を把握していない時もありますので、多少の余裕がいただけたらと思います。
 要するに、生徒の幸せを実現するため、保護者のみなさんのご意見を聞きつつ、学校と家庭が一体になって教育を推進しなければなりません。
 みなさんのご協力とご支援をお願いします。

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子どもを苦しめないで

2010-03-10 08:35:58 | Weblog
生徒の非行の背景には家庭がある。家庭が子どもにとって「やすらぎ」の場でないとき、子どもは安らぎを求めて「仲間」へと身を寄せていく。この仲間の多くはそれぞれの家庭からはみ出してきたものであり、心情がお互いに理解できるだけに「強い絆」で結ばれることがある。しかも親や家庭に対しての不満を「非行」というかたちで表現することもある。
生徒の非行の防止には一にも二にも「家庭が子どもにとってやすらぎの場」であることである。

      「子どもを苦しめないで」

「先生、kが施設から出たと電話をしてきたのですが、そちらの学校へ行っていませんか」と、kが"お父さん"と呼んでいる人から電話がありました。
kは他校から転校してきて、極くわずかな期間、本校に在学し、また転校して行きました。
転校後、いろいろな事情があって施設で生活をしていたのですが、今回、無断でそこから抜け出してきたのです。

      <励ましの言葉>

"お父さん"から電話があって間もなく、kからも電話がかかってきました。とにかく学校にくるよう説得し、電話をきりました。
学校に来ることを渋っていましたので、「来るだろうか」「来ないのではないだろうか」と気をもんでいましたら、友達二人を連れてやってきました。
「どうして無断で出てきたの」
「家に手紙を出しても返事が来ないのや」
「事情があって家を変わったらしいが、先生らにもどこに変わったかわからん」
「そしたらオレだけほったらかしやないか」
こんな会話から、どうやらお母さんのことが心配になって、出てきたことが分かりました。
本校に在籍したのは僅かな期間ではありましたが、顔見知りの先生が次々に校長室に来て、彼を励ましたり諭したりしてくれました。
彼も久しぶりに懐かしい先生方の顔を見て、初めの厳しい顔つきから次第に温和な顔つきに変わっていきました。

      <同じようなことが>

これと同じようなことが以前にもありました。母親が家出を繰り返し、姉弟が血のつながりのない"お父さん"と一緒に生活をしていたのですが、弟の生活が乱れ、手を焼いた"お父さん"が学校に助けを求めてこられました。
この子らの場合は、母親の田舎が分かっていたので、学校から田舎へおくったことがありました。
この他にも親の身勝手といえる行動のはざ間で、不安定な生活を余儀なくされている生徒もいます。
これらの生徒をみていますと、「何かしてやりたい」と思いますが、形式的にせよ「親」がいる以上は法の建前から「どうにもならない」ところがあります。学校としてただ、励まし勇気づけることくらいしかできないことに忸怩たる思いがします。

      <お願い>

保護者の皆さんにお願いしたいことは、親や大人も自分の生活を大事にされることは結構なことなのですが、「年端のいかぬ」子どものことだけは忘れないで欲しいのです。
中学生になりますと、体つきはいかにも大人のように見えますが、精神的にはまだまだ未熟であり、目の前の「夫婦の争い」や「親の家出」などは耐えられないことなのです。
精神的な緊張が続き、それが極限に達しますと、それから逃れるため、時には「非行」へ走ることもあります。また、時には、「不登校」となる場合もあります。
さらに勉強が手につかなくなり、「成績が急速にさがったり」もします。

      <家庭のことは親の責任>

このようなことに、子どもを追い詰めないように皆さんのご協力をお願いします。
学校でも生徒たちを毎日観察し、生徒たちが「危険信号」を出していないかを見極めるようにしています。「何か」があれば、カウンセリングにより、心の緊張の解消に努めていますが、家庭内のことになりますとおのずと学校に出来ることに限界があります。
「家庭のことは親の責任」で解決し、子どもに被害が及ばないようにして欲しいとお願いします。

k君の件は一旦施設に返し、兄弟の転校先をたどり大阪府下に母親がいることを突き止め施設に連絡くした。(これは便りにはのせていない)

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早いうちに「芽」を摘もう

2010-02-10 07:46:18 | Weblog
ガンなどの難病について「早期発見、早期治療」ということがいわれる。生徒の非行についても同じだと思う。非行に走る前には前兆行動がみられる。例えば「服装が乱れる」とか「夜間外出が増える」などである。
これらのことは親が少し気をつけて子どもの行動に注視すればわかることである。もし、このような前兆行動が見つかったときは、親が根気よく指導することが大切である。

     早いうちに「芽」を摘もう

先日の「校長からの手紙」で「時には厳しい親であって欲しい」と訴えました。最近、在校生は勿論ですが、卒業生の消息を知るにつれ益々この気持ちを強くする次第です。

     <やっぱり治らんな>

ある日の夕方、バス停で一人の卒業生に出会いました。大変美しく化粧をしています。
「こんな時刻からどこへ行くのん」「アルバイトに行くねん」「どこへアルバイトに行くのん」「スナツク」「君はまだ18歳になっていないのとちがうのん」「先生、私もう18歳になっているのよ」「それでも、まだ生徒の身分でスナックのアルバイトはよくないね」
こんな会話をしているうちにバスがきて、彼女は阪神尼崎の方向へ去っていきました。
翌日、早速彼女が在学している高校に電話をして担任の先生と連絡を取りました。

     <同じようなことが次々と>

彼女は高校入学以来、何回か家出を繰り返し、親もホトホト手を焼いているようで、「どんなことがあっても、必ず家に帰って寝る」ことを条件にアルバイトを許したというのです。
この子のほかにも、高校在学中であるのに「同棲生活」をしている子もいます。また、高校在学中ですが一ヶ月以上も家を出たままの子もいます。

     <親も次第に慣れてきて>

在学生の中にも、いろいろ問題を抱えた生徒がいます。学校として、担任や生徒指導係りが必死になって指導に当たっていますが、なかなか行動が改まりません。
時には、保護者の方に学校に来ていただき、指導の仕方や生活の立て直しについて話し合います。
一年生の保護者は顔色を変えて学校にはしってこられます。そうして、学校の話を真剣に聞いてくださいます。
しかし、回が重なったり、二年生、三年生になると「またか・・」というような気持ちがありありとうかがえるようになり、遂には呼び出しても出てきてもらえなくなることもあります。

     <最初が大切>

中学校を卒業して後、問題を起こす生徒を見ていますと、例外もありますが、多くの場合、中学校在学中に「芽」があったように思えます。この芽を完全に摘み取れているかどうかが、高校になって影響してくるようです。
中学校時代に、社会の約束ごとをしっかり守る習慣を身につけさせることです。
身につけさせるべき約束ごととして、「服装を整える」「決められた時刻に遅れない」「夜遅くまで外出しない」゜無断で外泊しない」「無駄遣いをしない」「予習復習をしっかりする」などです。
これらあたりまえのことをしっかり守らせることが大切ですし、もし、守れないようなときには、保護者として厳しく指導しておくことが大切です。
最近の親御さんは、一度か二度は注意されるようですが、それでも聞かないときはアッサリあきらめてしまわれるか、「先生なんとかしてください」となります。
本来、躾は家庭教育として、親の責任ですべきものです。このことをお座なりにしておきますと、高校生くらいになると手がつけられなくなってしまいます。
中学校時代には、勉強も大切ですが、このような躾はもっともつと大切なものです。
基本的な生活習慣の確立に、親として毅然とした態度で臨んでいただくことをお願いします。
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時には厳しい親であって欲しい

2010-01-05 09:29:37 | Weblog
昔は恐ろしいものとして「地震・雷・火事・おやじ」があげられた。この言葉はそれぞれの家庭で父親は「恐ろしい存在」であったことを示すものである。
私も父が仕事から帰ってくるころには、部屋を片付け、靴などをそろえておくよう躾けられたものである。
おやじ(父)に限らず母も時には「おそろしい」存在になることがあった。
しかし、残念ながら現在は子どもに理解のある(?)親ばかりになり、それが子どもの躾に影を落としているのではないかと思うことがある。


     「時には厳しい親であって欲しい」

「・・ですが、今日はカゼで休ませていただきます。担任の先生によろしくお伝え
ください」「2年X組の・・ですが、用事が出来ましたので休ませて貰います」
このような電話が、朝7時30分頃から9時過ぎまでひっきりなしにかかってきます。
これは「学校を休むときは連絡してください」という学校からのお願いを保護者の皆さんがしっかり守ってくださっているからです。

     <一方でこんなことが>

学校は8時25分に予鈴がなり、8時30分から担任が教室に行き、出欠をとります。
最近、8時25分の予鈴に遅れてくる生徒がめっきり少なくなりました。「遅刻ゼロ」の日が続くことがあります。
しかし、一校時遅れ、あるいは二校時遅れの生徒がいますので安心はできません。
教室で出欠をとった担任が職員室に帰ってきてからが「戦争」なのです。「・・さん、どうしているの。今、起きたとこ?。急いで学校へ来なさい」「・・君のお宅ですか。・・君欠席していますが、どうしているのですか」このようなやりとりが2時間目が始まる頃まで続きます。
これらの家庭では「欠席するとき学校に連絡してください」という学校からのお願いを忘れておられるのです。
遅刻したり欠席したりするする生徒にはいろいろな理由があります。病気、通院、家庭の用事。これらはっきりした理由のある生徒の欠席はやむをえないことであり、連絡さえしていただければいいのです。
ここで問題になるのは「怠学」が原因で欠席する場合です。

      <毅然とした態度を>

担任と保護者との電話のやりとりを聞いていますと、悲しくなるようなことがあります。
「まだ寝ているのですか。早く起こしてください」
「それが、さっきから起こしているのですが、なかなか起きないのですよ」
最近のお父さんやお母さんの様子を見ていて気づくことは「親が正しい」と考えたことを子どもにきっちりと伝えたり、実行させたりすることができないことです。
「早く起きて学校へ行くのは当たり前」ということは、お母さんは分かっているのです。ですから「起こしておられる」のですが、「起きてこない」時、フトンを剥ぎ取ってでも起こす勇気を持ち合わせておられない親が多いようです。
その背景には、「子どもから悪く思われたくない」とい気持ちがあるように思えます。
なぜこんなことをいうかと言えば、お母さん方と話していると「先生から言っていただけませんか」「学校で決めてもらえませんか」というような言葉をよく口にされるからです。
私は子どもの意に反することでも、時には親が毅然とした態度で「決定」をすることが大切だと考えます。
民法第820条に「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」とあり、同第822条には「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し」とあります。これは、子どもの教育と躾の本来の責任は親にあることを示しているのです。
親が子に真剣に対峙した時、子に親の気持ちが通じるものと思います。

     <登校できない子もいる>

欠席について述べましたが、欠席の原因もう一つに「心因性」のものがあります。これが原因で欠席していることを「不登校」「登校拒否症」などと呼び、今大きな社会問題になっています。
本校でも例年20名前後いますが、「保健室登校」「校長室登校」「時間外登校」などいろいろな方法を講じて対応しています。
初期の対応が大切です。「もしや・・」と感じたときには学校に相談してください。
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生徒が安心して暮らせるように

2009-12-04 09:19:39 | Weblog
私は生徒たちの生活指導、学習指導を効果あるものにするためには、生徒たちの生活基盤である「家庭」が生徒たちにとって「心休まる」ところで無ければならないと考えてきた。そのためには学校としても生徒たちが家庭に対して持つ不安や不満について出来る限りその解消に側面から援助するよう努めた。

      「生徒が安心して暮らせるように」

最近、毎日のように生徒たちの難しい問題が校長室に持ち込まれます。「お母さんが病気になった」「商売がうまくいかない」さらには「親が姿を消した」などなど。
このような問題に関係している生徒たちの話を聞いていますと、いたたまれなくなってきます。それと同時に、学校として、校長として「なんとかしなくては」とおもいますが、その対応には限界があり、強い挫折感におそわれます。

      <良い環境で育てられる>

このような厳しい環境の中で、歯をくいしばって頑張っている生徒を見るとき、「頑張れよ」と叫びたくなりますし、この苦しみに負け、不登校になったり、非行に走ったりしている生徒を見ると、胸が引き裂かれるようなおもいがします。
 児童憲章には、
   児童は 人として尊ばれる
   児童は 社会の一員として重んぜられる
   児童は よい環境の中で育てられる   とあり、
さらに すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術を持って育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる とあります。

     <家庭の機能>

「児童は良い環境で育てられ」「家庭で正しい愛情と知識と技術をもって育てられ」なくてはならないのですが、最近の生徒を取り巻く様子を見ていますと、この児童憲章の主旨は生かされていないように思われます。
それでは、生徒たちにとって最も大切な「家庭」とは、一体何なのでしょうか。
家庭の持つ機能としては 1)新しい世代を生み、それを育てる機能 2)夫婦が生活し、子どもや老人を扶養する機能 3)くつろぎの場としての機能 4)文化的遺産を伝達する機能 があげられます。
これらの機能の中で、学校の立場から見て、もつとも大切なものは「子どもや老人を扶養する機能」と「くつろぎの場としての機能」です。

     <厳しい環境>

中学校に在学中の生徒は、言うまでもなく未成年者であり、親やそれに代わる大人の世話のもとで生活をさせることがあたりまえなのです。
しかし、現実には「生徒の一人暮らし」もあるのです。いろいろな事情により、親と子が一緒に生活できなくなったときには、「親の責任」として公的施設の世話になるよう手続きをとってほしいのです。
私もこのようなケースでは、福祉事務所や児童相談所と協議して、公的施設への収容を働きかけていますが、最後には「親の同意」でどうにもならないことがあるのです。

    <大人の責任>

もう一つ、両親がそろっていても、いろいろな理由で家庭内のいざこざが絶えず、生徒が「帰宅拒否症」で、夜遅くまで友人の家に居つづけたり、家出に近い状態で知人のアパートで生活し、生活が次第に乱れている生徒もいます。
大人でも、家庭の中に心配事がある場合、気分的にすっきりしません。まして、年端もいかない子どもにとっては「大変辛い」ことです。「大変しんどい」ことです
生徒たちが安心して毎日が生活できるように、生徒たちが心からくつろげるような家庭であるように、今の家庭がどうであるか考える必要があります。



 


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卒業生も頑張っています

2009-11-10 08:44:20 | Weblog
毎年3月になると生徒が卒業していく。学校として、卒業生の担任として「卒業させてしまえばおわり」ではない。卒業生が新しい進路先で頑張ってくれれば進路指導は成功といえるし、逆にすぐ進路先をやめてしまうようなことがあれば進路指導は間違っていたことになる。
私は卒業生を担任した先生方には、卒業後のホローを強くお願いした。私自身も卒業生送り出した後は、必ず5月から6月にかけて一人ずつに葉書で卒業後の様子を聞くことにしていた。
半数ぐらいの生徒から近況を知らせる返事をもらった。その返事の内容は進路指導のありかたの反省資料となった。

       「卒業生も頑張っています」

4月の末から5月の初めにかけ、卒業生がたくさん学校に来てくれます。得意満面の様子で学校のことや職場のことを話してくれる子もいます。
また、自分の考えていた学校や職場でなかったため悩んでいる様子が見える子もいます。
時折、職員室で「卒業生のめんどうはいつまでみるのだろう」という声がでます。私は「卒業生のアヌターサービスは、最低一年間はお願いしたい」ということにしています。
本当は、一年たっても二年たっても卒業していった生徒のことは気になるものなのです。

       <こんに手紙を貰いました>

3月の卒業と同時に、親元を離れ奈良県下の会社に就職し、働きながら定時制高校で学んでいる二人の卒業生から二通の手紙を貰いました。そのうちの一通を紹介します。
  To校長先生へ
こんにちわ。お久しぶりです。校長先生、お元気ですか。
私は、元気です。仕事のほうは、少しなれたけれどなかなか憶えられなくて大変です。毎日毎日足が痛くてすごくイヤです。
早番のときは、朝5時に起きでつらいです。朝起きるたびに「やめたい」と思います。それでもなんとかがんばりつづけているうちに、奈良へ来てもうすぐ1ヶ月になります。
寮の先輩の中にはイヤな先輩もいるけどほとんどいい先輩ばかりです。同級生とは皆と友達になれました。
寮も初めはすごくいやだったけれども今は来たときよりも楽しいし、これからはもつとたのしくなるんじやないかなぁと思います。「住めば都」とはこのことでしょうかねぇ。
学校もしんどいけど でも楽しいです。授業もわかりやすく説明してくれまし、クラスのみんなとも仲良くなれたし、あとはこの生活になれたら文句なしです。
中学生活よりすごくしんどいけどなんとか4年間がんばりたいです。
それでは叉いつか書きます。いつになるかわからないけど日新へも遊びにいきます。
                     From H
今まで学校へぎりぎりの時刻に登校していた生徒が、朝5時に起き、一日中たちつめで仕事をしているのかと思うとかわいそうな気もします。
しかし、人はそれぞれこのような厳しい環境を通り抜け、成人していくのだといえます。苦しさに負けずに頑張って欲しいと声援をおくりました。

       <市尼の生徒も元気でした>

去る5月14日に記念陸上競技場で、市立尼崎高校の体育大会があり、見学してきました。
今年も百人を超える卒業生が市尼に入学しています。顔を合わせるたびに「先生、こんにちわ」「次に出るから見ていてや」などと口々に声をかけてくれました。
それぞれが高校生活を満喫している様子であり、嬉しい気持ちにひたったひとときでした。

      <進路について考えよう>

このように、嬉しい便りとともに悲しい便りも届きます。
「・・さんが高校やめた」とか「・・君が会社に行っていない」というものです。この春の卒業生で、すでに仕事をやめたひともいますし、学校にあまりいっていない子もいます。
社会問題の一つに「高校中退の問題」と「中学卒業生の職場の定着率の問題」があります。この問題の背景に、生徒一人ひとりが自分の進路について「しっかりした考え」をもつていないことがあげられます。
学校では1年生の時から「進路」について考えるようにしています。家庭においても「進路」について、話し合う機会をもつてください。
適切な進路を選ぶことによって、学校で、職場で生徒が目を輝かせて頑張れるようにしたいものです。
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楽しい修学旅行でした

2009-10-13 09:35:19 | Weblog
学校にはいろいろな行事がある。これらの行事の中で生徒たちは教室で見ることの出来ない「かお」をみせる。とくに修学旅行、野外活動と「宿泊を伴う」行事ではそれが顕著である。
私はこれらの行事を通してみた生徒たちの「かお」を保護者のみなさんに伝えることによって家庭での子供のしつけに役立てていただきたいと願い情報の提供に努めた。

      「楽しい修学旅行でした」


去る4月16日の8時に、学校を出発し志賀高原熊の湯での二泊三日のスキー修学旅行は19日の早朝全員無事帰校し、三年生にとって中学校生活で最大の行事も無事終わりました。
昨年に続いてのスキー修学旅行でしたが、今年の旅行では、初日は夏を思わせるような快晴のもとでのスキー実習、二日目は午前中は台風のような強風の中で、午後は大雨の間隙をぬっての実習と大変変化に富んだ旅行でした。

       <春、真っ盛り>

校庭の名物の藤の花のつぼみが少しふくらんだ様子を横目に見て、旅行に出発しましたが、名神高速道路の彦根付近から、満開の桜がバスの中に飛び込んできました。
中央高速道路に入ると、桜のほかに、梅、白の木蓮、真っ黄色のれんぎょう、雪柳など色とりどりの春の花が咲き競っていました。
雪のとけた地表には、タンポポなどの春の花が咲いているのが目に入りました。アルブスの山々にが、雪をいただいているのにくらべ、里には確実に春は来ていることがバスの中からうかがえました。

      <生徒の姿が見えてくる>

修学旅行や一年生、二年生の野外活動で、生徒たちと寝食をともにしていますと、学校生活の中では見ることの出来ない生徒の一面を見ることが出来ます。
今回もいろいろなことが目に付きました。例えばバスが走っていますと車窓に移り変わる美しい風景が飛び込んでくるのですが、生徒たちは特別な感激もしめしません。美しい風景や変化する景観よりも、カラオケやビデオの漫画により強い魅力を感じるようです。
この姿を見ていて、生徒たちの「感性の乏しさ」が気になりました。

      <朝食が食べられない>

ホテルで、朝食、昼食、夕食を二回ずつとりました。昼食はカレライス、ピラフと簡単なものでしたが、朝食、夕食は手の込んだものでした。
ところが、朝食はほとんど手がつかない状態です。このことから生徒たちの多くが、朝食抜きで登校しているのではないかと思われます。また、生野菜を食べることの出来ない生徒がたくさんいるようです。新鮮な野菜を食べる習慣を身につけさせる必要があります。
食事の後始末や寝具の始末も下手なように思えます。特に寝具の始末の下手な原因は、ベットの生活が普及し、毎日、フトンを片付ける習慣がなくなっているためかとも考えられますが、これらのことがきっちりできる躾が必要なように感じました。

      <頑張る子と頑張らない子>

ほとんどの生徒がスキーをするのは初めてでした。大きな靴を履き、長いスキーをからだにつけるのですからね体力の消耗は激しいのです。
「アァ、シンドイナァ、先生もうやめよう」こんな言葉を口にする生徒がいます。
これとは反対に、「先生、もうちょっと滑らせて」「はやく、滑りに行こう」という子がいます。
新しいものに積極的に挑戦しようとする者と「しんどい」「おもろない」と消極的な姿勢を示す者がいます。当然のことですが積極的に挑戦した者の方が上達が早かったことはいうまでもありません。
レクリエーションでカラオケ大会をしました。女子生徒が男子生徒を圧倒して、のりにのっていました。学校の中での姿からは想像もつかないような姿を見せてもらった生徒もいます。
修学旅行をとおしていろいろ考えさせられる問題の提起があったようにおもいます。
出発のとき、つぼみであった藤が、帰校したときには見事な花をつけていました。



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親の責任

2009-09-09 10:20:10 | Weblog
最近中学生に携帯電話を持たせるかどうかが問題になっている。親として持たせたくないのだが、さりとて子供の「持ちたい」という願望を抑えることにも多少の迷いがある。できれば学校で一斉に禁止してもらえないかというような意見が堂々と語られている。こんな話を聞くと「親の責任をどう考えているのか」と腹立たしくさえなる。
私が現役の時代には「ダイヤル9ツウ」というのがあった。これはこの番号に電話すると情報が流れてくる代わりに莫大な情報料を請求されるのである。
ある保護者が「なんとかなりませんか」と駆け込んできた。「子供を指導できないのなら電話をはずしない」と答えたことがあった。
この二つに共通するのは「親の責任の放棄」である。私は時に触れ折に触れ「親の責任」の自覚を訴え続けた。


        「親の責任」

毎日のように、生徒が担任や生徒指導係りの先生に呼び出されて、校長室にやってきます。
本校では、教室に余裕がありませんので、校長室が会議室になったり生徒指導室になったり、保護者との懇談の場になったりします。
私は、校長室がこのように活用されることか大変嬉しいのです。なぜならそれぞれの学年の動きや生徒の状況が細かく把握できるからです。

         <生徒の背景にあるもの>

校長室で生活上の問題で指導を受けている生徒の様子を見ていますと、二つの原因があるように思われます。
先ず第一には、「家庭のなかの問題」が原因となっている場合。第二には「本人自身の挫折」が原因となっている場合です。
先ず第一の原因である「家庭のなかの問題」についていえば、家庭が子供にとって安らぎの場でなくてはならないのです。しかし、現実的には、子供にとって「家庭が安らぎの場」でないことが多いのです。
親が子供の顔を見るたびに「勉強しなさい」「早くしなさい」など指示や小言を矢継ぎ早に言います。親子の間で、会話や心の交流が途絶てしまっています。
さらに、子供にとって最も辛いことは、子供の前で親が争うこと、とりわけ「離婚」が語られることです。
子供が家庭のあり方について、自分で自分の考えや意見を主張することができる場合はいいのですが、このことが上手く出来ない子は現状から「逃避」しようとします。
それが「夜遊び」という形で現れたり、「喫煙やシンナーの吸引」、さらには「髪型」や「服装」を他のものと違えることによって、自己主張をすることがあるのです。
校長室で指導を受けている生徒の中には、このような子がたくさんいます。

        <挫折の経験が少ない>

もう一つは、生徒自身の挫折が原因の場合があります。「運動クラブに所属したが正選手になれず補欠になった」「英語が分からなくなった」「親友と思っていた友達が離れて行った」。このようなことが引き金となって、問題行動を起こすようになる場合があります。
私達の人生で、常に全ての希望が達成されたり、欲望が満たされたりすることはありえないのです。むしろ、人間の生活は常に希望は達成されず、欲求は満たされないほうが一般的です。
本来、子供たちは日常生活の中で、欲求不満を体験し、この欲求不満による子供の挫折体験が、子供の心の中に不満に耐える力を育てていくのです。
子供が小さいときから日常生活で、挫折を繰り返し体験していると、挫折に直面した時、それぞれの場で、どのように行動すればそれらをうまく乗り越えていくことが出来るか、また挫折しないように生きていくにはどうしたらいいかなどが身についてきます。
しかし、最近の子は、少人数の兄弟の中で生活しており、幼児期にこの「挫折」を体験していないことが多いのです。そのため、一寸した挫折にも、それを乗り越えることが出来ず、社会的に受け入れられないような行動、すなわち問題行動をとってしまうのです。

       <子育ての責任は親に>

第一の原因にしても第二の原因にしても、結局は「大人の責任」に帰することが多いことが理解していただけると思います。
子供を健全に育てるためには、先ず、家庭が子供にとって、本当に安住の場であることが必要です。
また、子育ての段階で、子供の言い分をそのまま認めるのではなく、時には厳しくその言い分を抑えることも大切です。
子育ての責任は大人、とりわけ親にあるのです。

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