川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪偉人顕彰団体協議会総会開催される

2016-04-24 21:53:18 | 日記
                   (挨拶をする5つの偉人顕彰団体の代表)

 松阪市内の5つの偉人顕彰団体で結成されている松阪偉人顕彰団体協議会の平成28年度総会と記念講演が4月23日、松阪市本町の松阪市産業振興センターで開催されました。私も会員となっていますので出席させていただきました。

 この協議会は、松阪の偉人たちの顕彰・普及啓発等の活動を通じ、市民の郷土意識の高揚と市内外の地域との交流を促進することを目的として4年前(平成25年9月29日)に結成されました。
 参加している団体は、「松阪開府の祖・蒲生氏郷を讃える「蒲生氏郷公顕彰会(代表 高島信彦 設立H21.4.29 会員数150名 )」、北海道の名付け親で探検家の松浦武四郎を顕彰する「松浦武四郎記念館友の会(代表 飯田秀 設立H20.5.11会員数135名)」、茶産業の振興に尽くし、茶王と呼ばれた大谷嘉兵衛を讃える「茶王 大谷嘉兵衛翁の会(代表 大櫛英治 設立H13.9.9 会員数25名)」、射和が生んだ殖産興業の先駆者・竹川竹斎や俳人の大淀三千風などを研究している「射和「昔を語る会」(代表 濱 博之 設立H9.4.1 会員数14名)」、松阪の生んだ豪商として今なお活躍している三井・小津・長谷川の各家を顕彰している「松阪商人を語る会(代表 大喜多甫文 設立H10.2.14 会員数25名)」の5つの会です。

 総会では平成27年度の事業報告・決算報告、28年度の事業計画・予算案を審議しました。役員選出では、会長に高島信彦氏(蒲生氏郷公顕彰会)、副会長に大喜多甫文氏(松阪商人を語る会)、理事に各顕彰団体の役員の皆さんが再選されました。また顧問に竹上市長が新たに就任しました。 

 記念講演では竹川竹斎の末裔で東竹川家13代当主、現在(社)松阪観光協会 専務理事の竹川裕久さんが「勝海舟を支えた射和の商人たち」というテーマで、竹川家と勝海舟の交流の様子を話されました。

 伊勢商人は大阪商人、近江商人と並んで日本三大商人の1つで、江戸や大阪で活躍しました。このとき本店は射和に残し、江戸などでの店の管理は使用人に任せていたということです。伊勢商人が栄えたのは室町時代に丹生で水銀がとれ、伊勢白粉で富を築いたことや、伊勢神宮に人が集まってくるので情報が得られたことなどがあげられます。
 竹川家、竹口家、国分家の三家があり、
 竹川家は織田信長に滅ぼされた浅井(長政)家の一族である丁野友政(長政のおじ)が明和町竹川の逃れ、名前を隠すため「竹川」を名乗りました。寛永元年(1661)江戸で両替商を開業しました。
竹口家は中万にありましが、乳熊(ちくま)が訛って中万になったということです。四代目勝義のとき大震災が発生し、近所の人たちが屋敷に逃げ込み、スコップでみそをすくって配りました。
 国分家は現在食品の三大商社の1つで、江戸むらさき、味の素、カルピスなどを手掛けています。
 竹川竹斎、竹口信義、国分信親の三兄弟は勝海舟と交流があり、竹口信義の日記によると海舟が2~3日に一度の割で竹口家を訪問しており、親密な付き合いぶりがわかります。安政2年1月に海舟が山田を訪れたとき松坂に立ち寄り、西町の旅籠で昼飯を食べたということです。

 竹川裕久さんは講演の最後に「これまで伊勢商人は日本の経済史や地方史でほとんど紹介されていないが、幕末から明治初期にかけて、これまで考えられている以上に日本史に大きな影響を与える存在ではなかったか、もっと研究してほしい」と結んでいます。貴重なお話しをありがとうございました。
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