不肖Tamayan.com駄弁録

「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

わが街―思い出の海岸線/朝霧~舞子

2006年08月18日 01時53分39秒 | 徒然駄弁―自分編
 今日は、昨日の続きから、旅を始める。今回は、前回紹介した大蔵海岸から海沿いの歩道を通り、舞子まで行く。しかしながら、今回も字数制限の関係上、舞子の紹介は次回へ回し、朝霧から舞子にかけての海岸線をご案内する。といっても、名所と呼ばれるような優れた海岸線では、ない。一部の地元民しか使わない場所ではあるが、それ故にちょっとした魅力もある。例によって個人的な話と写真を主体にしつつ、今日の旅を始めよう。
 上と下の写真は、先日紹介した大蔵海岸東部区画の東端から撮影した朝霧―舞子間に伸びる海岸線、である。朝霧から舞子まで、かくの如く海岸線が続いていて、JR線・私鉄山陽電鉄線、そして国道二号と歩道が海岸線に沿って延びている。電車や車の車窓からであれ、自転車からであれ、明石海峡の絶景を眺めながらこの道を進むのは、非常に心地良い。歩いてこの海岸線を往復するのは随分しんどいが、自転車であれば片道十分程であり、海風に吹かれながらのサイクリングなので、なかなかもって良い。

*上の写真のポイントから少しだけ離れたところから撮った写真、です。ひたすらテトラポッドが続き、合い間合い間に小さな浜があります。詳細は、後述します。


 前回も少しだけ言及したように、京都から帰ってきて以来、たまにこの道を往復している。舞子のイケてる煙草屋に用がある時や、ただの気晴らし目的のためなどで、約二週間に一度の頻度で行き来している。より具体的な目的地は、上下の写真にも写っている明石海峡大橋神戸舞子アンカレイジ、である。舞子駅横の煙草屋でブラストかパラダイスティーを買い、そのままアンカレイジ前の護岸壁に座り込み、明石海峡を通る船を眺めながら暫しまったり時を過ごす。私が近場で最もリラックス出来る場所、である。
 ちなみに、これも以前書いたように、小学校時代もよくこの道を往復していた。当時まだ明石海峡大橋は無かったが、友人達と、よく舞子まで行っていたものである。目的地を舞子に設定している所以は、放課後に出かけて暗くなるまでに帰宅出来るギリギリの場所が舞子だった点にある。また、自宅から自転車で苦も無く行けるギリギリの場所が、舞子であった。舞子の隣である垂水(JR明石駅から朝霧・舞子を経て三駅目にある場所。)までは、自転車でも行けるが、しんどくなって日常的には行けない。その事情は、今でも変わりない。

*昨日紹介したJR朝霧駅を過ぎると、すぐに神戸市に入ります。駅から百メートル足らずのところに、明石市と神戸市の境界線があります。

*明石と神戸の境界線上、上の写真にある神戸市標識の反対側にある明石側の案内碑です。日本標準時の街ということで「時間厳守宣言都市」、だそうです。何を当たり前のことを言っているのだ、という話ではありますが・・・。

*大蔵海岸東端から舞子方面へ少しだけ伸びる護岸壁の遊歩道です。歩道よりも高いところにあるので、海が見易く、必ず通ります。

*遊歩道から眺める明石海峡、であります。こんな景色を見ながら、自転車の小旅行は進みます。


 話を戻せば、この道は、ただ景色を眺めながら通り過ぎるだけで終わる道ではない。私にとっては、小学校時代の思い出が詰まった道、である。前回の記事で、大蔵海岸を中心に朝霧の海岸線が、再開発によって一変したという話を書いた。しかし、再開発されたのは、全てではない。再開発が進められた他方で、昔のまま残された場所も、実は多いのである。それが、大蔵海岸東端から神戸舞子アンカレイジ西端に至る海岸線、である。
 また、上述の通り、小学校時代もこの道を往復をしていた。しかし、今と違い、当時は歩いていたのである。本稿最初の二枚の写真に写っているように、この海外線は、長いテトラポッドの消波堤が続いている。しかし、その消波堤の合い間に、小さな砂浜が点在している。小学校時代、自転車を朝霧駅近辺に置き、テトラポッドの上を通って移動していた。合い間の砂浜で遊びながら東へ進み、舞子まで行っていたのである。朝霧から舞子まで歩くと何だかんだいって時間がかかるのだが、当時は、「あっという間」だった。
 当時の私達にとってそれほど楽しい時間を与えた海岸線は、今も当時の面影を残している。消波堤の再開発で随分浜が小さく切り取られ、波で当時もあまり広くはなかった浜が削られ、さすがに当時の様がそっくりそのまま残っているわけではない。しかし、小さくなったとは言えど、残った部分は、昔のままである。JRの車窓からは護岸壁が邪魔で見れなかったのだが、京都から戻ってきてから再びこの道を通ってかつての浜を見た時、懐かしくなって思わず立ち寄ったものである。
 その後も、この道を通る度に、「寄り道」をするようになった。立ち寄っては、暫しノスタルジックな時を過ごしている。それ故、朝霧駅から舞子駅まで自転車で十分で行けるにも関らず、ついつい三十分ほどかけてしまう時も珍しくはない。明石海峡大橋完成によって景色は少し変わったが、浜から見える景色も、浜自体の雰囲気も、ほとんど当時のままである。ここに座っていると、十数年前に私達がここを走り回っていた様が、ありありと目に浮かんでくる。小学校自体にいい思い出は少ないが、ここでは、随分楽しい思い出を作ったものである。
 かような事情があって、朝霧から舞子に伸びる海岸線は、ただの道ではない。昨日紹介した新生大蔵海岸は素通りする場合がほとんどだが、この道に点在する思い出の浜は、時間に全く余裕がない場合を除いて、大抵立ち寄っている。言わば、ゴールではないものの、旅の中継地点ではある。それも、ただの中継地点ではない。一つ一つの場所が、私にとってゴールとしての意味を有している。
 この海岸線は、私にとって、かように大きな意味を持つ。あと何年間当時の姿を維持するかは、分からない。それでも、帰省する楽しみが一つ増えたという事実だけは、確かである。
 
*先の標識からさらに進むと、護岸壁と消波堤に囲まれた小さな浜がある。車窓や歩道からは全く見えないのだが、昔は、テトラポッド伝いによく訪れていた場所である。当時に比べて随分小さくなったが、残った部分は、昔のままである。

*よくここで遊んだものです。ここで数十分遊んだら、再び写真上方の護岸壁を伝い、次の浜を目指していました。

*この写真は天気が良くない日に撮りましたが、橋が出来た以外、眺めも当時のままです。

*周囲を高い護岸壁で囲まれ、地元の人すら訪れない故、人目にすら付かない非常に静かな浜です。それ故、こんなことをしでかす輩もおります。てか、俺の浜になんてことしやがる!

*先の浜から護岸壁を挟んで隣の浜、です。ここまで来ると、舞子はすぐ近くです。ちなみに、この浜は、どうやら再開発が入らなかったようで、当時のままの姿で残っています。しかし、波の侵食で昔より浅くなった浜は、時の流れを感じさせます。

*さっきの浜を過ぎ、小さな河口を越えると、そこは舞子の浜です。このように、マンションの間に、浜への入口があります。

*ここも、波に削られた以外、全く変わっていません。

*ちなみに、この浜の護岸壁(写真右手に垂直のそびえる石垣)と消波堤(写真下に伸びている石垣)は、以前『舞子砲台跡』の記事で紹介した勝海舟設計の石垣です。ほとんど当時のままの姿で残っています。小学校時代は、そうとは知らずに、この上を走り回っていました。まあしかし、知っていたとしても、走り回っていたでしょうが・・・。

*浜で遊ぶ少年達、です。十数年前、その場所には、我々がいました。ちなみに、写真の向こうに見えいているのが、明石海峡大橋神戸舞子アンカレイジ、です。

*老若男女を問わず、地元の人が、よく使っています。しかし、非常に静かで心地良い浜、です。なかなか飽きません。

*この浜からスタートした大蔵海岸を眺めます。この眺めも、当時とあまり変わりません。

*昔は、こうして浜で遊んでいました。

*お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。私の足、です。さすがに冬場はやりませんでしたが、夏場は、こうして足を水につけて浜を歩いていたものです。結構気持ち良い、です。

*橋が景色に加わった以外、この浜から見る眺めも、当時のままです。今も昔も、この眺めが好きである事実に、変わりありません。次回は、小学校時代は無かったが今も昔もゴール地点である神戸舞子アンカレイジ周辺を紹介します。


(つづく)

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