不肖Tamayan.com駄弁録

「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

わが街―菅原道真のボヤキ/菅公旅次遺跡

2006年08月03日 00時15分56秒 | 徒然駄弁―自分編
 今回紹介する史跡は、場所を説明するのが難しい。その史跡は、地元ないし周辺住民にしか分からないが、明石は太寺という場所にある。JR明石駅東側の北へ向かう道を進み、入口と出口で直角に曲がる長く急な坂を上り、最初の大きな十字路を右折する。その道をまっすぐ進むと、下の写真にある標識が見える。その標識がある交差点を左折し、道なりに少し進むと、その史跡がある。



 しかし、その史跡は、あまりに目立たない故に、目を凝らしていないと見過ごす。住宅街へ入る小道の入口、民家の一角に、それは、ひっそり佇んでいる。もはや民家の一部に化している感すら否めず、多くの人が、歴史上の有名人物縁の史跡であると気付かぬまま通り過ぎてしまう。かくいう拙者も、その一人であり、つい最近まで気付かなかった。近くに通っていた保育園があり、大学に入るまで日常的に通っていた道であるにも関らず、である。かくも目立たない故、標識のある交差点を左折したら、史跡のすぐ側にあるバス停を目指して頂ければよいだろう。
 タイトルと上の写真にある通り、今回紹介するのは、明石市内にある菅公旅次遺跡である。言わずもがな、菅原道真縁の地である。以前、「わが街―プロローグ(後編)」において、神戸には大宰府に流された菅原道真に縁のある場所がある、と書いた。板を囲って野営した事実に因んで、板宿と名付けられた場所があるという話も書いた。あれから少し調べたところによると、兵庫県内には、他にも大宰府へ向かった道真の足跡が、あるという。その一つが、明石にある菅公旅次遺跡である。
 詳しい人に聞くと、道真一行は、当初海路で大宰府まで行こうとしたそうだ。しかし、現在の神戸港最西端にある和田岬で時化に巻き込まれ、現在「塩屋」と呼ばれている場所への上陸を余儀なくされた。そこから、陸路を使ったのだとか。ちなみに、史跡の近くにある高家寺(上の標識に載っている寺です。)辺りに、当時明石の駅があったとのことである。道真上陸の報を聞いた当時の駅長が、塩屋まで道真を迎えに行って、この地へ連れてきたと言われている。それを記念して、この史跡が建てられたのだそうだ。
 ところで、史跡には、道真がこの地で詠んだとされる以下のような漢詩が刻まれている。

 
「駅長無驚時変改造 一榮一落是春秋」


*石碑に刻まれた歌詞の前半。


*同じく後半部。


 史跡横の説明柱には、次にように書き下し文が書かれている。

「駅長驚くなかれ時の変じ 一栄一落これ春秋」


 道真を案じた駅長に対し、道長が詠んだのだという。その意味するところは、「駅長よ、驚かずともよい。季節と同じで、人の人生も、良い時もあれば悪い時もあるものだ。」、だそうだ。大宰府への道中の道真と漢詩という組合せ故に何やらもっと仰々しいものを期待していたのだが、案外「並」である。遺跡の存在感と同じく、何やら拍子抜けである(きっとバチが当たるな拙者)。

*説明柱の書き下し文。


 さておき、この歌は、政敵藤原氏によって左遷され、京の都を追われた道真の心情を表した歌と言われている。右大臣にまで上り詰め、華々しい人生を謳歌していた道真に、突然訪れた人生の下り坂。本来ならさらに上へ行っていたにも関らず、突然ジェットコースターの下降点を作られ、一挙に坂を転がり落ちていった。言わずもがな、道真は、自分の人生を自然に重ねて「人生山あり谷あり」と言いたかったのだろう。
 しかし、道真がこの歌を詠んだ背景が、もう一つあるように思われる。上述の通り、当初海路で西へ渡るはずであったのが、スタート直後に時化で頓挫した。船に載って楽をしようと思っていたのに、一転して、神戸の険しい山地を歩く羽目になった。言わば、都落ちの道中の始めから、道を捻じ曲げられたのである。まさしく、「泣きっ面に蜂」とは、このことである。石碑の下から、道真の「ふんだりけったりやわぁ。ないわぁ。」というボヤキが、聞こえてきそうである。
 こう考えた時、この歌の詠み方が、少々変わりそうである。詰まるところ、自分が乗った船を襲った時化とそれによって陸路の労を取らざるを得なくなった自分を重ね、こう言いたかったのだろうか。移ろい易い海の天気と同じく、人の人生もまた一寸先は闇であり、先は分からぬものである、と。無論この解釈は事実による裏付けはなく、あくまで拙者の邪推である。しかし、道真がこの地へ訪れた理由を考えると、上のように読めて仕方がない。
 光の中に影有り、とはよく言ったものである。また、若干趣旨が変わるが、軍事の世界に、「作戦通りに状況が推移している時は、現状を疑え。」という鉄則もある。追い風に乗って上手く事が運んでいる時、同時に、近い将来の挫折に繋がる要因が、徐々に形成されている。つまり、物事が順調に進んで時こそ慎重に徹せよ、という意味である。
 道真は、成功していた時の自分を振り返り、かような教訓に行き着いたのだろうか。「後輩諸君。世の中、一寸先は闇である。上手くいっている時も、決して油断するな。心してかかれ。」。石碑に刻まれた歌から、道真が歌の言外に込めた警句が、聞こえてきそうだ。随分飛躍してしまったが、そう考えると、意外に月並みで拍子抜けしたこの歌も、何やら深い。そして、重い。
 今更ながら、千数百年前の大先輩の言葉が身に染みる今日この頃、である。
 
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