今日はみんなそれぞれ予定があり、私だけ暇な日曜日。
天気もいいので前から行ってみたかった多賀城史跡に行ってみました。
車を運転するのは三か月ぶり。
大丈夫かいな?
と、思ったが意外と大丈夫でした(*^ω^*)
国府多賀城駅
この駅から徒歩10分くらいのところにあります。
多賀城は当時の中央政権が蝦夷を監視するために建てたもの。
蝦夷とは何かというと、ただの土着民なのですね。
律令制を東北地方にも浸透させようとか、ま、税金を取りたかったのでしょう。
それに何と言っても当時はこの辺りに金が出ましたから。
日本に金がないと思っていたのにあったから、ひゃっほうです。
これでは何かわからないので
このような平城京にソックリなきらびやかな建物があったらしいです。
この後焼き討ちにあったり、地震で壊れたりしながら再建しつつ、実に三百年くらいに渡りこの地を治めていたらしい。
いつ無くなったか?は不明なんですが、奥州藤原氏の台頭したあたりに消滅したようです。
最初の赴任者が大伴家持でこの地で亡くなったとか、宮城県人の大半が知らないことばかり。(私だけ?)
まだまだ見たいところがたくさん!だけど久しぶりに運転して疲れました。体力も無くなったからこれからリハビリして頑張ります
天気もいいので前から行ってみたかった多賀城史跡に行ってみました。
車を運転するのは三か月ぶり。
大丈夫かいな?
と、思ったが意外と大丈夫でした(*^ω^*)
国府多賀城駅
この駅から徒歩10分くらいのところにあります。
多賀城は当時の中央政権が蝦夷を監視するために建てたもの。
蝦夷とは何かというと、ただの土着民なのですね。
律令制を東北地方にも浸透させようとか、ま、税金を取りたかったのでしょう。
それに何と言っても当時はこの辺りに金が出ましたから。
日本に金がないと思っていたのにあったから、ひゃっほうです。
これでは何かわからないので
このような平城京にソックリなきらびやかな建物があったらしいです。
この後焼き討ちにあったり、地震で壊れたりしながら再建しつつ、実に三百年くらいに渡りこの地を治めていたらしい。
いつ無くなったか?は不明なんですが、奥州藤原氏の台頭したあたりに消滅したようです。
最初の赴任者が大伴家持でこの地で亡くなったとか、宮城県人の大半が知らないことばかり。(私だけ?)
まだまだ見たいところがたくさん!だけど久しぶりに運転して疲れました。体力も無くなったからこれからリハビリして頑張ります