Tamate-BOX

末は博士か大臣か、よしな書生にゃ学もない

気にしすぎだろ

2014年02月16日 | 思わず笑ってしまったシリーズ
女「君ってどこ出身なの?」

男「え、俺ってそんなにケニア人に見える?」

毒にも薬にもならない話

2014年02月10日 | 日記
 自分の両親は、どのくらい僕に期待をして、どのくらい失望をしたのだろうかと思う。

 僕から見て、両親からの期待や失望を感じたことは一切なかったが、僕の両親とて人の子だ。自分の子供が将来どんな風になるだろうかと夢想することくらいはあっただろう。それがポジティブな方向の夢想であれば期待だし、現実の僕がその期待通りに行かなければ失望になる。きっと僕の両親もいくらかは僕に期待をして、いくらかの失望は経験した筈だと思う。

 その昔、僕の両親は幼い僕に色んなものを経験させようとしてくれたように思う。僕の反応を窺いながら、色んなことをやらせてくれた。僕が興味を抱いたものはまずやらせてくれたし、まだ興味を抱いていなくとも未だ出会ったことのないものであれば興味を抱くはずもないのだからとやらせてくれた。そうやってやらせてみて興味を示さなかったなら、すぐにやめさせてくれた。そして、大体のものを僕はすぐにやめた。

 今、僕は別段何かに長けているわけでもなく、何かに挑戦している途上にいるわけでもなく、ただ日々を平平凡凡と暮らしているだけである。まだ若かった時の自分の両親に色々期待されただろうに、その一つにさえ報いることもなく、ただ失望だけを生み出して成長してきた気がする。そう考えて、少しだけ胸が痛くなる。

ゴールのない話

2014年02月09日 | 日記
 朝三時に悪夢にうなされて目が覚める。私の一言のせいで集団が崩壊の危機に陥る夢であった。
 目が覚めた時、今自分が被っている毛布と布団に身体が喰われているような心地がした。なんだかとても気味が悪く、慌てるようにして掛け布団から這い出ると、体中が火照って熱いことに気がついた。それから全身がだるく、意識も朦朧としている気がした。これは拙いなと思った。
 急いで枕元にある体温計に手を伸ばして、脇の下に差し込んだ。体温計が体温を測り終えるのを待たずして、備蓄しておいたヨーグルトを少し食べ、ルルを服用した。薬を飲み終えた頃に体温計が鳴ったので、数値を見てみると、37.7℃だった。やはり熱はあがっていた。

 それからすぐにまた寝直そうと思ったが、一度明りを点けてしまったので、何だか目が冴えてしまった。仕方がないので手近なもので暇を潰す。
 暇を潰すと言っても、こちらは意識の朦朧とする重病人であるから、大したことは出来やしない。ソシャゲをしたり読書に耽ったりネットサーフィンをしたりする内に、薬が効いてきたのか体が次第に楽になってきて、気付かないうちに眠ってしまっていた。
 最後に時計を見た記憶によれば午前6時前だったように思われる。

 次に目が覚めたのは昼前であった。
 昨晩うなされて目覚めたときよりも、随分と体も楽になったように思われた。しかし依然として頭痛はやまず、食欲も湧いてこなかった。胃の調子もどうやら悪いようである。
 けれども何も食べないことには体力も活力も湧いてこないと自分を鼓舞して、薬の効いているうちに、本日もコンビニへ行ってゼリーやらヨーグルトやらを買い足した。
 果たしてこれが体力と活力の増強に繋がるのかは甚だ疑問である。が、まぁ何も食わないよりかはかなりマシだろうと思われる。

 コンビニへ行く際に、何の気なしに玄関の扉をあけたら、街並みの白く彩られているのが目に飛び込んできて驚いた。
 ずっと暖房のかかった部屋にこもりきりだったから気がつかなかったが、どうやら昨晩は雪が降っていたらしい。もう既にやんでいたが、まだ雪が溶けかかって街を汚すところまで至ってもおらず、とても綺麗だった。もう4年も住んだ筈だし、4年の内に何度か雪も積もっている筈だが、まるで別の街に来たかのようで、新鮮な感じがした。あまり雪の積もらない地方であるから、なんだか心がとてもウキウキとしているらしいことが分かった。
 ウキウキとした気持ちでコンビニまで行ったは良いものの、帰りには疲れてヘトヘトになっていた。やはりそろそろもう一度どこかでまともな飯を食わねばならないと思った。
 
 さて、ここで突然だが、数日に渡って、我が国では、ルル軍団長を信用して、病魔との戦争にあたってきたのだが、本日、私参謀はルルに罷免を言い渡すことを決定した。そして、これと同時に、新軍団長として漢方よりやってきた葛根湯を据えて、今後の作戦にあたっていくことを決定した。
 というのも、これには2つの理由がある。
 一つには、ルルなどの西洋医薬はしばしば胃腸に負担をかけるらしいことを、昨晩のネットサーフィンにより、知ったことが挙げられる。そして、現在私の胃の調子は非常に悪い。
 二つ目には、同じく昨晩のネットサーフィンにより、葛根湯が頭痛に良いらしいと知ったことが挙げられる。そして、この葛根湯は、ちょうど下宿にいくらかあったのである。
 以上の2つの理由によって、私は、ルル軍団長を罷免して、新たに葛根湯を新軍団長に据えて、病魔との戦争にあたっていくこととしたのである。

 もちろん懸念はある。
 葛根湯は風邪の初期にしか効果が見られないようであるが、もはや私は風邪をひいてから数日目になっており初期の風邪とは言い切れないのである。ゆえに、この時期に葛根湯に乗り換えるというのは、愚策かもしれない。
 けれども、これ以上、戦争を長引かせるわけにはいかないのである。そして一日も早く私は美味い飯が食いたいのである。

 それから、ここだけの話、ルルから乗り換えた理由に胃腸への悪影響をあげたが、葛根湯とて胃腸には悪いようである。
 え、それでは乗り換える意味が...と心配する読者諸兄もおられましょうが、そこは目をつぶってほしいところである。なぜなら、漢方に頼るのが初めてな私は漢方を飲んでいるという事実だけで少し楽しいからである。

 思ったより話が脱線してしまった。強引に話を戻して、朝起きてから薬の乗り換えを決めると、あとは、晩飯に焼きそばを食べて胃をさらに悪くさせた以外には、もう今日は寝てるだけであった。時折目が覚めるたびに本を読んでいたら、3冊も読破してしまった。
 一日に3冊も読むと、もう当分の間読書はいいやという気持ちになった。

風邪をひいた話

2014年02月07日 | 日記
 数日、更新をご無沙汰していたが、この通り私は元気である。いや、元気であるというのは誤りで、生きていると言ったほうがより適切だろう。なぜ誤りなのかというと、熱を出して数日間寝込んでいたからである。そして現在も37.5℃まで落ち着いたとはいうものの、やはり体中がだるく、頭も痛い。

 そういうわけなのだが、というと私はこうしてピンピン生きていて、その証拠に風邪まで引いているというわけなのだが、一人暮らしで熱を出すことほど物憂いことはない。一番酷い時に、一番薬や飯なんかが必要な時に、それを手に入れる手段がないからである。身体がやや快方に向かって歩み始めたところで初めて、薬なり飯なり水なり物資を買い出しに行くことができるのである。これはもう現代の籠城戦に等しい。しかも事前に何ら籠城の準備をしていない者の籠城戦である。苦戦は必至だ。

 ところで、籠城戦に最も必要だとされているものを貴君らはご存知であろうか。
 私は存じていない。そこで検索をかけてみた。コトバンクによれば、まず第一に水と食料らしい。しかし我が家に食料の備蓄はなく、飲み物と言えばただ蛇口から出てくる水があるのみである。第二には戦をするための武器らしい。さりとて我が家には病魔を打ち破るだけの常備薬はない。コトバンクに書いてある籠城戦に必要なものは以上であった。すなわち、我が家には籠城戦をするのに必要不可欠だとされているものが少しも無いということになる。
 これでは少々困ったことになる。今まさに籠城戦が始まらんとしているにも関わらず籠城戦に必要不可欠なものを私は持っていないのである。乗りたい電車が今まさに出発せんとしているにも関わらず切符が手元にないようなものだ。あるいは今まさに甲子園決勝が始まらんとしているにも関わらず硬式球が甲子園球場中のどこにもないようなものだ。これでは籠城戦が行いたくとも籠城戦が行えないではないか。

 さて、それでは、貴君らは、これから行おうとすることに必要不可欠なものが無いにも関わらず、それを為さねばならぬ時に必要なものが何か分かるであろうか。勿体ぶっても仕方がないから答えを言うと、それは我慢である。何故と聞かれても、この日出づる国では今も昔もそうと相場が決まっているのだから仕方がない。まぁ我慢と言わず、忍耐あるいは根性と言い換えても良かろう。兎に角、苦しく、辛く、それをやめたくなったとしても、やめないだけの強い心が必要なのである。私は幸い心を持っていた。心だけは貴賤を問わず我々は有しているものらしい。ゆえに、この心の力でもってこの籠城戦を耐え抜こうというわけである。私はそう決めたのだ。

 決めたは良いが、籠城戦とは何とも暇なものである。何せこの籠城戦は本当の籠城戦のように昼夜を問わず敵がやってきてそれの相手をしていれば良いというものではない。やることと言えば、籠城戦における武士というよりも寧ろ往来の乞食に近い。ベッドの上で日がな一日、いやそれ以上、病魔が私の許を去るその日まで、ぐうたらやるというだけなのであるから。雨にも負けず、風邪にも負けず、頭痛にも身体の気だるさにも負けず、というわけである。

 そうして私が日がな一日寝ころんで過ごすことを決めた日、幸いにも我が町に大寒波が襲った。いや、これが本来皆が用いる意味での大寒波なのか、ニュースを見ないので知らないのであるが、ここ数日で、いやひょっとすると今年に入って一番寒い日がやってきたように思われた。暖房のスイッチをいれると、室外機と給湯器との配置の関係で、お湯が出てこなくなり、お風呂に入れなくなってしまうから、久しく暖房は敬遠していたが、この日ばかりは辛抱たまらず暖房をいれてしまった。その暖房も半日以上経過せねばその効力を十分に発揮することはできなかった程である。
 寒いと風邪でなくとも寝床から出たくなくなるもの。朦朧とする意識の中でこれ幸いと私は寝床でぐうたらやった。頭が痛くても、腹が減っても、それでも寝床の中で耐え抜いた。
 そんな私をお供するのは我が家で積ん読になった沢山の小説たちである。彼らはパっと見派手ではないが、その実多弁で愉快な者が多い。精神がおかしくなりそうなほどの頭痛も空腹も一時ではあれ忘れさせてくれるに違いないと何度も思わせてくれ(実際は、本を読んだところで空腹も頭痛も忘れられないのであるが)、病魔に苦しむ私を励ましてくれた(それゆえ、先日再開した私のブクログの更新も盛んなので是非興味があるという奇特な方は右のブックマークから飛んでみてほしい)。

 飯も食わず、殆ど水も飲まずに約一日が過ぎた。空腹に耐えかねた私は遂に打って出た。中華料理を食いに行ったのである。
 しかし、これが拙かった。中華料理とは基本的に脂っこいものしかない。きっと中国で採れた野菜は生ではとても食べられず、油を使って高温で熱さねば食べられなかったから、そういう調理法が発達したのであろう。私が注文したホイコーローもその例外ではなかった。脂っこく、分厚い肉の他には、油まみれのキャベツしか入っていない。副菜は中華風のたくわんと思しきものと唐揚げだった。初めて入った中華料理屋だったので、はて中華で唐揚げとな?と一瞬思ったが、よくよく考えてみれば「唐」揚げである。中華に鶏の唐揚げが出てきても何ら不思議ではない。ここまで考えて行きつけの中華料理屋でも唐揚げが出てくることを思い出して、さらに安心した。話を戻すと、汁物はこれまた脂っこい卵スープだった。主食はもちろん米ではあったが、こうして見てみると皆さんにも如何に私が病魔と闘っている最中にも関わらず内臓の負担が大きそうな飯を食ったのかお分かりになると思われる。米と中華風のたくわん以外は、これみな敵である。数少ない味方の一人であるたくわん君も、中華風ということで、やや頼りない。
 このメニューを私は1時間ほどかけて食べきった。数口食べたところで先ほどまであれほど旺盛に見えた食欲も一切失せてしまい、残すのは悪いなあと思いながら、進まぬ箸を無理くり伸ばして、食べきった。途中、空腹に病魔を忘れてホイコーローを注文してしまった過去の自分を何度呪ったことか覚えてはいない。
 その結果、その日から二日ほどに渡って、頭痛に加えて、腹痛と胃痛にも悩まされることと相成った。おまけに嘔吐感とでも呼ぼうか、気持ちの悪さもついてきたのだからタチが悪い。おかげで随分と前から計画していた友人との遊ぶ約束を前日になって断る羽目になった(当初は発熱と頭痛くらいならば遊びに行こうと考えていたのだ)。

 そうして話は今日にまで追いついた。
 今日も今日とて、発熱及び頭痛に腹痛は治る気配がない。しかし、数日前から始めたこの籠城戦も敗色濃厚な戦ではなくなってきた。中華料理を食べた帰りに、やっとのことで買った薬、それはルルと第一三共胃腸薬のことだが、その薬を併用する(多分やってはいけない)ことによって、なんとかパソコンの前にやってくることはできるようになった。その上、コンビニで少しゼリーとヨーグルトを買い溜めたお陰で、以前よりか元気というか活力とも言うべき何かが身体の内から芽生えてきたのを感じる。やっぱり籠城戦には武器(薬)と食料が必要不可欠であったのだ。我慢などではどうにもならんのだ。

 ここに至って(すなわち最初に私が提起した「籠城戦に必要なものは何であるか」という話に帰ってきて)遂に私の書くべきものはなくなってしまった。これにて闘病記はひとまずの終わりを迎えたいところであるが、最後に再三に渡って諮問が不安であるとブログ上で訴えてきたにも関わらず、その結果を報告していなかったので、それを書いて別れの言葉に代えさせて貰おう。

 諮問は今週の頭にあったのだが、万事上手くいった。教授から「卒論にしては上出来だ」と褒められ、かなり上等な質問(博士論文や学術論文に求められるレベルと思しき質問)までしていただいてかなり面白かった。思えば、三年次の初めより取りかかっていたのだ。このような結実を迎えて、何だか感慨深いものがある。
 ただ諮問までの時間、私以外の者たちは事務室で時間をつぶしたり、諮問についてのあれこれを話し合っていたようだが、それについての話は一切私の耳まで届かず、私のみが下宿から直接教授の部屋まで諮問にやってきたという形になってしまった。有り体にいえば、ハブられていたのである。追いコンにも呼ばれなかったので、後味は悪いが、まぁハブられることについては、良しとしよう。そう、だから、つまり、万事がうまくいったのだ。

 これで私も卒業の日を待つだけの身と相成った。社会人には心底なりたくないが、卒業と聞くと何故だか晴れやかな気持ちになるから不思議だ。早春の陽気に包まれて、皆が浮かれているというのを想像するだけで、何だかウキウキとしてきて楽しい気持ちに包まれる。ああ、愉快だなあ。

書くことなし

2014年02月02日 | 日記
・ブクログ
 最近読んで面白かった小説をブクログに色々追加した。そしたら、星5率が増えてしまってショック。星5はそんなに出していないことが自分の中で売りだったのに...。
 その後、星5率を下げるために、読んだことを覚えている本を追加。それでもやはり、星3以下は正直読んだことさえ覚えていないので、星4率が上がる。これでは何でもかんでも面白いって言ってる奴みたいじゃないか。挙げ句、レビューも段々適当になってしまった。残念。

・諮問
 諮問について毎日書いているが、それだけ僕の頭の中を占有しているのだから仕方あるまい。早く準備を終えたい。諮問は遂に明日である。緊張と「まぁなんとかなるっしょ」といった気持ちが綯い交ぜになって、今では自分でも自分のことがよくわからないことになっている。ちなみに、今朝起きた時に、今日が諮問の日と勘違いして、諮問の時間に遅刻したと思って急いで家を出たら、今日が日曜日で学校があいてなかったという珍プレーを見せた僕である。

・引っ越し
 そろそろ4年もの長きにわたって住みなれた街を離れる準備をせねばならない。めんどくせえ。