ベン・ハガノゲン伯爵のメモ

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間違いだらけだった(^_^;) 試訳『晋書』 その2

2016年12月24日 | 読書
 『晋書(しんじょ)』という支那の歴史書を、5行半まで読みました。

 前回、「宣皇帝諱懿」を「宣皇帝という諱(いみな)はうるわしい。」と訳したのですが、どうも間違いみたいですね。
 「宣皇帝(せんこうてい)、諱(いみな)は懿(い)」と訳したらいいみたいです。つまり、宣皇帝は司馬懿(しば い)という人みたいです。

 とりあえず『晋書』巻一 帝紀第一 宣帝 をいくらか訳しましたので、かなりデタラメだとは思いますが、ここに一応書いておきたいと思います。


(原文)

  宣皇帝諱懿,字仲達,河内温縣孝敬里人,姓司馬氏。其先出自帝高陽之子重黎,爲夏官祝融。歴唐、虞、夏、商,世序其職。及周,以夏官爲司馬。其後程伯休父,周宣王時,以世官克平徐方,錫以官族,因而爲氏。楚漢間,司馬ぎょう爲趙將,與諸侯伐秦。秦亡,立爲殷王,都河内。漢以其地爲都,子孫遂家焉。自ぎょう八世,生征西將軍鈞,字叔平。鈞生豫章太守量,字公度。量生潁川太守儁,字元異。儁生京兆尹防,字建公。帝即防之第二子也。少有奇節,聰朗多大略,博學洽聞,伏膺儒教。


(たまねぎ訳)

宣皇帝(せんこうてい)、諱(いみな)は懿(い)、字(あざな)は仲達、河内温縣の長上を敬う里人であり、姓は司馬氏という。

宣皇帝以前の祖先は、重黎(ちょうれい)。重黎は高陽(こうよう)の子である。彼らは夏官であった。そして遠い祖先は祝融(夏の神)であった。

商、夏、虞、唐を経て、祖先は代々その職(夏官)を継いでいた。

周に及んで夏官をもって司馬となった。

その後しばらくして伯爵であった死んだ父(宣皇帝の父)は、周宣王の時、代々にわたって官職をよくして、緩やかな形で正しい方向へと導いた。

官を賜(たまわ)ることによって一族をなし、それが氏(うじ)をなす元となった。

楚と漢の間の時代、司馬ぎょうは趙(ちょう)の将軍となって、諸侯を助け、秦を討った。

秦が亡び、殷王が立ち、河内を都とした。

漢はその地を都とし、(司馬氏の)子孫はそこで身分を形成した。

自分から司馬ぎょうの八代前まで遡ると、司馬ぎょうは征西將軍として一生をおくった人で、その息子の姓は鈞、字は叔平。

鈞は豫章の太守として一生を過ごした。息子は量、その字は公度。

量は潁川の太守として一生を過ごした。その息子の姓は儁(しゅん)、字は元異。

儁は衆官の長として過ごした。その息子の姓は防、字は建公。宣皇帝は防の第二子であった。

その節目は、めったにない驚くべき時代で、聡明な時代であったし、本当に本当に明るくて朗らかな時代であった。

博く学問がされ、議論も盛んであり、儒教に対して従うようにもなった。



注意

 「司馬ぎょう」の「ぎょう」は「卯」に似た漢字です。


 かなりデタラメな訳だと思いますので、まだ5回以上なおしていかないといけないと思います。f(^_^;)
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1 コメント

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名の方では? (たまねぎ)
2016-12-24 16:22:42
はっ。

「自分から司馬ぎょうの八代前まで遡ると、司馬ぎょうは征西將軍として一生をおくった人で、その息子の姓は鈞、字は叔平。」

これの「その息子の姓は鈞」ですが、「その息子の名は鈞」と訳さないといけないのではないでしょうか?

私は無知なんです。(^_^;)

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