ベン・ハガノゲン伯爵のメモ

余のメモが書いてあるブログなのじゃ。読書などのメモ、イラスト、写真などが載っておるのじゃ。

他界からのエネルギー、ニヒリズム、審判か復讐か

2017年06月20日 | 読書

 ニヒリズムに陥ると、「他界からのエネルギー」というものが供給されなくなるという問題が生じる。
 この仕組みに私は詳しいわけではないですが、結論からいうとそういうふうになっているみたいです。
 最近少し読んだもので、宮田登の『都市空間の怪異』(角川書店、角川選書)というものを読みました。
 「第二章 妖怪と幽霊」で、「幽冥教」と呼びうる日本宗教の根本にあったものが弱体化していくと、この世が乱れるのだそうです。
 それで、「それが本当にそうなのか?」と聞かれると私は困るのですが(私以外でも困る人は多い・・・というか今の日本人で宗教を信じていない人は多いですけど)、でも民俗学の本を読んでいくとそれなりにそこら辺のことは知るようになるんです。
 どうでもいい宗教本だと問題ありますが、民俗学で扱っている宗教というのは興味深いし、面白いものです。
 『都市空間の怪異』も興味深いもので、日本人の宗教観の理解に役立ちました。

 谷川健一(民俗学者)があるところで妖怪のことをいっています。そこでは、人間は夜からの養分を受け取らないと衰弱してしまうといってるんです。
 谷川が沖縄へ調査に行っていた頃、沖縄の夜というのは本当に真っ暗で怖かったのだそうです。
 そういう妖怪などが出そうな「夜の世界」だとかもののけがやって来そうな「他界」だとかは、近代人が切って捨ててきたものですが、実際には重要で、それを切って捨てると「他界」から養分を受け取ることができなくなり、社会が衰弱するみたいですね。
 昨今の政治情勢は、近代のなれの果てかもしれないし、そうだといえるのは近代人が前近代の重要なものを排除してきたため、今の情けない状況が生じているというふうに、つまり「価値」というものがわかってないためにそういう状況に陥っているのかもしれません。

 ニヒリズムというのは変な思想で、本当に世の中の一切のものが価値がないなら、自分が生きている価値もないのだから死んでもおかしくないわけですね。それなら死んだらいいのだけど、実際は死なないわけです。そうなるとニヒリズムというのは嘘で、いくらかは価値を認めてないけれど、自分には価値を認めている思想なわけですね。
 それで「立派な自分」というものを勝手に「自分」に対して規定しているわけですが、それは勝手な規定で「他人」から「自分」は認められたわけではないわけです。
 「いや私は立派なんだ」と言い張るのですが、私の知り合いの近代的な人の話を聞いていると、どうも「素朴な合理主義」を根拠にその人は「私は正しい」と言い張っているみたいなんです。
 例えば仕事場のある非合理なことに「これこれこういうふうに合理的にすれば問題ないんだ」というわけですが、なんというかそんなに自信満々なら、その人が前に勤めていた会社もその素朴な合理主義で倒産するのを免(まぬが)れたんじゃないかと思うんですけどね。

 その人は「自分のイデオロギー」に敵対するものに対して激しい攻撃をするのですけれど、それはまるで自分が審判者かのように振る舞い、「自分のイデオロギーによって絶対的な審判が行われるのだ」と考えているみたいなんですね。
 ニーチェが「審判者に変装した復讐者」といっていて、これは元はキリスト教に対していわれた言葉ですが、この言葉は民主主義にも当てはまります。
 民主主義者は何かと審判を行おうとしますが、実際には復讐をしたいのだと思います。
 それなら復讐をやればいいではないですか?
 ところがそれをやるとおかしな事になる。
 法治国家では復讐は禁じられているからです。

 私は実際には民主主義者は復讐をやってるんだと思います。
 という事は、民主国家や法治国家や近代国家を否定したらいいと思うんです。

 ここで呉智英(ご ちえい。評論家)の封建主義について色々いえたらいいのですが、私の能力では無理なので、ほかの頭のいい人でないとそういったことはいえないのです。

『本』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« いかにも | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL