伊勢の祈り

大いなる働きを信じて。共に幸せになりましょう。

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悠久の時間の流れに、まかせましょう!

2017年06月13日 10時54分30秒 | 日記

知ることから人は変わります

以前、私が神道を学校で学んでいたときに先生から、神葬祭(しんそうさい、

神道によるお葬式のことです)での不思議な出来事のお話を教えていただきました。

関東の大きな神社の神職から聞いたお話だそうです



亡くなった人はこの世に未練を残す

関東の大きな神社に急きょ神葬祭の依頼があり、複数の神職が

ご奉仕する大きな葬儀であったようです。

遷霊祭(せんれいさい)という、亡くなった方の霊魂(れいこん)を霊璽(れいじ)に

遷(うつ)す儀式がありまして、その間、神職が「オー」という言葉を発します。

複数の神職が、「オー」という言葉を一定時間発するのですが、一同なかなか発するのが止まらなかったようです。

参列した神職は、これまでいくつもの神葬祭にご奉仕してきたけれども、このようなことは初めてのことで

不思議に思ったけれども、まずはその儀式を終えることにしたとのことでした。その後、葬儀が終わってから、

他の神職にその時の違和感を話しましたら、他の神職も同じように違和感を覚えていたことに驚きを隠せなかったようです。

「何か違うなぁ。。。」、「どうしてなんだろう?」といろいろ思い、考えたけれども分からない状態が続いていたようです。

葬儀が全て終わり、あまり日にちが経過していない頃、参列した神職は偶然、

亡くなった方の生前について知るようになりました。

亡くなった方は、生前いろいろな方から恨みををかうことが多かったらしく、

常に自分が亡くなった後の家族のことを大変心配していたとのことでした。


その神職は、亡くなった方の強い未練がこの世に残り、素直に霊璽に遷りにくかったことが、遷霊祭の違和感として現れたのでは

ないかと語っていたようです。



安らかに清らかに自然にまかせ生きる幸せ


神道では、すべてのいのちの中に、霊(タマ)が宿っている。魂(タマ)が入っていると捉えています。

『日本書紀』の神代の記述に、「草木ことごとくに能(よ)く言語(ものいふこと)有り」と草も木も人のようにしゃべっていると、

ありますのも万物に宿る霊、魂を意識しています。

私たちは、タマとタマシイを同じように思っていますが、実際には違います。では、どうちがうのでしょう?

タマは生命霊のことを意味すると言われます。一方で、タマシイはちょっと異なります。

古代の言葉に、メシイとミシイという言葉があります。メシイのメは目、ミシイのミは耳のことです。

メシイは、目があまり見えなくなった、弱くなった状態をさします。

ミシイは、耳があまり聞こえない、遠くなった状態をさします。

そのため、シイは、正常な働き、機能を失った、離れた状態をさします。

したがって、タマシイは本来、宿っているべきものから、あるべきその働きを終え、離れてしまった霊(タマ)のことをさします



人は神霊が宿るものとして生きている


私たちは、自分の体と命を自分自身のものと考えます。

しかし、タマシイの言葉を知りますと、神霊が今の体に宿っているに過ぎない。

かりそめの体にタマが止まっているに過ぎない存在となります。

古語で死体の事を亡骸(なきがら)といい、空っぽの遺された体を表しますように

日本語を知ることによって、思いを深められると思いまして紹介しました。

タマが離れるまで、精一杯生きてまいりましょう!


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