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「エイリアン インタビュー」その102・検証とその先へ、モンロー研究所 (未来)

2017年07月11日 22時47分49秒 | エイリアンインタビュー



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「エイリアン インタビュー」その101・検証とその先へ、モンロー研究所 (未来)→



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毎日暑いですねえ。
夏バテしないように気をつけて下さいね。

九州の地震で災害にあわれた方は速くもとの生活に戻れますようにお祈りいたします。



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続きです。




大きな負荷全体をその単位体に固定し、軌道の衰退を不可避なものとする接着剤ーこのような感情の圧倒的優勢は、地球における時空間の物理的出来事や、物体や仕組みに直接関係している。
だからこのような感情は、それぞれの発生点以外の現実では存在しえないし、それ以外の現実に適用することもできない。

一つだけ例外がある。
それは元来の「主要エネルギー」を唯一明確に正しく表したものであり、それだけは意のままに生成できない。
それは他の感情的想念や行為が統合され表現されたものであり、それゆえに破壊することが出来ない。
最も重要なのは、それが時空間に特有なものではないこと、つまりその存在はそうした環境に付随するものでないことだ。

このようにそれは負荷要因の一部ではない。
そのかわり、それは離陸を可能ならしめ、軌道に乗せ、脱出速度を維持させてくれる力の源である。

人間体験学校に入る(唯一でないにしても)主な理由は、まずこうしたエネルギーを識別できる形に翻訳するのを学ぶことであり、その次にそうしたエネルギーを発生させる第一級の人間になることである。

もしそれが何であるか知らなかったり、どうやって表現したらいいかわからなかったり、それを知りつつ発生させることができないとすると、これは容易ではない。
もし歌を全く聞いたことがなく、歌詞もメロディーも音程も知らず、さらに悪い事には自分に声帯があること、また声を持っていることさえも知らなかったら、人はどうやって歌えるようになるものだろうか。

その手掛かりは、一般的にみられる感情の誤称や間違った解釈は、感情に類似しているが同一ではないことは明らかである。
混乱をさけるため、それをスーパーラブ(超愛)SLと呼ぶことにしよう。
そこにある違いを知ることが肝要だ。
というのは愛と言う認識記号は、あまりに広範囲に使われてきたので、いかなる重大な意味も持たなくなってしまったからだ。

参加者のために稚拙な説明を試みよう。
SLは先に述べたように破壊することが出来ない。
一旦活性化されると、続いて沸き起こるいかなる想念や感情や出来事も、それに影響を与えることが出来ない。
SLは物質の現れ方や物質の活動には全く左右されない。
SLは生体や非生体がSLを生成する引き金となる触媒の一つになるかも知れないが、生体、非生体のいずれの客体も持たない。
SLは放射を続けるが、受け取られ方のようなものには、全く左右されないし、他のいかなる形の見返りも必要としない。
SLはSLなのである。


(注!大変難しい言い方なのですが、超愛と呼べるような持続する破壊できない放射をするものになること…つまり男女の愛とか親子の愛とか忠誠、信頼、誠実、忠義とかそういった好ましい言葉で表現されるものをはるかに超えた、愛としか表現できないものを生成する者になると言うこと…ってことですね…)


この圧縮学習のための人間学校は、極めて複雑で厳しい教科課程を持つ。
これと比較すると、最盛期の(ぺリス島)などは、お茶の時間みたいなものだ。


(注!ぺリス島って、何か不明ですが、おそらくミケーネ文明のことかと…http://hp1.cyberstation.ne.jp/legend-ej/p-civil1987gremyce-athe.html)違っていたらごめんなさい~。


そこでは人は少なくとも自分が何をしているのか、どういう目標に向かっているかが適当にはっきりしていたし、それが分かっているからこそ学習には価値があった。
私が心に深く感じたことーそれは私が遭遇したごく少ない先輩や卒業生の中で、人間学習システムを何度も繰り返ししたいと思わないものは、一人としてなかったことだ。
言葉で説明できぬ素晴らしい結果がもたらされるのを知っているから、何度でも繰り返したいのだ。
私が短い間に垣間見ただけでも、こうしたことが完全に主張できる。



準備ー発進と離陸



ここに掲げるのは、婉曲に言うと、学習過程の虎の巻とでも呼べるものだ。
講師たちがそれを認め、承認しているのである。
そうした手助けになるものすべてに共通して言えることは、その虎の巻が答えをすべて与えてくれるのではなく、正確かどうかの保証もないということだ。
せいぜい言えることは、この虎の巻は、講師たちの許可と協力を得て、急いで写させてもらったものだと言うことだ。
学習内容を講師たちが稚拙に解釈したため、歪曲もあるかも知れないが、この黒々とした一杯の水は、からからに喉が渇いたものにとっては、実際何もないよりましであろう。
これは少なくとも水なので、軽々と楽しく走りながら終着点に到達する助けになるだろう。


「解毒・負荷減量・洗浄作用」


この計画に必要なのは、肉体的生命のすべての形態における、肉体的、精神的、感情的、活動の継続と拡張である。
これはその過程を短縮化するよりはむしろ拡張するので、減少や退化が起こるとは考えられない。
干渉光の方がレーザー光線よりもはるかに効果的な結果が得られるのと同じように、変化はエネルギー体としての自分の知覚や抑制や定位という点で起こる。
これらの基本事項を出発点として、始めてみよう。


「現実とは知覚されるところのものである」


時空に関与する者として、自分は時空を知覚するし、これは自分にとっても現実である。
もし他のエネルギー系をどれも知覚したことがなければ、それらのエネルギー系は自分にとって現実にはならない。
しかし他のエネルギー系を知覚しても、それが現在の自分の意識内にないことを考慮しなければならない。
そうなると次の問題は、記憶に甦らせることである。


「エネルギーは表現されるまで存在しない」


私達はエネルギーの実現体である。
私達が変貌させたり生成させたりするエネルギーは、それを表現するまで何の現実性も持たない。
想念は私たちが伝達したり実践するまで、何の現実性も持っていない。
知識や情報は、普及させたり応用したりしなければ何にもならない。
たったひとつの想念でも、それが浸透して他の想念になったり、他の想念に働きかけたりしなければ現実性を持たない。
考え行動することは、精神的にであれ、肉体的にであれ、少なくとも一つ以上のエネルギー体を伴う生産性を持ったものなのである。



「集中したエネルギーは指数曲線的なものである」


ちょうどレンズが太陽光線を集め、何倍にもできるように、他のエネルギーも変容、修正することができる。
このことは特に人間の意識の中にあるエネルギーのスペクトルに当てはまる。
私達はたいてい特に非物理的範疇で、エネルギーをランダムに、知らず知らずのうちに働かせているのだが、それでもエネルギーが変容、修正される可能性がなくなるものではない。


「意識とはエネルギーの集中である」


人間の意識は特に、時空の物質の中に広く集中されている。
同じく意識と言っても、意識は他の形態も取り、異なる現実系で同時に活発に作用しているので、人間の意識だけが時空におけるエネルギー意識ではない。
このような多様性から2つの推論を引き出すことができよう。
一つには人間的な側面は、調性し焦点を絞ると、ずっと集中度の高い次元まで持ってくことが出来る。
これによって生まれる力と行動の可能性は、推測を許さないほど大きなものであるので、軽く考えてはならない。
もう一つは、必要とあらば同じエネルギー系の中の他の非人間形を参考にしてもよいことである。

以上述べたことは、ひとまず置いておこう。
そして実際的段階へ進むことにする。
次に掲げた説明は順に並べてあるが、必要に応じてどの部分を参照してもよい。
人間学習体験のすべてに共通する、決まったパターンや順序があるわけではないからである。
一人の人間の生命演習の初期に起こった出来事が、何年もたってから他の出来事の中に出てくることもあるのだ。



「居待ち原則の確立」



どういう変化が必要とされているのか、自分から積極的に探し出すよりも、変化が自分の日常生活の中に自然に表れてきたとき、その一つ一つに対処しなさい。
無視できないほどはっきりしている感情や愛着が感じられるまで、あるがままに生き、あるがままにしていなさい。



「一日24時間を生きる」


いつもすべての活動において、自分が何をし、何を考えているのか認識するようにしなさい。
そして一番強力であると思える、自分の注意を引く感情的要因を良く考えなさい。
これには、NVC夢の内容を持つ睡眠時間も含めること。
どうしてかを自分自身に問いかけながら、これらの感情的要因を探求し、それぞれの源に行き着くまで、この試みを繰り返しなさい。
その時になれば自分のエネルギーを他の目的のために放出するのが容易になる。
小規模のものから始め、次第に大規模なものに移行すること。



「自我ダイエット療法を始めること」



自我はもっとも防壁が厚い、歪曲した感情の塊で、これを真っ向から攻撃する療法は成功しない。
自我を治療するには、自我が存在するために欠くことのできない感情的力の供給源を絶つことから始めるのがコツだ。
この供給源を調節し、その中にあるエネルギーを別な方向へ向けていくことである。

ここで覚えておかねばならないのは、自我は満足を求めて常に計画を巡らせており、自分が間断なくその企てに責め立てられていることだ。
こうした自我の計画は、他人のためになるよう自己の行動を変容させることを目的としている。
問題は他人へのこびへつらいや、他人を気にしてどう行動するかではなく、自我の企てに対する自分の感情的反応なのだ。

もし単にそうするのが楽しいから贅沢な車を運転したいのなら、それはそれで結構なことだ。
もしこういう車を運転することが、自分をより重要な人間にすると感じたり、運転しているところを見られたかったり、私のもの・であることを誇示したいのだとすると、その人はそういう車を運転することによって、自我の供給源を見つけたことになる。

この教訓を頭に入れ、必要な時に適用し、これに従って行動しなさい。
自我感情のもう一つの供給源は、自己の内部で生成される。
一般に野望と達成動機は主に自我を満足させるプロセスと認められている。
こういう見方が本当か、野望や達成動機がもっと深いところから発しているかを見極めるため、次のテストを行ってみよう。

自分が成功しても、公私ともにいかなる形であれ成果が認められないと仮定してみる。
認められなくても自分の野望や動機は、それにふさわしい形で報われたと感じるであろうか。
また自らの野望や動機は、自分が肉体的に生き残るために、絶対的に欠かせないものであろうか。

もし両方とも、イエス!であれば、自分で気づいているよりも成長しているだろう。
名声や財産や人の追従があっても、自身に課せられた荷は事実上軽くなるであろう。
しかしもし、両方ともノー・であったら、どうしてかを自問し、自我の供給源を絶つようにしなさい。

それを絶つ過程で、主要エネルギー放射が減少することであろう。
そしてそのおかげで、自分が望むように正当化できる。
感情エネルギーを開放すればするほど、知覚するこうしたエネルギーもそれだけ大きくなることであろう。


続く→
ジャンル:
超常現象
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