オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その79 東日本大震災,そしてジャパンデイ  01-04-2011

2011-05-31 06:55:59 | 第71回ー80回

その79                    01-04-2011

東日本大震災,そしてジャパンデイ


3月11日の東日本大震災で亡くなられた方々、心よりご冥福をお祈りします。
そして、被災者の方、不自由な生活をされていらっしゃる皆様、一日も早く日常
の生活が戻ってきますように。


長い長い一ヶ月でした。
3月のメルマガでは、2月22日におこったクライストチャーチのことに触れまし
た。クライストチャーチの地震は、ニュージーランド人にとってはショックな出
来事でした。
それから20日後、東日本大震災がおこりました。
その夜の日本の津波の映像がいまだに目に焼きついています。
映画のワンシーンのようなことが、実際に起きていたのです。

4月の配信には違った話題をと思っていたのですが、やはり地震に関することを
を書きます。
私たちは短い期間にニュージーランドと日本での大震災を身近にし、歴史を塗り
かえる現実に直面していると思います。


3月11日、日本の大震災の日、私達の3歳の孫は台湾のおばあちゃんと東京、
町田の親戚の家にいました。日本語と中国語の習得のため、日本と台湾で3ヶ月
過ごす予定でした。
初めて両親と別れて旅行し、地震を体験し、日本語のわからないアマ(台湾語で
おばあちゃん)と公園に避難しました。大変ショックを受けたようでした。
幸いにもアマがI phoneを持っていて、スカイプで地震直後、ニュージーランド
へメッセージを伝えてきました。この日、インターネットは通じたようでした。

ゆっくりと夫とご飯を食べていたら、娘から電話が入り、日本で地震か起きたと
知らせてきました。
半信半疑でテレビをつけると、どのチャンネルもNHKの特別ニュースをやってい
ました。
車や家がおもちゃのようにおしよせる津波に飲み込まれていく様子が、何度も繰
り返し放送されていました。

その日、私たちは、3月13日のジャパンデイ(オークランド日本人会のおまつり)
の準備に追われていました。
友人は、ジャパンデイ会場にでクライストチャーチの地震の募金箱を設定するた
め、赤十字との連絡にやっきになっていました。
私は、例年通りジャパンデイのいけばな展の担当で、花の仕入れ、材料の準備を
していました。
私は、地震を知ってからすぐ千葉の妹に電話かけましたが、連絡がついたのは2
日目の日曜でした。
妹一家は、電車がとまったため、帰宅に苦労したものの、全員無事で家も被害が
なかったそうです。


地震のニュースを受けて、何人かがあさってのジャパンデイは取りやめではない
かと日本人会会長宅に電話してきたそうです。
しかし、もうキャンセルはきかないところまで日にちが迫っていました。


あくる日、12日はジャパンデイの準備の日で昼ごろから関係者が、会場のASBシ
ョウグラウンドに集まり始めました。
前日遅くまでテレビで地震のニュースを見て夜更かししたり、日本の親戚、友人
の安否確認の電話に追われて、みんな疲れて元気がありません。
まだ日本の家族と連絡の取れてない人がたくさんいました。
電話が混乱していて、被災地だけでなく、東京、関西にも国際電話が通じなかっ
たです。

「こんな時にお祭りだなんて不謹慎じゃない?、花なんか活けてる場合じゃない
でしょ」と涙ぐむ人もいました。
ここまできたらやるしかないと自分に言い聞かせ、なんとかジャパンデイの準備
ができました。


3月13日、総領事館、日本人会の判断でジャパンデイは予定どおり行われました。
地元キーウィーも含め、約3万人がこのイベントを訪れました。
お茶、お花のコーナーも盛況で、たくさんの方々に見ていただきました。
会場入り口では、大型スクリーンで津波の映像が一日中映されました。
クライストチャーチの地震の募金箱と日本の東日本大震災の募金箱の両方が、設
置されました。
オープニングは、総領事のスピーチの後、オペラ歌手高橋侑子さんが君が代を歌
い、その間全員で黙祷しました。

こういった状況でのジャパンデイは、賛否両論がありました。
結果的には、日本の文化を伝えることにより、より多くのオークランド市民に東
日本大震災を知ってもらえたのではないかと思います。

あれ以来、私は行く先々で「あなたの日本の家族は大丈夫?」と声をかけてもら
ってます。友人はもちろんのこと、スーパーのレジのおねえさん、Fish& Chips
Shopのおじさんやらふだん口をきいたこともない人たちまで、日本を案じてく
れてます。

孫とアマは、地震の翌週火曜日に成田空港より台北へ脱出しました。
娘夫婦が孫を迎えに台湾へ迎えに行き、おととい家族3人でオークランドへ帰
ってきました。


娘は、自分がレントゲン技師ということもあり、放射線の人体被害に敏感で、今
回の福島原発の事故を大変気にしてます。
職場では、胎児の超音波検査をやっていていろんなケースを知っています。放射
能汚染された食物の人体への影響、胎児への影響がこわいと言います。

福島原発の放射線の影響を恐れて、東京在住の台湾人の親戚も一時帰国していま
す。
福島在住のニュージーランド人の女性が、赤ちゃんを連れて帰ってくる様子が
こちらのテレビのニュースで放送されてました。


私を含めオークランドの日本の友人達は、東京以北のいる親戚や友人に避難を呼
びかけました。
でも「どうもないよ大丈夫だよ」とか、逆に「どうしようもないからほっとい
て」と、怒る友人もいました。
今回の地震については、ニュージーランドと日本の温度差を実感しました。


私を含め、たいがいの海外在住の日本人は、自分たちで選んで海外に住むことに
したと思います。
従って、今回のような災害がおきれば、安全な地へ移るのが当然と考えます。

新聞によると、多くの都道府県が被災者受け入れを申し出ているにもかかわらず、
被災者の方たちは地元を離れたたがらないため、受け入れが思うように進んでい
ないといいます。
福島原発20キロ以内にも、残っている老夫婦もいるそうです。


私はここでできることをするしかないな、と思います。
普通の生活を送れることに感謝し、一日一日をていねいに過ごそうと思います。

明日、私は、Farmer’s Market のHarvest Festival でいけばなとフラワー
アレンジメントのデモを行います。
主催者に了承を得て、その場で日本の地震の募金を集めます。
デモの謝礼も募金するつもりでいます。

私は花を活けることしかできないから、どんな時も花を活け、花に託して私の思
いを伝えていきます。


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