ひきつづき猫のはなしです。
前回、近所の猫一家の話をしました。
怪我をして片目をやられた子猫。なんとか事故にあわず生き延びて・・・と願っていました。
それから、すぐのこと。
外出から帰って、その路地を車で通りかかったら、
道の上に、子猫が不自然に寝そべっていました。
もしや・・・と思い、車を停めて近寄ると・・・
やはり、あの子でした。
すでに息はしていませんでした。
なんていうこと・・・
しゃがみこんで思わずそう呟いていると、
ちかくの家から、携帯を片手に年配の男性が現れ「やっぱダメそうかねぇ」と。
市役所に連絡を取っていたようす。
状況はわかりませんが、はねた当人ではなく、第一発見者のようです。
切なそうな顔をして「かわいそうにねぇ」と、やはり覗き込んでため息混じりにそう呟いていました。
近所の方ですし、この猫一家のことも知っていたでしょう。
何度か、道の真ん中の白線の上にうずくまっているのを見たことがあります。
白い猫で、そこにいると落ち着くと思ったのかもしれませんし、
白い線が保護色になって、上空のカラスから身を守れるという本能的ななにかがそうさせたのかもしれません。
身を守るための行動が、人間の乗り物という別の天敵にとっては、見えにくく避けにくいという、かえって危険をよぶ行為になってしまったのか・・・・。
路上には、その白線のあたりではねられたという痕跡がありました。
場所的に、バイクでしょうか。四輪の轍が通る位置ではありませんでした。
かすかな声に耳を澄ますと、
すぐそばの、彼ら一家の飼い主?の家の生垣の陰で、
母猫が、ちいさくちいさく泣いていました。
母の目の前でのできごとだったのでしょうか。
他の子どもたちは、折り重なるようにしてすでに眠っていました。
その傍らで、母猫は、ただただ、道に横たわる子猫と私たちのほうをじっと凝視して、小さな声を上げていました。
守りきれなかった小さな命に、彼女は何を思っていたのでしょう。
通りかかったカップルの助けを借りて、
警察(役所は翌日にならないと引き取らないとわかったので、カップルの女性のほうの助言で警察に引取りをお願いしました)の引取りを待つ間、
せめても、と、なきがらを道の隅に移してあげることにしました。
ありあわせの道具で、子猫をスーパーのビニール袋の上にのせ、そっと動かして。
手に触れた小さな体はまだ温かく柔らかで、
力ない首が、すこし揺れました。
道端の雑草の傍らで、白いビニール袋は寂しい棺になりました。
記憶の中で、
元気だったときになでた背中のか細い手触りと、抱き上げたときの軽さと柔らかさ、
そして、なきがらの頼りない重みが、
入り混じって、たまらなくせつなくなります。
短かった命、せめて安らかに。
そう願うのは、結局、
生きている者自身がこころ安らかであるための方便という気もしないでもない、そんな信仰心の薄い俗物の私ですが、
でも、
きょうだいのなかでもなぜか一匹だけ、格段にはかなかったその命。
せめて次の世というものがあるならそこでは幸せにと、つい思ってしまうものなのです。
一家は、今日もいつものところで仲むつまじく転げまわって過ごしています。
母猫、わたしは勝手に「おかあちゃん」と呼んでいますが、
残る4匹の子どもたちの子育てに奮闘中です。
おかあちゃんも子どもたちも、どうか元気で、無事で過ごせますように。
前回、近所の猫一家の話をしました。
怪我をして片目をやられた子猫。なんとか事故にあわず生き延びて・・・と願っていました。
それから、すぐのこと。
外出から帰って、その路地を車で通りかかったら、
道の上に、子猫が不自然に寝そべっていました。
もしや・・・と思い、車を停めて近寄ると・・・
やはり、あの子でした。
すでに息はしていませんでした。
なんていうこと・・・
しゃがみこんで思わずそう呟いていると、
ちかくの家から、携帯を片手に年配の男性が現れ「やっぱダメそうかねぇ」と。
市役所に連絡を取っていたようす。
状況はわかりませんが、はねた当人ではなく、第一発見者のようです。
切なそうな顔をして「かわいそうにねぇ」と、やはり覗き込んでため息混じりにそう呟いていました。
近所の方ですし、この猫一家のことも知っていたでしょう。
何度か、道の真ん中の白線の上にうずくまっているのを見たことがあります。
白い猫で、そこにいると落ち着くと思ったのかもしれませんし、
白い線が保護色になって、上空のカラスから身を守れるという本能的ななにかがそうさせたのかもしれません。
身を守るための行動が、人間の乗り物という別の天敵にとっては、見えにくく避けにくいという、かえって危険をよぶ行為になってしまったのか・・・・。
路上には、その白線のあたりではねられたという痕跡がありました。
場所的に、バイクでしょうか。四輪の轍が通る位置ではありませんでした。
かすかな声に耳を澄ますと、
すぐそばの、彼ら一家の飼い主?の家の生垣の陰で、
母猫が、ちいさくちいさく泣いていました。
母の目の前でのできごとだったのでしょうか。
他の子どもたちは、折り重なるようにしてすでに眠っていました。
その傍らで、母猫は、ただただ、道に横たわる子猫と私たちのほうをじっと凝視して、小さな声を上げていました。
守りきれなかった小さな命に、彼女は何を思っていたのでしょう。
通りかかったカップルの助けを借りて、
警察(役所は翌日にならないと引き取らないとわかったので、カップルの女性のほうの助言で警察に引取りをお願いしました)の引取りを待つ間、
せめても、と、なきがらを道の隅に移してあげることにしました。
ありあわせの道具で、子猫をスーパーのビニール袋の上にのせ、そっと動かして。
手に触れた小さな体はまだ温かく柔らかで、
力ない首が、すこし揺れました。
道端の雑草の傍らで、白いビニール袋は寂しい棺になりました。
記憶の中で、
元気だったときになでた背中のか細い手触りと、抱き上げたときの軽さと柔らかさ、
そして、なきがらの頼りない重みが、
入り混じって、たまらなくせつなくなります。
短かった命、せめて安らかに。
そう願うのは、結局、
生きている者自身がこころ安らかであるための方便という気もしないでもない、そんな信仰心の薄い俗物の私ですが、
でも、
きょうだいのなかでもなぜか一匹だけ、格段にはかなかったその命。
せめて次の世というものがあるならそこでは幸せにと、つい思ってしまうものなのです。
一家は、今日もいつものところで仲むつまじく転げまわって過ごしています。
母猫、わたしは勝手に「おかあちゃん」と呼んでいますが、
残る4匹の子どもたちの子育てに奮闘中です。
おかあちゃんも子どもたちも、どうか元気で、無事で過ごせますように。