1月はいってしまう
2月はにげてしまう
3月はさってしまう・・・
なーんて、年明けからこっち、時間の過ぎるのが2倍速になっているような気がする今日この頃のLynn.Jですお久しぶりぶり。
近所の梅林が昨日今日の暖かさをうけて一気に咲きそろいました。いい香りがしてます。
そして世間ではオリンピックが始まっております。
とりあえず、慌しい毎日のなか、なんでかフィギュア男子シングルの放送時間だけぽっかり時間があったりして(ほんとに不思議なくらいそこだけ予定が何もなかった)Liveの時間帯をテレビの前に張り付いて過ごしたりなんかした。幸運といえば幸運。ショートプログラムもフリーもほぼ全部を見ることができた。
なんか、「勝つ」ってことについてちょっと考えた。
フィギュアの場合の「勝つ」っていったいなんだろう、みたいな。
なんかまだ自分のなかでうまく整理がついていない感じがして言葉にはしづらいのだけれども。
まぁ、この競技、点数をつけて優劣を競うというところにそもそも無理があったりするのだろうなぁなんて諦観もかすかにあったり。
とりあえず、私が今回いちばん心を動かされたのは勝ったライサチェクでも4-3を見事に跳んだプルシェンコでも日本人初のメダルを得た高橋大輔でもなく、
ジョニー・ウィアーだったんだ。
なにか、こう、もやもやするいろんなあれこれと違う場所に彼は居た、ような気がする。
ものすごくピュアにジョニー・ウィアーそのものであったというか。
ある勢力、それに対抗する勢力、そしていろんな選手が多かれ少なかれそのやり取りや綱引きの空気の波をかぶって、その論争との距離を意識したような状態に置かれているときに、
彼はまったくそういうものからは隔絶しているように(少なくとも演技中は)見えた。
なんかね、感動すると同時にほっとする時間帯だったわけですよそれが。
思えばたとえばソルトレイク。
迷いもぶれもなく、結局みんなジョニーと同じように「自分」でしかありえなかったような気がする。
選択の余地はなかったと言ってもいいのかもしれないけど。
そんななかで、それぞれの「自分」が激しくぶつかり合って火花を散らす、そんな試合だったように思う。
どうも今回、見ているこちらの気持ちの問題であろうとは思うけど、選手たちの「自分」以外のものがちらちらと視界に入ってきて、なんだか演技が見えにくくなっているような気がした。
拭いても拭いても降りかかってくる雨粒のように。
そして、むこうしばらく、その雨は続くのだろうなと。
まぁ、そんなことを思いつつ、
終わってみれば、そのあと半日頭痛に悩むくらい入れ込んで見ていた自分がいるわけで
実況の西岡アナ、お疲れ様でした。すばらしかったです
なんというか、フィギュアという競技をどう伝えたらいいのか、そこにちゃんと自分の考えがあって、それをきちんと実現しようとしているという感じが伝わってきました。
その意図というか姿勢は、解説の本田武史氏ととても噛み合っていて、双方が同じ気持ちで実況しているという、そういうなんつーか見事なコンビネーションが。
これってやっぱ片方だけじゃダメで、阿吽の呼吸みたいなもんがあるんだろうなぁと思った次第。
本田君(ごめん、やっぱり自分にとって彼は「君」だ)は、声そのものが言葉よりもずっと雄弁に語るという非常に稀有?な解説で。
でも、ともすれば「解説」より「応援」が先にたってしまうような場面で、他競技では感情むき出しの言葉が出てしまう解説者も(アナウンサーすら)多い中で、
そういう逸脱を一切せずに抑え込んで「解説者」に徹した態度がとてもよかったです。
そういう姿勢だから逆に、声の震えに込められた感情が、どんな絶叫よりも雄弁に気持ちを物語るという場面を生んだんでしょう。
ちょっと彼自身の演技に似てますね。そういうところ。
ということで現在おそらく女子のショートプログラムがまさに進行中だと思うんですが、
いろいろと恐ろしくてテレビをつけられません
忙しいんじゃ~!!!!!!
2月はにげてしまう
3月はさってしまう・・・
なーんて、年明けからこっち、時間の過ぎるのが2倍速になっているような気がする今日この頃のLynn.Jですお久しぶりぶり。
近所の梅林が昨日今日の暖かさをうけて一気に咲きそろいました。いい香りがしてます。
そして世間ではオリンピックが始まっております。
とりあえず、慌しい毎日のなか、なんでかフィギュア男子シングルの放送時間だけぽっかり時間があったりして(ほんとに不思議なくらいそこだけ予定が何もなかった)Liveの時間帯をテレビの前に張り付いて過ごしたりなんかした。幸運といえば幸運。ショートプログラムもフリーもほぼ全部を見ることができた。
なんか、「勝つ」ってことについてちょっと考えた。
フィギュアの場合の「勝つ」っていったいなんだろう、みたいな。
なんかまだ自分のなかでうまく整理がついていない感じがして言葉にはしづらいのだけれども。
まぁ、この競技、点数をつけて優劣を競うというところにそもそも無理があったりするのだろうなぁなんて諦観もかすかにあったり。
とりあえず、私が今回いちばん心を動かされたのは勝ったライサチェクでも4-3を見事に跳んだプルシェンコでも日本人初のメダルを得た高橋大輔でもなく、
ジョニー・ウィアーだったんだ。
なにか、こう、もやもやするいろんなあれこれと違う場所に彼は居た、ような気がする。
ものすごくピュアにジョニー・ウィアーそのものであったというか。
ある勢力、それに対抗する勢力、そしていろんな選手が多かれ少なかれそのやり取りや綱引きの空気の波をかぶって、その論争との距離を意識したような状態に置かれているときに、
彼はまったくそういうものからは隔絶しているように(少なくとも演技中は)見えた。
なんかね、感動すると同時にほっとする時間帯だったわけですよそれが。
思えばたとえばソルトレイク。
迷いもぶれもなく、結局みんなジョニーと同じように「自分」でしかありえなかったような気がする。
選択の余地はなかったと言ってもいいのかもしれないけど。
そんななかで、それぞれの「自分」が激しくぶつかり合って火花を散らす、そんな試合だったように思う。
どうも今回、見ているこちらの気持ちの問題であろうとは思うけど、選手たちの「自分」以外のものがちらちらと視界に入ってきて、なんだか演技が見えにくくなっているような気がした。
拭いても拭いても降りかかってくる雨粒のように。
そして、むこうしばらく、その雨は続くのだろうなと。
まぁ、そんなことを思いつつ、
終わってみれば、そのあと半日頭痛に悩むくらい入れ込んで見ていた自分がいるわけで
実況の西岡アナ、お疲れ様でした。すばらしかったです
なんというか、フィギュアという競技をどう伝えたらいいのか、そこにちゃんと自分の考えがあって、それをきちんと実現しようとしているという感じが伝わってきました。
その意図というか姿勢は、解説の本田武史氏ととても噛み合っていて、双方が同じ気持ちで実況しているという、そういうなんつーか見事なコンビネーションが。
これってやっぱ片方だけじゃダメで、阿吽の呼吸みたいなもんがあるんだろうなぁと思った次第。
本田君(ごめん、やっぱり自分にとって彼は「君」だ)は、声そのものが言葉よりもずっと雄弁に語るという非常に稀有?な解説で。
でも、ともすれば「解説」より「応援」が先にたってしまうような場面で、他競技では感情むき出しの言葉が出てしまう解説者も(アナウンサーすら)多い中で、
そういう逸脱を一切せずに抑え込んで「解説者」に徹した態度がとてもよかったです。
そういう姿勢だから逆に、声の震えに込められた感情が、どんな絶叫よりも雄弁に気持ちを物語るという場面を生んだんでしょう。
ちょっと彼自身の演技に似てますね。そういうところ。
ということで現在おそらく女子のショートプログラムがまさに進行中だと思うんですが、
いろいろと恐ろしくてテレビをつけられません
忙しいんじゃ~!!!!!!