バカブンド

探し物はなんですか?

バカブンドのこんな話 ニューオリンズから帰る 次にワシントンDCの仕事がきた

2016年11月29日 07時22分02秒 | ロード人
旅はこうして始まった マイロード・・・。


ニューオリンズから戻って二ヶ月。家族との生活が楽しい。
子供が未だ小さい事もあり毎日の話題がつきない。お金には未だ余裕はあったが、
「そろそろ、仕事を始めよう」
生活の為に都内の店で働き始めた。
そんな時、知人から海外の仕事の話が来た。ニューオリンズでの仕事の評判がよくて、
「ワシントンで、店をオープンするのでやってくれないか」
と言う話だ。
帰って間もない事もあり、年齢的にも落ち着かなければと思い始めた時でもある。
直ぐには返事はせずに女房に相談。でも、心は揺れた。
「行ってみたいけど中途半端な気もするし、先に続く仕事か解らない」
と言うと、彼女も海外が好きのようで、
「将来の事を考えると少し不安。でも、どうにかなるよ」
こう言う所も嫌いではないが、子供の教育はと言うと、
「アメリカは決して悪くないよ」
どうも、彼女自身が行きたいようだ。
「まっ、いいか」
と言う感じで行く事にした。今度は子供も一緒の生活。
「海外か」
「中途半端はできない」
「きっと、アメリカには何かがある」
「でも、この子の将来大丈夫かな、少し心配」


いよいよ、アメリカのワシントンに行く日が近かくなってきた。
自分の親兄弟からは、
「又、行くのか」
弟は、
「兄貴はいいよな、好きに海外に行けて」
俺は怒った。
「自分の人生を戦わなくてどうするんだ、中途半端に死んで行くのか」
すると弟は、半ば怒りながら、
「だったら、母さん頼むなって言うなよ」
言葉を返せなかった。
親父の死を知らずに、海外で自由にしていた時がある。でも、
「母さん頼むな」
と言った。
「ああ、解った」
と言ってくれた。
すまない気持ちはあるけど、行く気持ちは変わらない。これが俺が決めた道だから、こうやって今まで世界を一人で回って来た。
「今さら変わる事はない」
出発の日、両方の親兄弟達が見送ってくれた。
「別れはいつも辛い」
一生の別れではないのに、親兄弟達は誰も海外に行った事がないから、なおさらそう思うのかもしれない。
つい数ヶ月前にニューオリンズいた自分には、アメリカに帰るような気分になっていた。
今度は妻と子供を連れての旅。
女房は久々の海外に楽しそう。
子供は、何も知らずについて行くだけと言う気持ちだろう。
この子はローマから日本、日本からワシントンへと二度の海外と飛行機の旅。
自分達の親兄弟達が、誰一人行った事もない経験をしている。
「この経験が、この子にどの様な変化をもたらすのだろうか」


飛行機は初めにニューヨークに着いて国内線に乗り換え、やっとの事でワシントンに着いた。
二度目のブラジルに行った時、二十四時間かかって行った事を思い出した。
「それに負けない位遠い」
飛行場には誰の迎いもなく、自分達で目的の住所に行く事になった。
「俺は慣れているからどうにかなるけど、海外経験のない人だったらパニックになるだろう」
とりあえず電話をして住所の確認をした。
電話に出た女性は、日本語があまり得意ではなさそうな感じ。でも、どうにか通じて確認が出来た。最後に出た女性は、生意気そうな声で命令調だ。
「この人が女将さんになる人だろう」
直ぐに感じた。
「いやな声だ」
この先の不安を感じた。
目的の住所に着いたのは、夜の九時を過ぎていた。
「ぐったり」
先程の電話の声の二人の女性が来ていた。
一人は美空ひばりを意識したような髪型で、高慢な感じの女性。もう一人は日系何世かと言う感じの女性。高慢な感じの女性の発した初めの言葉が、
「休む、それとも食事に行く」
「むかっと来た」
最低でも長旅でご苦労さまだろう。
その上、こっちには小さな子供もいる。
「何て無神経な女だ」
「どうも、先ほど電話で感じた事は的中した感じ」
着いたばかりで、アメリカでの期待と夢はどこかにいった。
「作戦の練り直し」
「本当に真剣に考えないと、とんでもない事になるかも」
でも、翌日から本当に事件は起きた。


朝から一ヶ月後の店のオープン準備の打合せ。
初めて会う人達。顔を見るだけで一癖二癖もありそうな人間達。
天ぷら担当の責任者と寿司担当の責任者。どう言う訳か石焼ビーフの担当の洋食の人もいる。
表のサービスの責任者、そして俺が和食の責任者。後は、昨日会った女将さんと経理担当の女性。どう考えても調和が取れているとは思えない。
日本での和食の体制ならば、自分が一番上のはずだがどうも違うようだ。
「当分は、様子を見ながら考えよう」
「天ぷらの責任者が、どうも態度が一番大きそう」
「寿司の責任者は、我冠せずのようだ」
「洋食の人は腕がなさそうで、天ぷらの責任者に媚を売っている感じ」
初めに起きた問題は、日本での契約内容と違う件だ。
寿司の責任者の給料の内容が、日本で聞いたのとは違うと言う。来て数日しかたっていないが帰ると言う。
次に起きた問題が、誰が親方という問題。
天ぷらの責任者が、日本を出る時に社長から言われたと言っている。俺は特に文句も言わず答えもせず沈黙をとった。
店の女将は、日本での水商売の経験がないので判断がつかないようだ。
日本の社長に現状を電話して来てもらう事にした。
「こんな調子で出来るのか」
夜になるとそれぞれの部屋での作戦会議。
俺は家族がいるので生活が出来る様に準備を始めた。経理担当の女性が子供が好きなようで、よく部屋に来るようになった。そして、女房とも馬があったのか仲良くなり、おかげで色々と助けてもらった。
ある時、彼女が言った言葉が、
「どうして、日本から来た人達は仲が悪いのでしょうね」
「それは違う、仲が悪い訳ではなく、自分の立場をはっきりさせないと、仕事をしないのが職人と言う人種」
と教えた。
彼女は理解できないと言う。
「無理かも知れない」
「日本人でも、普通の人達は職人と言う人種は解っていないかも知れない。ましてアメリカにずっといる人にはなおさら難しい」
数日後、日本から社長がやって来た。
皆で昼飯を食べて、その後、建設中の店の中でのミーティイング。
社長は、責任者の件の話を皆の前で始めた。
「和食の責任者を中心にする。皆も協力するように」
その時は皆も解ったような顔をしたが、これからが大変。
「何をやるにもうまく行かない」
数週間後の店のオープン。すると、今度は食材確保での準備の問題。
店の女将もそれは調理責任者の問題と言う。日本なら兎も角ここはアメリカだ、仕入れルートを決めていないなんて信じられない。
特に寿司部門は魚が命、それも鮪は必須の食材。開店までに何でも最低五十キロ位は必要と言う。
開店の一週間前に冷凍庫付のトラックで、寿司屋の若者を運転手に、ニューヨークまで買い付けに行った。
「何てこった、この先どうなるのかな」
ニューヨークに向かうトラックは、夜のハイウェーを不安飛行。
「バカヤロー」
が腹の中にこだました。


どうにか、店はオープンをした。


開店からも、何回かニューヨークへの買出しをやり、これもいい経験と自分に言い聞かせた。
パリに居た時も、週二回、夜中の二時に開く市場へ食材の買出しに行っていた。
「朝方のパリの街は、何とも言えずカッコいい」
「昨日の臭いを残し、新しいパリの朝が生まれてくる」
ニューヨークに行く時も、前夜の十時位に出て朝の市場を目指した。
ニューヨーク市内に入る手前の橋を渡る時、その時の町もカッコいい、
「これ位の役特は当然」
「この風景は、俺の中の世界の景色ベストグループに入る」


ワシントンDCはアメリカ人から見ても特別な所らしい。
毎日の世界のニュースには、ホワイトハウスは必ずと言う位出てくる。
それにアーリントン墓地、あのケネディー大統領が眠る有名な所だ。
そこには、第二次世界大戦で亡くなった多くのアメリカ人の墓も有る。
日本は敗戦国だか、ここには多くの日本人が住みお参りにも来る。
「不思議な感じだ」
俺は二度目のブラジルに行く前、二年程海上自衛隊にいた時代がある。
船にも乗り厚木の米軍基地にもいた。その時に日米共同演習で硫黄島に行った事がある。
島には未だ一般人は入れない時代で、海上自衛隊とアメリカ軍の基地が在るだけ。
それだけに、戦争の跡が多く残っている。
海上自衛隊の基地の中には、戦死者の慰留品を保管しているテントがある。
「見ているだけ胸が詰まって来る」
遺留品と言えば、広島の江田島に行った時もそうだ。
有名な特攻隊基地があった所。そこには悲しい物言わぬ展示品の数々。
今はワシントンのアーリントン墓地を見ている。
「戦争は悲しみを作るだけ、それ以外に何もない」


ワシントンの店の前はポトマック川が流れ、ヨットハーバーがあった。
「高級な場所だ」
店はそれなりに起動に乗り夏がやって来た。


ある日、突然に社長が日本からやって来て、全員を集めてミーティングをしたいと言う。
「飛行機に食事を提供する仕事を始める」
新しいビジネスの事を説明した。
我々は反対する必要もないが、
「どうやるのか、人の件はどうするのか」
俺が質問をすると、社長は、
「現在の人員でやる」
その上その責任者は俺で、レストランの方は天ぷら屋の責任者中心でやると言う。
「初めからこれを考えていたのか」
腹がたった。
その時は無表情のまま答えなかった。
家に戻り家内に話すと彼女も話があると言う。
「子供が出来たの」
「えっ、本当に」
「嬉しいけれど、店の俺に対する処遇を考えると辛い」
子供には罪はない。
女房にもその話をした。
「忙しくなるね、大丈夫」
「子供、どうしようか」
「日本で生もうか」
「ばか言え、俺はがんばるよ」
俺はその仕事を始める事にした。
それから始まる過酷な日々は、想像も出来なかった。


その仕事は始まった。
昼は通常の営業がある為、我々の新しいビジネスチームは夜中の仕事だ。
内容は飛行機への和食の提供。メンバーは寿司職で親方と合わない奴、大学を出て寿司の見習いでドライバー兼務の二人だけだ。
「都合のいいように俺は使われたのだ」
ビジネスの相手は大企業だが、俺達は瓢箪から駒的な感じでの仕事。
「上手くいけばラッキー。駄目でも痛手が小さい」
夜中の仕事は思った以上に辛い。生活が真反対で家族との時間はすれ違い。
その上、このビジネスは年中無休でシフト勤務。「責任は全て俺になる」
「どうして、こんな仕事を受けたのかな」
生まれる子供と家族の事を考えると後には引けなかった。仕事は順調に進んだ。


朝方に出来た食事を飛行場に届ける。
「朝のワシントンも綺麗だ」
飛行場までのフリーウェーも素晴らしい。それと終わった後でのビール。
普通の人達はその時間に仕事に行く。小さな優越感が自分を支えた。
でも、事件と異変が起きた。
ある日、一緒にやっていた寿司職人の夜逃げ。
何時ものようにアパートの前で待っていると、若い奴が血相を変えてやって来た。
「こんな物が置いてあって、居ません」
「置手紙だ」
「迷惑かけてすいませんです。探さないで下さい」
と書いてある。直ぐに店の女将さんには連絡をし、俺達は時間がないので仕事に行った。
いつもの時間で仕事を終え、飛行場から帰ってから相談をした。
女将さんは判断がつかないので、
「少しの時間辛抱してほしい」
日本から社長を呼んで相談すると言う。
数日後、社長が来た。
事情を説明してこれからの体制の相談をした。すると、
「昼の店の方も経営が上手くいっていない。逆に機内食ビジネスの方が利益が出ている」
「それならば、ちゃんと人を入れて下さい。そして、今の様な夜中の時間帯ではなく、昼間に出来る場所でお願いしたい」
「解った」
社長は約束した。その上給料も上げてくれた。
後日、若い人が日本からやって来た。
とりあえず人の確保出来て、又いつも時間が流れた。


ある日、店の女将さんが部屋に尋ねて来た。
「昼間の経営が上手くいかない。食材費が高く、天ぷら屋の責任者がちゃんとしていない」
と言う。俺は、
「大変ですね」
と冷たく言った。
散々いい様にされた自分には興味が無い。すると、
「又、昼間に戻ってくれない」
と言う。俺は即答を避けた。
「何ていい加減な奴らばかりなんだ」
「この店は多分失敗する」
来月には二人目の子供が生まれる。でも、後何年かでここを出る予感がした。
この時、親父に出来なかった親孝行をお袋にしようと考えた。それを女房に話すと、
「出来たら自分の母親にして欲しい」
「自分の親の方が何でも言えるから」
「それはそうだ」
「ああ、上手くいかない。店の件、子供の件、お袋の件」
どうにか妻を説得して、お袋を日本から呼べる事となった。
お袋一人では心許ないので、兄貴も一緒に呼んだ。
出産予定日の一週間前に来た。お袋と兄貴は海外は当然初めてだ。
お金に少し余裕があったので、旅費を出してのお願いだ。
俺は相変わらずのミッドナイトワーク。
「こんな仕事をしているか」
と驚いていた。
「世の中そんなに甘くないよ」
と俺は言った。
いよいよ出産の予定日。
本当にその通りに陣痛が始まり病院に行った。
俺は仕事明けなの徹夜。お袋と兄貴は英語も出来ないので上の子供の面倒を頼んだ。
病院に着いても事前の予約があるので、スムーズに事が進み分娩室まで行った。
アメリカは当然のように立会い出産。ドクターとベテラン看護婦さんと俺の三人だけだ。
ドクターは俺に妻の手を握り、
「アイラブユー」
と出産中ずっと言えと言う。
ドクターも看護婦さんも終始笑顔。俺の気持ちを和らげてくれる。
ローマの時は立会いが出来なかったが、妻には本当に感謝している。
「外国での二回の出産は、俺以上に不安だろう」
「文句は言わない強い女だ」
子供が生まれた。
「感激で涙が止まらない」
「幸せ」
誰とも無く近くにいたアメリカ人からは、
「おめでとう」
と言われる。
「いい国だ」
ローマの時もそうだった。
子供が生まれると言う事は、世界中どこへ行って幸せな事なんだろう。
子供が生まれて直に違う部屋に連れて行かれ、
「ここにある電話で、世界のどこでもいいから、連絡したい所があれば電話しなさい」
と言う。
「流石にアメリカは世界規模だ」
妻も二人目の出産という事もあるのか、落ち着いていた。
俺はアパートに電話して、お袋と兄貴に連絡をした。上の子供は大丈夫だからと言う。病院の方は完全看護なので夕方まで居て帰った。
「寝なければいけない」
「今日も仕事がある」
お袋達に子供を頼み夜中の仕事に行った。
「でも、辛くない。新しい家族。それと、親父には出来なかった親孝行がお袋に出来た」
そんな小さな幸せが、寝不足の俺に元気をくれた。 
次の日、仕事明けに病院に行った。女房はすこぶる元気で子供も元気、明日は退院だ。
「早い」
三日間での退院。今日のお昼はステーキが出ると言う。
「何て回復が早いんだ」
妻もイタリアの病院との比較をして、アメリカの合理的で医学の進んでいる事に驚いた。
次の日、妻と子供を連れて病院を出た。
アメリアでの出産費用は百万円はかかる。会社の保険のグレードが高かったので少ない費用ですんだ。保険にはっていない人には厳しいアメリカのようだ。
その夜はお袋と兄貴達とささやかなお祝い、皆泣いていた。
俺は呼んで良かったと本当に思った。
上の子供はずっと赤ん坊を見ている。
「不思議なんだろう」
来週にはお袋達は日本に帰ると言う。
妻も元気そうなので、休みの時にワシントン市内とニューヨークを観光させようと思った。
お袋は、
「自由の女神を見たい」
兄貴は、
「エンパイヤビルを見たい」
出産の手伝いとは言え、初めてのアメリカだから当然かも知れない。
妻はご機嫌斜めになる。
「上手くいかないな」
不満はよく理解できる。
何の為に日本からお袋と兄貴を呼んだのか。
出産後の大変さを助ける為に呼んだんだが、俺は女房に言った、
「その通りだ。もし君がとても具合が悪ければ、お袋達には我慢をしてもらう。そうでなければ、親父に出来なかった親孝行をさせてくれ」
妻は理解をしてくれた。


休みの日、朝早くにアムトラークに乗りニューヨークに行った。
兄貴は楽しそう。お袋は目を丸くして窓を見ている。俺は妻には申し訳ないがこれでいいと思った。
マジソンスクエアガーデン傍の駅に着いた。
「夕方の六時には、ニューヨークを出なければいけない」
初めに目指したのはエンパイヤビル。兄貴は子供ように喜んでいる。それから、世界貿易センター、
世界一高いビルにお袋は感激。お昼は五番街でハンバーガーを食べてたが、
「お袋には無理」
出る時に女房が作ってくれた、梅干入りのおにぎりを感謝して食べていた。
「申し訳ない。私達だけニューヨークに来て楽しんでいる」
国連ビル、ブロードウェー、タイムズスクエアー。そして、今回のメインの自由の女神。
船で島に渡ると、目の前に自由の女神を見える。
「こんな傍で見たのは初めて」
お袋は女神の頭の所まで昇った。兄貴に、
「お袋は元気だな」
と言った。
「親父が生きていれば一緒に来れたのに」
兄貴は涙ぐんだ。
お袋の満足の顔と、兄貴の興奮のままワシントンに帰った。
やさしく妻は迎えてくれた。
「本当に感謝」
妻に、五番街をお袋が歩いている姿を、
「今でも嘘みたいだ。海外なんて似合わない。すごく可笑しいけど、いつか天国にいったら親父にちゃんと伝えてくれかな」
「お袋がスニカーを履いて、五番街を歩いたんだ」
声に出して、妻にありがとうと言った。
妻はニコッと笑いうなずいた。
翌週、お袋と兄貴は日本に帰って行った。


家族四人でのワシントンのクリスマス。
ラジオから流れて来るホワイトクリスマス、どこか心の中に寂しく聞こえる。
女房と上の子は一緒にケーキを作っている。俺は生まれたばかりの下の子の顔を見ながら、先の事を考えていた。
「この家族を守らなければいけない」
今の夜中の仕事がいつまでも続くわけがない。社長は約束を守ってくれて、昼の時間帯で仕事が出来るようしてくれれば、俺はアメリカにずっと住んでもいいと思った。妻が、
「食事が出来たよ」
と言って来た。上の子供は本当に楽しそう。
「メリークリスマス」


生活パターンの反対の毎日、もう限界かも知れない。
「よく眠れない」
家族は気を使って昼は静かにしてくれる。夜の御飯は少し遅めで皆と食べる。
朝も俺の帰りを待って食べる。昼と夜は反対だけれど、皆とはいつも一緒。でも、結局は家族が俺に合わせて無理をさせている。
店の女将さんが、又部屋に来た。
「天ぷら屋の責任者が辞めるの」
「助けてくれない」
と言って来た。俺は、
「以前に社長に言った話の返事を聞いていない。それに、今は店は経営が大変と聞いている。俺がオープンの時に大変な思いをして、どうにか起動にのれたら、今の仕事に変わってくれといい。今度は、昼の状態と人の件が上手くいかないから、又昼の方に変わってくれないかと言う。何か都合よく人を使おうとしていないか。夜中の仕事は利益も出て順調と聞いている。とりあえず、社長と約束した件の答えを聞いてからだ」
女将さんはがっかりしたように、
「解った」
数日後に社長は飛んで来た。
夜中の仕事明けで話し合いをした。社長は、
「昼の経営がきつい。責任者を日本から呼んでも上手く行く保障がない。このままでは、昼のやり方を変えなければならない」
「変えて上手く行くのならば、変えた方が良いではないですか。例えば夜だけの営業にして人も少し減らす」
社長も、そうしようと考えていると言う。
「それと、今は夜中のビジネスの方が順調で利益が出ている。金の成る木と言う感じではないですか。以前に私が話した、昼でも出来る体制と場所の確保の件はどうですか」
「うん・・・、当分無理だな、給料の件ならいくらでも相談に乗る」
「金だけの問題ではなく、体もきついし、又、いつ人が辞めるわからない状態では長続きはしないと思いますが」
「その時は、そのビジネスは止める」
「えっ、俺達の仕事はとりあえずですか」
「それがビジネスだ」
その時、俺は心の中でもう終わりだと思った。その後は言葉がないので失礼した。
家に戻り女房に話をした。
「出来ればこのままアメリカに居たいけれど、貴方の体が心配」
店を辞める事にした。
その件を店の女将さんに伝えた。彼女は驚き、
「社長に連絡するので、それからにしましょう」
と言う。
翌日、女将さんが又部屋に来て、
「もう一度、どうにかならない」
「無理」
と俺は言った。
「改善が出来ないなら、体が壊れる」
女将さんは社長の伝言を言った。
「人を送るので引継ぎとトレニーグを含め、三ヶ月待ってほしい」
とお願いされ、俺は了解した。
話を聞いていた女房もうなずいていた。
「私達はワシントンは嫌いではないのに、でも、夜中の仕事をずっと続けると内の人が死んでしまうかも知れない。この子供達はどうなるのですか」
女房は泣き出した。女将さんも泣いていた。
そうして、三ヶ月後に日本に帰る事が決まった。
二人きりになった時、俺は女房に、
「済まない」
と言った。
「日本に帰るけど、又、苦労かけるな」
言葉が続かない。
夢を抱いてきたアメリカだけど上手くいかなかった。親孝行は出来たが、家族の幸せを確保出来なかった。
その時、俺はとんでもない事を女房に話しをした。
「どうせ帰るのなら途中下車しよう。このままでは辛い思い出だけのアメリカになる。ハワイで一ヶ月のんびりして帰ろう」
「えっ、そんなお金があるの」
「大丈夫、三ヶ月残ってくれと言う代わりに特別給料が出る。それから、知合いの旅行代理店の人に安く住めるコンドミニアムを探してもらう」
そんな事で帰国途中下車となった。
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