フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

愚痴

2017-04-23 23:12:26 | Weblog
決して愚痴や言い訳や愚痴をこぼすな。よく先輩から教えられた言葉です。言い訳するなは、どんなに上手い言い訳を考えても事実は変わりません。事実は事実です。素直に反省することが必要です。ましてや、愚痴をこぼしてばかりいては一歩も前に進みません。と、ここまでは建て前で話しました。愚痴に関しては、周りの誰にでも愚痴ばかり話していては、誰も真剣に聞いてくれず、やはり信頼性も失っていきます。
ただし私は、解答を出してもらう必要はないけれども、聞いてもらう人は欲しいものと思います。一人だけ作ることをお奨めします。つまり、親友と言っていい存在です。身内の中に見付けるのもよし、学生時代の友人でもよし、心の内をさらけ出すことが出来る人です。しかし片道切符ではダメですよ。その相手の愚痴を黙って受け入れる覚悟が必要です。そうした存在であれば、その人にだけ愚痴ってOKです。そうすれば、新しいスタートに愚痴を引きずることはありませんね。

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欠点

2017-04-22 23:26:39 | Weblog
古いドラマの「暴れん坊将軍」はいまだに私のベスト番組で、再放送どころか、再再放送であっても視るタイミングさえ合えばいつも楽しんでいます。主人公は徳川幕府の8代将軍、徳川吉宗のことで幕府中興の祖と称された将軍ですね。その吉宗の言葉に『全徳の人は得難く一失あれば一得あり。一善あれば一過はゆるすべきなり』があります。貴方は相手の欠点ばかりが気になってしまっていませんか?欠点ばかりに目がいくと素晴らしい長所が見えなくなってしまいます。
この言葉の大切なところは、相手の中に見える欠点に目をつぶる姿勢を持つことです。するとその人にある長所が目に見えてきます。その長所を見て、より人間関係を深めていくように努めるべきだと教えてくれています。
現代小説ではなかなか涙を流すほどの人情ぶりは見られませんが、時代小説には相手を思いやる状況が数多く見られるのは、時代の違いでしょうか。そうだとしたら残念ですね。

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笑顔の効果

2017-04-21 23:25:01 | Weblog
廊下ですれ違う時にきちんと挨拶出来ていますか?最近はこちらから挨拶しても返事もしてくれないと嘆いている若手が結構いるんです。相手に笑顔がないので自分の声が小さいとの反省も聞かれますが。笑顔を忘れた人達は確かに多いです。
さて、貴方の顔について一言。自宅を出る際には、一度自分の顔を鏡に映してから出掛けると良いです。もちろん自分の一番良い顔を目に焼き付けるのです。外に出てしまうと、鏡を見る機会が少ないので焼き付けた笑顔がずっと頭に残っているわけです。笑顔は社会生活のパスポートです。笑顔の効果はあらゆるところに表れます。笑顔で本を読むと入ってくる情報がプラス情報が多くなります。笑顔は周囲に伝染します。すると周囲の人達の表情も和らいできます。病気でも笑う治療があるように、こころだけでなく身体にも良い影響を与えます。
ある研究報告では笑顔の多い人のほうが長生きするそうですよ。

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漢字の成り立ち

2017-04-20 23:27:35 | Weblog
漢字には意味のある成り立ちがあります。例えば鴉はがあ、があとなくのでこの字が当てはまります。鳩なクックッと鳴くので鳩となります。
この話が本題ではなく、余り忙しい忙しいと言うなということです。忙しいという字は心が死ぬという漢字の組合わせで創られているからです。忙しい、忙しいと連呼することは、心が死んだ、心が死んだと叫んでいるわけです。世間では、忙しいが上で、暇が下と判断するようですが、決してそうではありません。つまり余裕があるなしにつながるからです。余裕がない生活はギスギスして情緒に欠けます。ですから、こんな風に考えたらどうでしょうか。「身の丈にあった生き方をする」ということです。
そのバロメーターは「お茶」です。どんなに忙しくても、朝、夕一杯のお茶を飲む余裕を持つことです。この余裕が四季の移ろいを感じ生きる喜びに繋がっていくわけです。禅問答のようですが、一つ忙しいという言葉を封印したらどうでしょうか。

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富士山

2017-04-19 23:57:37 | Weblog
「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りけむ」という山部赤人の歌以来、日本人にとって富士山は霊力を備えた神秘の山でもあり、恋をうたう憧れの山です。5月2日に今年の八十八夜を迎えます。お茶の産地、静岡では、新茶の茶畑と富士山の光景が鮮やかになっていることでしょう。
かつて私も富士山の写真の収集を行ったことがあります。いつの間にか止めてしまいました。そうそう「富士山のようになりたい」という気持ち、つまり皆に仰がれる人になりたいと常々思っていたところ、誰かに「近づいたら石ころだらけ、だから中身はないよ」と揶揄されたことが止めた原因でしょうか(笑)。とは言っても、晴れた日に新幹線の窓から見る富士山の姿は素晴らしいですよね。
名古屋からは富士山は見えませんが、東京からは眺める場所が数多くあります。江戸時代は富士信仰が熱を帯び、江戸の街に小さな富士をかたどった富士塚を作り名所となったのです。これは東京が羨ましいことの一つですね。

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季語

2017-04-18 23:40:30 | Weblog
我々アナウンサーが番組を担当し、最初の挨拶をする際、時候の挨拶をすることが多いのです。その時には季語を含んで話しますね。何故季語を大切にするかと言うと、季語を知ることが日々の暮らしの中で出会う人や花、鳥、犬などの獣、こうしたすべての自然や生き物に対する思いを深めることだからです。通勤途中の肌に感ずる風、見上げた空の色の変化に四季の移ろい敏感に感じとるのです。こうした生き方を続けると毎日を丁寧に生きることに繋がるのです。ウォーキングを趣味とする人達の楽しみの中にこうした季節の移ろいを歩きながら感じることもあるのでしょう。
さて寒くもなく暑くもなく、過ごしやすい春の日。花が咲き、小鳥は囀ずり、心弾む春というのに、何となく気持ちがふさいで物思いにふけることを春愁と言いますが、もしそんな気分に陥ったら、町歩きを試みて、季語に相応しいものを見付けることに専念することをお勧めしますね。

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座右の銘

2017-04-17 23:15:48 | Weblog
小話を一つ。あるタレントに「貴方の座右の銘は?」と訊ねたところ「1.2と1.5」と答えました。左右の視力と間違えたのですね。「左右の目は?」と聞いたのです。私の座右の銘は前にも述べたと思いますが、父から言われた『実るほど頭を垂れる稲穂かな』です。歌謡曲の世界でも座右の銘を含んだ詩が世に多く出ています。
ところで、何故座右の銘と右側を言うのでしょう。座右とは文字とおり、座席の右のことで、それが転じて「かたわら」「身近なところ」という意味です。そこからいつも自分のそばに記しておいて日常の戒めの言葉や文を座右の銘というようになりました。中国で生まれた「左遷」という言葉でわかるように、左はよくない側に使われていました。つまり中国では右が必ず上位にあるのです。中国だけではありません。英語でも右の「right」に正しいという意味があるところから考えると右が上位は洋の東西を問うものではないようです。

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緑の季節

2017-04-16 22:37:54 | Weblog
まだまだ花見が続いていますが、この花見の季節が過ぎると間もなく新緑の季節が訪れます。緑という色は信号の進めになるように、前向きな色ですね。
緑といえばわからない緑があります。それは「緑の黒髪」という言葉です。緑でありながら黒髪という矛盾した表現です。ちょっと調べてみると「緑」はもともと″枝先の新芽″のことで、若々しくて色もグリーンであるところから色の名前になったそうです。『松の緑』は松の新芽のことだし、元気のいい赤ん坊を「みどり子」ということに当てはまりますよね。ですから「緑の黒髪」は新芽のようにつやつやした元気のいい髪の毛のことをいうのです。
街中を散歩して見て下さい。今や若い女性の髪の色は黒髪どころか、あらゆる色の髪が行き交っています。むしろ黒髪の方が少ないのではないでしょうか。髪の色も国際的になったものです。ただ「みどり子」だけはいつまでも活きた言葉であって欲しいものです

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カリフラワー

2017-04-15 23:29:12 | Weblog
ユダヤの格言に出会いました。狭い経験、狭い知識の人を揶揄する格言です。それは「カリフラワーに住む虫は、カリフラワーを世界と思っている」というものです。それは色々な経験を積まなければ、自分の世界は広がらず小さな範囲でしか生きられないことを言っています。
私もフリーのアナウンサーになった頃、偶然でしたが、初めてテレビの番組を担当する機会に恵まれました。決して上出来ではありませんでしたが、かけがえのない経験になりました。ラジオしか知らない私がこの経験をラジオにも活かすことが出来たような気がします。番組そのものもありますが、それを通じて沢山の人達との人脈を持つことが出来たことが大きかったです。カリフラワーの中だけでは味わうことが出来ない経験でした。
豊かな混合経験が豊かな発想を生みだし人生を強く生きる起爆剤になります。いつでも「皆さんのお蔭で」という挨拶が出来るほどの広い範囲の経験をしたいですね。

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実るほど

2017-04-14 23:30:55 | Weblog
「実るほど 頭を垂るる 稲穂かな」は父親から教えられた格言です。要約すれば金が出来たり肩書きがついたからといって威張るなという意味です。かつて大企業病という病気がありました。この病気が個人にとりついと威張り虫が頭を高くして、頭を垂れるどころでは無いことが多くありました。少なくなったといえ、まだまだこの病気がとりついている人はいますが。いや、とりつかれているのかもしれません。
とりつかれる人は、やはり周りからいつも頭を下げられる仕事が多いでしょう。先生と呼ばれる職業、例えば、医者、学校の先生、下請けを持つ会社の社員。稽古事の先生なども当てはまるでしょうね。人から頭を下げられるのに慣れてしまうのですね。慣れると少しずつ頭が高くなるのでしょう。
しかしそういう人でも、いつか肩書きが無くなる日がきます。肩書きが消えてから急に頭を下げることは難しいものです。ですから、普段から気を付けることですね。

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