マルガリータのつぶやき

フォトジェニックな「趣味の記録」:マルガリータの庭、国内海外の旅、グルメ、美術・音楽・映画、自分勝手流読書、etc

'17 ツール・ド・フランス② 第13ステージ:サン=ジロン(Saint-Girons)~フォワ(Foix)  100km  (クラウンプラザ・トゥールーズ泊)

2017-07-15 13:27:05 | フランス 
トゥールーズからスタート地サン・ジロンへ高速を乗り継いで、
到着は11時、キャラバンは楽しめたが、肝心な14:45発のスタートまでスタミナ切れで持たず、














ゲットしたTシャツ、帽子、、




周辺の民家のバラ;


ゴール地のフォアFOIXへ、D117で直行、こちらもすでに待機の車で満杯、
フォア城の威容をみて、トーゥールーズへ、





途中、A66を北上中、左右に見事なひまわり畑;






ホテルのテレビで;
<空からのフォア城>
 



革命記念日(バスティーユ)のトゥールーズ中心街の賑わい




≪MEMO>≫ ツールドフランス'17公式プログラムより
1級峠が3つ詰め込まれた短距離ステージ
■コースの特徴
長距離ピレネー難関山岳ステージの翌日に、101kmという、とてつもない短距離ステージが用意された。タイムトライアル、パリへと帰還する最終日、さらには悪天候などで短縮された区間を除くと、これほど短いステージは1989年以来初めての登場となる。
 開催委員会の狙いは、スタートからフィニッシュまで息つく暇などない、全速力の山岳レースを演出すること。特にマイヨ・ジョーヌと、政権転覆を企てる大物選手たちによる、激しい攻防合戦を期待している。もちろん7月14日の革命記念日だから、そこにフランス人選手たちも入り混じって、スタート直後から惜しみなく打ち上げ花火をぶっ放してくれるに違いない。
 101kmの短い距離に、1級峠が3つ詰め込まれた。スタート直後からゆるやかに道は上り始めると、25.5km地点以降は、それこそ上りか下りだけ。1級コル・ド・ラトラプ(登坂距離5.6km、平均勾配7.3%)、1級コル・ダニェス(10km、8.2%)、1級ミュール・ド・ペゲール(9.3km、7.9%)とひたすら上って下りて。しかも山の難度は徐々にクレシェンドしていく。なにより3つ目は「ミュール=壁」と命名されているように、山頂手前の3kmは平均勾配13%、最大18%にまで跳ね上がる。
 しかも短距離決戦のフィナーレは、延々27kmも続く下り坂。細く曲がりくねった山道で、手に汗握るスリリングな追いかけっこが巻き起こる。

■ここに注目
キャトーズジュイエ、すなわち7月14日は、全てのフランス人にとって大切な1日である。1789年にフランス革命が勃発した日であり、午前中にはTV生中継でシャンゼリゼ通りの大統領軍事パレードを眺め(特に今年は新大統領だ)、午後にはやはりTV生中継でフランス人選手を応援する日であり、悲しいことに、1年前からはニースのテロ犠牲者を悼む日ともなった。この象徴的な日に区間を制したフレンチトリコロールは過去通算30人。2005年のダヴィド・モンクティエ以来、残念ながら祖国に栄光をもたらしてくれる選手は現れていない。







≪サン=ジロン Saint-Girons≫
クズランス地方の主都、サン・ジロン 古代司教都市、サン・リジエのガリア・ローマ城壁、「クズランス地方、微笑みの首都」サン・ジロンでは、街の中央で合流する二つの急流(ル・サラ川とル・レ川)に沿った絵のように美しい道々が続いています。 そこは18の渓谷がある素晴らしい観光名所であり、主な経済はほのぼのとした牧歌的な家族経営の中小企業や手工業です。 月に何度も道端で市場が開かれたり、催し物が開かれます。そこには高地の渓谷から山で採れた品物を売りに来たり、山に住む人々が日常生活の必需品を買いに降りてきます。とても活気があり、まさに絵のような光景はしばしば観光客を驚かせています。 ピレネー山脈には、モンヴァリエ山やクラベール峠のような象徴的な山頂があり、マウンテンスポーツの愛好家たちを魅了しています。ラリエージュ・フライトクラブがあるので、山の上を飛行機やグライダーで飛行したりできるのです。
お奨めスポット アルフォンス ソンタン広場 Place Alphonse Sentein. サン・ヴァリエ教会 L'église Saint-Valier. パトリス・ボネの慰霊碑 Le monument aux morts de Patrice Bonnet. クズランス・ヴィコント城 Le château des Vicomtes du Couserans
 Read more at: http://jp.france.fr/ja/discover/49074
 ◎サン=ジロン (Saint-Girons、オック語:Sent Gironç)は、フランス、オクシタニー地域圏、アリエージュ県のコミューン。

地理[編集]
市街は山や高原、丘陵とは対比をなす盆地にある。大西洋と地中海に挟まれているため、古代にサン=ジロンからピレネー山脈のふもとへは塩の道が通じていた。現在のサン=ジロンは、フランスのアキテーヌ南部とスペインのカタルーニャ北部とを結ぶ道路上にある。
歴史[編集]
1882年に撮影されたサラ川右岸のサン=ジロン
まちができたのは相対的に後だが、その歴史はローマ人がつくった近郊のコミューン、サン=リジエと切り離すことはできない。軍事上の要所であったため、ローマ人はLugdunum Consoranorumという名のまちをつくったのである[2]。ピレネー山麓にいたガリア系のコンソランニ族がそこの市民であった。またこのまちは1789年まで司教座が置かれていた。逆に、サラ川沿いのサン=ジロンの位置は長い間知られていなかった。サン=リジエの聖なる木(fr)は現在のサン=ジロンの中にあり、リュク地区はLucusにちなんでいる。1905年、古い駅周辺の土の中からガロ=ローマ時代の葬式に利用されたCippus(死者を悼む碑文を刻んだ柱)が見つかった。それはPrimillice家のPompeiaという若い女性に捧げる碑文だった。彼女はサン=リジエの知事の娘であった。
 約1100年頃サン=ジロンがまちとみなされるようになったあと、西洋は大きな変化を体験した最初の千年紀を迎えていた。キリスト教は迫害されず、経済的にも人口統計上も発展していった。前世紀に山に隠れ信仰を守ってきた人たちは他との往来が少なく、その子孫たちは平野やまちへ下りて行き、新しいまちをつくることもあった。13世紀、市街がサラ川の対岸に広がり新たな地区ヴィルヌーヴが誕生した。まちは城壁に囲まれて徐々に大きくなっていった。

19世紀、まちは城壁を大通りに変えていった。まちにサン=ジロン駅ができて鉄道が開通すると、ブッサン-サン=ジロン線にトゥールーズ-バイヨンヌ間の路線がつながった。路線は隣接県に接続するようつくられていた。フォワやルズ川谷、カスティヨンに向かって丘を登る他の路線である。サラ川谷を通るよう建設された線もあった。この路線はピレネー山脈中のサラウ・トンネルを通ってスペインまで接続される必要があった。
 1960年代、トゥールーズへの旅客輸送が終了、1970年代に貨物輸送が終了した。その後道路輸送が鉄道輸送を引き継いだ。往時の姿を残しているのは現在も残る駅舎だけである。サン=ジロンにやってきた貨物列車が運んだのは、レダールの製紙工場に運ぶ木材であった。この産業は19世紀に地元有数のものであったが、2008年に工場は閉鎖された[3]。
<MEMO>ブログ・まりんの世界手帳 サン・ジロンのマルシェ
   フランス公式;ミディ・ピレネー地方

≪フォワ(Foix)≫
フォワ(Foix)は、フランス南部、アリエージュ県のコミューンで、同県の県庁所在地。トゥールーズの南80kmほどのところにある。スペイン、アンドラ国境に近い。中世に建てられたフォワ城、壁画の残る洞窟などがあり、1500年の歴史がある町である。周りにはスキー場、山と沢山の川があり、大自然を楽しむことができる。
<MEMO>旅行ブログ;フォア ピレネーのまち





ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« '17 フランスの「美しい村」... | トップ | '17 ツール・ド・フランス③ 第14ステージ:... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。