主査会で「パレスチナ問題」を扱いことに決まった。新聞等でもこの問題が取り上げられていることは何回か見たがいつもよく分からず読み飛ばしていた。議論するにも全く基礎知識がなくては・・・と思い慌てて本書を購入。この問題に関する著作はたくさんあったが、できる限りこの問題に対するアレルギーをなくしたくタイトルに惹かれ購入した。
本日の主査会参加者の基礎知識の一助になればとの思いから、なぜパレスチナ問題が起こっているのかの概要を簡単に下記に記述します。
〈概要〉
いま、イスラエルという国がある場所は、パレスチナと呼ばれていました。約2000年前まで、ここにはユダヤ人の王国がありました。ユダヤ教の神ヤハウェ(エホバ)はこの地をユダヤ人の子孫に与えると約束したそうです。こうしてユダヤ人にはパレスチナに対して「約束の地」という考え方が生まれました。
しかし、ユダヤの王国は1世紀にローマ帝国に滅ぼされてしまいます。そこでユダヤ人の多くはヨーロッパ各地にバラバラに移り住むようになりました。しかし、ヨーロッパにはキリスト教が多く、ユダヤ人を嫌います。嫌う理由はイエス・キリストを十字架に架けた民族であることと、お金儲けがうまく卑しいと考えられていたからです。あまり知られていないかもしれませんが、キリストはユダヤ人でした。ユダヤ教の「やられたらやり返せ精神」を批判し、自らの「万人を愛しなさい精神」を展開したのでユダヤ教から火あぶりにされてしまいました。話を戻すと、そういった理由等からヨーロッパでユダヤ人は差別され続けます。
相次ぐ差別に危機感を覚えたユダヤ人は約束の地パレスチナに「ユダヤ人の安住の地」を創るべきだという運動が活発になりました。名前を聞いたことがある人も多いと思いますが、この運動が「シオニズム」といわれるものです。このころ(1890年以降)から、大勢の裕福なユダヤ人はアラブ人から土地を買収し、移民していきます。またこの動きはナチスの大量虐殺で一気に加速されました。このころから世間もユダヤ人に対して同情的になり、ユダヤ人国家をつくってあげてもいいのではないか的な考えが多くなったと言われています。
そもそもいまの中東問題をややこしくした原因はイギリスです。この国は二枚舌を使いました。時は第一次世界大戦。連合国軍だったイギリスは、敵の同盟国軍の見方であったオスマン・トルコ(当時、パレスチナを含むアラブはオスマン・トルコが支配)の国力をなんとか弱めようと考えます。そこでアラブに対して「連合国が勝ったらオスマン・トルコから独立させててパレスチナに国を作ってあげる」と約束します。この約束を信じたアラブはオスマン・トルコに対して反乱を起こします。一方でパレスチナにイギリス寄りの国家をつくっておきたかったイギリスは、イギリス国内のユダヤ人に対してシオニズム運動を支持すると宣言しました。まさに二枚舌です。結果的にイギリスは第一次世界大戦に勝利しました。当然アラブ人はパレスチナの地に独立国家をつくろうとします。一方で怒ったユダヤ人はイギリスに対してテロ行為を行うようになります。既に国力が低下していたイギリスは自分ではどうしようもなくなり、国連の判断に任せてしまいます。国連の採決は両者で分割しましょうというものでした。パレスチナの56%を「ユダヤ国家」43%を「アラブ国家」。両者にとっての聖地エルサレムだけは「国際管理地区」。これで安心とおもいきや、1948年5月14日「イスラエル建国」を宣言した翌日、建国を認めないアラブ連合軍(エジプト・シリア等)は戦争を仕掛けます。これが第一次中東戦争です。結局お互いの根底に流れる思想がやられたらやり返せ、目には目を思想なのでこれまでに中東戦争は4回もありました。
(聖地エルサレム)
中東和平を進める上で最も難しいのが、両者の聖地であるエルサレムをどうするのかという問題です。第3次中東戦争の結果、「エルサレムはイスラエルの首都である」と宣言しています。一方のパレスチナ側も「パレスチナ国家の首都を東エルサレムに置きたい」と考えています。どちらも譲れない原則をどう調整していくのかがこれからの問題です。
神のため、宗教のために死ねる彼らにとって、聖地の存在がいかほどであるか我々には想像できないのかもしれないですね。私自身なぜここまでも揉めているのかようやく整理できました。命よりも大事な神の聖地を簡単に分け分けしてとか、お金で解決とはいかないみたいです。この問題解決の糸口あるのか?と思っています。
本日の主査会参加者の基礎知識の一助になればとの思いから、なぜパレスチナ問題が起こっているのかの概要を簡単に下記に記述します。
〈概要〉
いま、イスラエルという国がある場所は、パレスチナと呼ばれていました。約2000年前まで、ここにはユダヤ人の王国がありました。ユダヤ教の神ヤハウェ(エホバ)はこの地をユダヤ人の子孫に与えると約束したそうです。こうしてユダヤ人にはパレスチナに対して「約束の地」という考え方が生まれました。
しかし、ユダヤの王国は1世紀にローマ帝国に滅ぼされてしまいます。そこでユダヤ人の多くはヨーロッパ各地にバラバラに移り住むようになりました。しかし、ヨーロッパにはキリスト教が多く、ユダヤ人を嫌います。嫌う理由はイエス・キリストを十字架に架けた民族であることと、お金儲けがうまく卑しいと考えられていたからです。あまり知られていないかもしれませんが、キリストはユダヤ人でした。ユダヤ教の「やられたらやり返せ精神」を批判し、自らの「万人を愛しなさい精神」を展開したのでユダヤ教から火あぶりにされてしまいました。話を戻すと、そういった理由等からヨーロッパでユダヤ人は差別され続けます。
相次ぐ差別に危機感を覚えたユダヤ人は約束の地パレスチナに「ユダヤ人の安住の地」を創るべきだという運動が活発になりました。名前を聞いたことがある人も多いと思いますが、この運動が「シオニズム」といわれるものです。このころ(1890年以降)から、大勢の裕福なユダヤ人はアラブ人から土地を買収し、移民していきます。またこの動きはナチスの大量虐殺で一気に加速されました。このころから世間もユダヤ人に対して同情的になり、ユダヤ人国家をつくってあげてもいいのではないか的な考えが多くなったと言われています。
そもそもいまの中東問題をややこしくした原因はイギリスです。この国は二枚舌を使いました。時は第一次世界大戦。連合国軍だったイギリスは、敵の同盟国軍の見方であったオスマン・トルコ(当時、パレスチナを含むアラブはオスマン・トルコが支配)の国力をなんとか弱めようと考えます。そこでアラブに対して「連合国が勝ったらオスマン・トルコから独立させててパレスチナに国を作ってあげる」と約束します。この約束を信じたアラブはオスマン・トルコに対して反乱を起こします。一方でパレスチナにイギリス寄りの国家をつくっておきたかったイギリスは、イギリス国内のユダヤ人に対してシオニズム運動を支持すると宣言しました。まさに二枚舌です。結果的にイギリスは第一次世界大戦に勝利しました。当然アラブ人はパレスチナの地に独立国家をつくろうとします。一方で怒ったユダヤ人はイギリスに対してテロ行為を行うようになります。既に国力が低下していたイギリスは自分ではどうしようもなくなり、国連の判断に任せてしまいます。国連の採決は両者で分割しましょうというものでした。パレスチナの56%を「ユダヤ国家」43%を「アラブ国家」。両者にとっての聖地エルサレムだけは「国際管理地区」。これで安心とおもいきや、1948年5月14日「イスラエル建国」を宣言した翌日、建国を認めないアラブ連合軍(エジプト・シリア等)は戦争を仕掛けます。これが第一次中東戦争です。結局お互いの根底に流れる思想がやられたらやり返せ、目には目を思想なのでこれまでに中東戦争は4回もありました。
(聖地エルサレム)
中東和平を進める上で最も難しいのが、両者の聖地であるエルサレムをどうするのかという問題です。第3次中東戦争の結果、「エルサレムはイスラエルの首都である」と宣言しています。一方のパレスチナ側も「パレスチナ国家の首都を東エルサレムに置きたい」と考えています。どちらも譲れない原則をどう調整していくのかがこれからの問題です。
神のため、宗教のために死ねる彼らにとって、聖地の存在がいかほどであるか我々には想像できないのかもしれないですね。私自身なぜここまでも揉めているのかようやく整理できました。命よりも大事な神の聖地を簡単に分け分けしてとか、お金で解決とはいかないみたいです。この問題解決の糸口あるのか?と思っています。





