鉄卓のブログ「きままに」

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駅から始まるいつでも散策①-西小倉駅

2016-12-13 | ウォーキング
2016年12月12日(月)

JR九州が開催する「駅から始まるいつでも散策」に初参加した。



小倉で午後から用事があったので、早めに熊本を発って「西小倉駅」へ。駅でマップを貰い10時過ぎにスタート。



駅前は「大門跡」。熊本と違って小倉は「〇〇門跡」という遺跡などが多く残されている。



安国寺は足利尊氏が全国に建てたお寺の一つ。



三の丸土塁跡を歩く。



小倉城内に入って、いつもは気にしていなかった建物「白洲灯台」を見学。




一般の武士の登城口である鉄門(くろがねもん)跡の階段を上る。



小倉城には明治8年歩兵14連隊が置かれ、明治31年には第12師団司令部が置かれる。その当時の正門跡が残されている。

西南戦争で、乃木希典はここ小倉城から歩兵14連隊を率いて熊本城に籠城している政府軍の支援に駆け付けた。



松本清張記念館。松本清張は小倉で育ち、小倉の朝日新聞西部本社に入社し、その後小説家になる。「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。記念館には書斎が復元されている。



小倉城は細川忠興が約7年ほどかけて建てた城。細川家は20年程後熊本へと移る。



八坂神社への入口にある「中津口門の大石」の片方。二度目の移転でここにある。



八坂神社。七月には岩下俊作の小説「無法松の一生」で有名な小倉祇園祭が行われ、町中に祇園太鼓の音が鳴り響く。無法松と祇園太鼓は村田英雄の歌での方が有名になっているかも知れない。



八坂神社から小倉城。



宮本武蔵の碑。宮本武蔵が小倉に住んでいたということを知る人も少なくなっているだろう。武蔵は細川家とともに熊本へ移り生涯を終える。



お堀端で見かけた。



紫川の「鴎外橋」。



森鴎外文学碑。



鴎外橋のモニュメント



紫川を綺麗にしていた。



旦過市場は小倉の台所。2日前も北九州に行って旧友と酒を酌み交わし、「サバの刺身は小倉が一番」などと盛り上がったので、市場でサバの写真を撮ろうとしたら禁止された。



ホテルニュー田川の前にある「無法松の碑」。



ホテルの横路を通って古船場公園へ。二十才前後はこの付近に住んでいた。公園も開放的になっている。



古船場公園から左折し、小文字通りを越えて、しばらく歩いて森鴎外旧居。月曜日で休館。森鴎外は軍医として第12師団司令部に勤務。小倉城内に残っている正門を通って登庁していた。

松本清張の「或る『小倉日記』伝」は、鴎外が小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探す人物が主人公の小説。



昔、西鉄電車が走っていた道を紫川に架かる勝山橋へ。下流の橋は常盤橋。「小倉の五街道」と呼ばれる、長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の起点でもあり終点でもある橋。

橋の向こうの鉄橋を走っているのは、博多-門司港間の特急「きらめき」。九州新幹線の全線開業までは博多-熊本間などを走っていた「つばめ」の車両。



旧小倉県庁跡。明治9年に福岡県に合併されている。警察署や裁判所として使われていたが、今はパン屋さんになっている。



常盤橋から西小倉駅への室町通りを歩いて11時40分頃ゴール。室町に戻って焼き鳥「烏丸(からすま)」で「究極の親子丼」スープ付1000円(単品800円)。炭火焼のみつせ鶏、濃厚な生卵、うまい。



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