えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

ご案内:稲城 平和を語り継ぐ三世代の会 ~夏の恒例行事2017~

2017年07月28日 | 雑記

 

暑中お見舞い申し上げます

 

 蒸し暑い日が 続いていますが、みなさまはこの夏の暑さにもう慣れましたか? 私は、3~4日頭痛が続いておかしいなぁと思っていたら、いきなり高熱が出て割りとすぐ下がるという風邪?を引きました。でも、風邪の症状は他に何一つ出ないまま終わったのですが…。ここ2年ほどの間に頻発している不明熱です(^_^; そんな訳で、また間が空いてしまいましたm(__)m

 そうこうするうちに、「稲城 平和を語り継ぐ三世代の会」主催による夏の恒例行事が近づいてきました。今年は日本国憲法誕生70年目に当たることから、“今の私たちにとっての憲法”を改めてとらえ直す機会にしたいとの思いで、展示とつどいの内容を考えました。
 展示では、昭和23年に新憲法記念事業として国民から公募によって選ばれた「平和百人一首」の復刻版である絵本(↑)の原画を再び展示し、また、その百首の手作りカルタを初めて紹介します。(「平和百人一首」については、このブログで4年前から一首ずつ紹介してきています。詳しくはこちらの過去記事をご参照ください。)
 つどいでは、絵本の作者を招いて想いを聴き、参加者も想いを語り合う予定です。
 いずれも稲城市立城山体験学習館稲城市立中央図書館内)で開催、入場無料です。詳しくは下記案内をご覧ください。 

 

                                       

 

     稲城 平和を語り継ぐ三世代の会
     第11回 展示とつどいのご案内

      ~日本国憲法誕生70年~

展 示  

 期間 8月5日(土)~14日(日) 9時~20時
    (初日は11時から・最終日は16時まで)
 場所 稲城市立城山体験学習館稲城市立中央図書館展示ルーム

    絵本『百のうた 千の想い 甦る平和百人一首原画展  
      日本国憲法が生まれた年に国民から選ばれた「平和百人一首」
      あなたの好きな歌を選んでみませんか?   
 
  「サダコと折り鶴」展 「広島平和記念資料館」より借用)
   「原爆と人間」展   「日本原水爆被害者団体協議会」制作)
   「平和百人一首」復刻カルタの展示  
     ▽「折り鶴コーナー」でヒロシマに送るツルを一緒に折りましょう!  

つどい 

 日時 8月19日(土)  13時30分~16時
 場所 稲城市立城山体験学習館(稲城市立中央図書館レクチャールーム

  「終戦を喜び 戦争のない国に!
    平和への熱い想いが百のうたに!」

    絵本『百のうた 千の想い 甦る平和百人一首』 著者の想い
    朗読グループ「来る実」による朗読
   
参加者による交流
 
     「平和百人一首」を詠んだ人たちが憲法に込めた想いに触れながら
     “私たちにとっての憲法”を一緒に考えてみませんか?


主催:  
稲城 平和を語り継ぐ三世代の会
共催:  稲城市原爆被爆者の会・てらいんく
後援:  
稲城市教育委員会
問合せ: 宇留賀 (042-379-1107)         
アクセス :京王相模原線 稲城駅下車 
       バス停1番乗り場 小田急バス「市立病院行き」 バス停「城山公園」下車  
       JR 南武線南多摩駅下車 徒歩5分

      

                                            

 

 開催場所の規則により、今年から展示期間がさらに短くなりました。数年前までは4週間開催できたのですが…(^_^;
 暑い盛りではありますが、日本国憲法と日本や世界の平和との関わりなど、一緒に考えたり共感したりするひとときを過ごしてみませんか? みなさまのご来場をお待ちしておりますm(__)m

 

                                          

  

 ここからは私的つぶやきです。ちょっと長くなるかも……?

 今月、亡き父と家族宛に、「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」支給の知らせが国から届きました。戦没者等に弔慰の意を表わすため、国は遺族に特別弔慰金としての記名国債5年ごとに交付してきており、今年はその10回目に当たるのです。亡き父の名で通知が来たのは、前回分を父が受給していたからですが、受給資格があるのは当該回の支給基準日時点で存命していた遺族(子・父母・孫・祖父母・兄弟姉妹)なので、 今回は我が親族には該当者がおらず、受け取れないことがわかりました。

 そもそも、父は戦死した自分の直近の兄(父は、異母兄弟姉妹を含めて10人兄弟姉妹でした)の遺族として弔慰金を受給していたわけですが、父の死後は母が父の遺産として受給していました。さほど煩雑な手続きも要らずに相続できた(受給手続き自体にはそれ相応の手続きが必要です)ことと、この制度をよく理解していなかったことから、母と私たち姉妹は、あろうことか、戦地に駆り立てられて命からがら帰還した父自身に国が支給している弔慰金だとばかり思い込んでいたのです。肝心要の「戦没者」が、私たちの認識からすっぽりと抜け落ちていたのです。

 ところが今回、通知文の不明点を確認するために担当者に連絡して初めて、この弔慰金の制度そのものと、父が伯父のお蔭で受け取れていたという事実を私たちは知ったばかりか、恥ずかしながら実は、その伯父の存在自体をも今回初めて知ったのです。さらに、父のまとめた家系図の副本を慌てて紐解いた私は、伯父が直近の伯母と双子だったという事実にも、初めて触れることとなりました。伯母にはさんざんお世話になったというのに、双子だったことを知らなかったなんて…。ということは、同じ母から生まれた兄弟姉妹は3人だと認識していたけれど、本当は4人だったということで……。
 伯父が家族を持つ前に戦争で夭逝した上、父の口からも伯父について語られることがなかったとはいえ、血のつながった姪たちに半世紀以上も存在すら知られていなかったとは……なんと悲しく、惨めな伯父なのでしょう…なんと迂闊で、恥ずべき姪たちなのでしょう…。さぞ伯父はあの世で無念でいるに違いありません。

 初めて知ったそれらの事実とともに、私たちが伯父の存在すら知らなかったという現実に愕然とすると同時に、戦争のもたらす無残さや理不尽さを、私は改めて実感しました。配偶者や子孫を持つ前に戦争で命を奪われるとは、こういうことなのだと…戦争さえなければ、伯父は家族を持っていたかもしれない…そうすれば、伯父の存在が三親等の親族にさえ忘れ去られるという悲惨なことも起こらなかったかもしれない、と……。帰還した父は、戦記を著して自分の体験を後世に伝えることができたし、広島の被爆者である母も、妹が代わって著した体験絵本という形で残すことができたけれど、命を奪われた伯父にはそれが叶わなかった…せめて、伯父がどのような経緯で戦没したか、誰かに話を聴いておきたかったけれど、今では時すでに遅し……。

 伯父の亡骸は、父の眠る墓の近くに納められているはずです。次回父の墓前に参るときには、伯父の名前を探し当てて伯父に詫びたいと、私は今切に思っています。K伯父さん、本当にごめんなさい…… 。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 100均でクラフト ~夏の... | トップ | 最近の新聞記事より ~読者... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑記」カテゴリの最新記事