たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

篠木小学校の啄木の妻節子の歌碑

2012-04-08 | 啄木歌碑
啄木の妻節子の歌碑を訪ねてきました。節子は盛岡女学校(現盛岡白百合学園高校)を卒業し、啄木との結婚前の明治37年3月31日から38年3月31日までの1年間岩手県滝沢村の篠木尋常高等小学校(現篠木小学校)の代用教員として教鞭を執っていました。歌碑は地区の住民有志が「啄木の文学活動を献身的に支えた節子の功績を知ってほしい」と篠木小学校に建立しました。節子の歌碑が一か所に単独で建っているのは、ここだけかも知れません。除幕式は平成21年10月14日に行われたようで、歌碑は校門を入るとすぐ左側にあります。滝沢村は盛岡市に隣接する村で、日本一人口の多い村で、住民自治に資する団体自治の拡充のため、平成26年1月を目途に市制へ移行するための準備を始めております。

















今日も又
夢は追ひつと人に云ひ
かくれてききぬ
厨こほろぎ 
      
節子




歌碑には節子の詠んだ歌と啄木夫婦のレリーフも刻まれており、その脇に歌碑の説明が書かれている。






節子について、盛岡白百合高等学校の2009年度生徒会誌撫子第40号で「堀合節子さんを知っていますか?-石川啄木の妻・節子を訪ねてー」と題して特集を組んでいる。その中で、この歌について、誰が何と言おうとも「夢見る人」啄木を信じ、自分もまた「夢見る人」となって、短い生涯を共に生きた節子ならでは詠めない短歌であり、節子が啄木の一番の理解者だったことがわかる歌であると思う。節子の人生を語ることは、そのまま啄木の人生を語ることに繋がっている。言い換えれば、啄木抜きでは節子を語ることはできないのである。それはきっと、彼女にとって、とても幸せなことなのだと思った、と述べている。





盛岡市内を歩くチャグチャグ馬コ(2011.6.11)



  
篠木小学校は盛岡に隣接する滝沢村ですが、滝沢村のお祭りと言えばチャグチャグ馬コです。チャグチャグ馬コは毎年6月の第2土曜日に行われる「蒼前様」を信仰とするお祭で、100頭ほどのきらびやかな装束をまとった馬コが、愛くるしい稚児を背中にのせて滝沢村の蒼前神社から盛岡市の八幡宮まで15キロの道のりを練り歩いてくる。馬のあでやかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびにチャグチャグと鳴る鈴の音が名称の由来といわれています。篠木小学校は国道46号から少し入った所にあり、小学校から秋田方面へ進んで行くと、繋温泉、小岩井農場はすぐです。小岩井農場の一本桜はまだ雪に囲まれており、一か月後くらいが桜の見ごろでしょう。




小岩井農場の一本桜(手前の白いのは雪です)




なお、篠木尋常高等小学校といえば、啄木の歌集「一握の砂」に、次のような一首がありますが、


    「酒のめば 刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき 村を逐はれき」  啄木


明治37年、啄木の「母校渋民尋常高等小学校の校長排斥運動」などもあり、校長は、その年の3月31日、渋民小学校を去って行った。渋民小学校を去り、転任された学校が隣村の滝沢村立篠木尋常高等小学校だったのです。折しもこの日、啄木の婚約者堀合節子も裁縫の代用教員として篠木尋常高等小学に採用された。二人にとっては、不幸な出会いとなり、日々苦痛を覚えなければならなかったことでしょう。翌年3月、校長は自害、節子も3月に学校を離れている。なんという運命だったのでしょう。






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