一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

海抜0メートルから登る北アルプス「白馬岳」①親不知~白鳥山(白鳥小屋)

2012年07月22日 | 海抜0mから登る北アルプス「白馬岳」単独行
なんとなく始めた“シリーズ「麓から登ろう!」”であったが、
回を追うごとに欲が出てきて、(笑)
最近では海抜0メートルから登ることも珍しくなくなってきた。(爆)
昨年5月には、佐賀県最高峰「経ヶ岳」で「ゼロ TO ゼロ」を、
昨年夏には、日本最高峰「富士山」で「ゼロ TO ゼロ」を、
そして今年4月には、九州最高峰「宮之浦岳」でも「ゼロ TO ゼロ」をおこなった。
今年の夏はどこに登ろうかと思案していたのだが、
「できれば北アルプスにも海抜0メートルから登りたい」と考えるようになった。

北アルプス最北部、
朝日岳から日本海親不知海岸へ向けて、
真っ直ぐに北上する一本の縦走路「栂海新道」(つがみしんどう)の存在は知っていた。
歩く人はそれほど多くはないが、
アルプスと日本海をつなぐ秘境コースとして、
本当の山好き達に憧れられ、そして愛されていることも……
この「栂海新道」を歩く人の9割はアルプスから日本海へ下るとのことで、
日本海からアルプス目指して登る人は、全体の1割にも満たないらしい。
それだけ過酷なルートということなのだろう。
この「栂海新道」を、海抜0メートルから歩いてみたい……
できれば、朝日岳(2418m)の先にある白馬岳(2932.2m)まで……


「栂海新道」のことを詳しく知るために、
『栂海新道を拓く 夢の縦走路にかけた青春』(2010年11月刊)を読んだ。


著者は、小野健という人物。

【小野 健】(おの・けん)
1932年、福島県いわき市生まれ。
1956年、早稲田大学第一理工学部鉱山学科卒業。工学博士。
1961年、さわがに山岳会を結成し会長となる。
1962年から1971年まで、10年をかけて栂海新道を開拓。
1972年、第12回山溪山岳賞、
2003年、「山と溪谷」山岳環境賞、
2004年、第9回NHKK地域放送文化賞受賞。
2006年より糸魚川市文化協会会長に就任。
著書に『山族野郎の青春』(1971年 山と溪谷社)、『栂海新道その自然』(1988年 さわがに山岳会)、『糸魚川の自然を歩く』(編著 2007年)などがある。

本の帯には、こう記してある。

雲上の北アルプスから日本海へ
全長27キロに及ぶ長大な縦走路を10年の歳月をかけて開拓したのは小さな地元の山岳会だった……
幻の著書『山族野郎の青春(昭和46年刊)』を全面的に改稿し、さらにその後、現在に至るまでの栂海新道の変遷を辿った待望の一冊。

未開の山稜に、自分たちの手で岩盤を削り、
木を伐り、藪を刈って登山道を開設しよう。
山小屋も建てよう。
そして海水パンツをザックの片隅に忍ばせて、
高嶺のお花畑から日本海まで縦走してドボンと海に飛び込むのだ。
アルプス縦走の果てに
日本海で海水浴をして帰るというユニークなコース。
単純な我々はそんな夢にワクワクした。
(第一部第二章「誕生、さわがに山岳会」より)


天嶮・親不知に近い旧・青梅町(現・糸魚川市の一部)在住の小野健氏は、
北アルプス北端にある朝日岳付近から、
日本海・親不知まで下る登山道を、
職場の仲間たちと拓こうと思い立つ。
1961年、栂海新道伐開の要員確保のために職場で「さわがに山岳会」を結成。
それから10年の歳月かけて、
私財を投じ、
ヤブだけでなく、
国(縦走路の一部が国有林だった)や、
町(観光の利害関係など)とも格闘しながら、
1971年、ついに、
標高差約2400メートル、距離約27キロもの長大な登山道を開通させる。
読んでいるこちらもワクワクするようなドキュメントであった。
読み終える頃には、
〈歩いてみたい〉
と心底思っていた。

親不知にある登山口から無人小屋である白鳥小屋まで、
『山と高原地図』のコースタイム合計で7時間半。
JR親不知駅からだと8時間半。
栂海山荘(無人小屋)までだと、それに3時間半をプラスしなければならない。

佐賀から公共交通機関を利用して単独で行く場合、普通に考えられるのは、
1日目、佐賀から親不知まで移動。
2日目、親不知から栂海山荘まで。(歩行11時間)
3日目、栂海山荘から朝日小屋まで。(歩行10時間)
であろう。
この後、白馬岳まで縦走して佐賀に帰るとなれば、
4日間では足りず、5日間は必要になる。
だが、いつものことではあるが、私に与えられた休暇は4日間のみ。
佐賀からの往復の時間を含めた4日間で、
親不知から白馬岳まで縦走し、猿倉に下山し、佐賀まで帰らなければならない。

いつものように綿密に計画を練る。(笑)
だが、これが楽しい。(爆)
単独行ならではの楽しみなのである。
ツアーや、山岳会の山行などでは得られないヒリヒリするような感覚。
問題は、
要するに、
自分にできるかどうか……だけ。

純粋に、自分の体力と能力を照らし合わせ、
自分自身で判断する。

こうして私が考え出したスケジュールがコレ。

前日、仕事を終え、そのまま出発。
JR特急、新幹線、夜行高速バスを乗り継いで、
翌日の午前中にJR親不知駅に到着。
1日目。
親不知駅から歩き出し、1時間後に登山口に到着し、
白鳥小屋まで歩く。(歩行8時間半)
2日目。
白鳥小屋から歩き出し、朝日岳を経て朝日小屋まで。(歩行14時間)
3日目。
朝日小屋から雪倉岳を経て、白馬岳へ。(歩行8時間)
4日目。
白馬岳から大雪渓を経て猿倉へ下り、バスで白馬駅へ移動。
白馬駅から、JR普通電車、特急、新幹線などを乗り継いで佐賀へ。(歩行3時間20分)

1日目と2日目が問題であろう。
1日目は、疲労と睡眠不足の上での8時間半の歩行。
2日目は、前日の疲れを引きずりながらの14時間の歩行。
白鳥小屋は無人小屋なので、それなりの装備が必要だし、
2日間分の食料もザックに入れなければならない。
水場も少ないので、
ハイドレーションシステムの3リットルのリザーバーと、
500mlのペットボトル2本分の予備の水。
水だけで計4kgの重さ。
とにかくアップダウンのきついルートらしいので、
体力・気力が充実していなければならない。
今回は6月初旬より体力強化を図り、
“海抜0メートルから登る北アルプス「白馬岳」”に備えた。

7月21日(土)
仕事を終えた後、
18:42 特急ハウステンボス26号で肥前山口駅発。


19:35 博多駅着。
新幹線のぞみ98号に乗り換え。
20:00 博多駅発。
22:44 京都駅に到着。
夜行高速バス(富山駅行き107便)に乗り換え。


7月22日(日)
5:30 富山駅に到着。
JR北陸本線に乗り換え。
5:46 富山駅発。
6:48 親不知駅着。


実は、この親不知駅には、思い出がある。
そう、徒歩日本縦断で、この駅で野宿(駅寝)したのだ。
駅寝のことを、我々(アルキニストたち)は「STB」(ステビー)と呼んでいる。
station bivouac(ステーション・ビヴァーク)の略である。


親不知駅は海や高速道路に近く、
波の音や車の音で、あまり眠れなかったという記憶がある。
それから、深夜に2人組の警察官に職務質問されたことも……(笑)
寝ているところを、顔にパッとライトを当てられ、
身分証明書などの提示を求められた。
私が徒歩日本縦断した1995年は、
そう「地下鉄サリン事件」が起こった年。
逃亡している信者と間違われたのかもしれない。

GPSの電源を入れ、装備を点検し、出発準備をする。
今回の私の相棒は、カカポくん。
40Lのザックに、目一杯詰め込んでいる。
マットが小さいのは、4分の1にカットしてあるため。
首から腰の部分にだけしかマットを敷かないのだ。(笑)


7:07
海抜11mの親不知駅を出発。


しばらく歩くと、道の駅「親不知ピアパーク」が見えてくる。


この道の駅の前が海水浴場になっていて、美しい浜辺になっている。
海の家もオープンしていた。


ここを海抜0メートルの出発点に決める。


登山靴を浸そうと波打ち際で待っていたら、
急に大きな波が来て、登山靴とズボンの裾が濡れてしまった。
靴の中にまで海水が入っていなくて助かった。ホッ
7:23
登山靴を日本海の海水に浸け、出発。


親不知駅から登山口まで徒歩で1時間。
登山口の近くにも海岸に下りられる道があるので、
本当は登山口までタクシーなどを利用してもよかったのだが、
私は歩いてみたかった。
徒歩日本縦断のときも、この道を歩いたからだ。

右側に見える日本海が、とにかく美しい。


だが、途中から歩道がなくなり、


スピードを出したトラックが突然現れたりするので要注意。
よい子は真似しないように……ね。


8:12
栂海新道登山口に到着。
近くにあるウェストン像を見に行く。
1894年、ウェストンは、白馬岳登山のとき、親不知の断崖を訪れ、
「ここが日本アルプスの起点である」と記述している。
毎年5月の第4日曜日に、「海のウェストン祭」が開催されているとのこと。


8:21
栂海新道登山口を出発。


実は、徒歩日本縦断したときの写真を見ていたら、
栂海新道登山口の写真が出てきたのでビックリ。(忘れてた)


1995年に、この親不知の海岸沿いを歩いていたとき、
「これからアルプスまで登るんですか?」とか、
「アルプスから下りてきたんですか?」などと訊かれた記憶ある。
山登りにはそれほど興味はなかったので、
栂海新道登山口のゲートを見たとき、
〈ああそうか、ここがアルプスへの登山口なんだ~〉
と思い、写真を撮ったのだと思う。(たぶん)
それにしても、17年後にこの登山口から自分が登り始めるなんて、
当時は思いもしなかったことである。(笑)


登山口から登り始めるも、草茫々で道が消えている。
栂海新道って、こんなに荒れた道なのか……と驚きつつ道を探すが……無い。(爆)
沢沿いにピンクテープみたいなものがあるのでしばらく登るが、途中からテープは消え、これ以上登れそうにない所に至る。
林業関係の目印みたいなものもあるが、道が無い。
「迷ったときは出発点に戻れ」で、登山口に戻ってきて、周囲を見回す。
すると、20~30mほど離れた場所に、仮設階段があった。


近寄ってみると、
「土砂流出のため、栂海新道登山者は、こちらの仮設階段をご利用ください」
と書いてある。
「オイオイ」である。


8:49
30分弱のタイムロスで、仮設階段(栂海新道登山口)から、あらためて出発。


こちらから歩き出すと、はっきりとした登山道が続いており、ホッ。
雰囲気も悪くない。


トンボソウの仲間かな?
この辺りは、8月下旬頃には、ナツエビネも咲くらしい。


9:50
雨が降り始めた。
雨具を装着する。
この辺りはまだ低山なので、蒸し暑い。


10:24
入道山を通過。


10:33
二本松峠を通過。


雨が降ったり止んだり。
自然の造形を楽しみながら登って行く。


10:53
林道を横切る。


林道へ下りた所に、さわがに山岳会の道標があった。
次の目標は、坂田峠。


ここから再び登って行く。


素晴らしい雰囲気の道。


11:44
尻高山(677.4m)を通過。


美しい道が続く。


ゆっくりゆっくり歩いて行く。


坂田峠が見えてきた。


12:15
坂田峠に到着。


道に腰を下ろし、ここでランチ。
この栂海新道では、熊が度々目撃されており、
この坂田峠辺りでは、頻繁に出没しているとのこと。
ザックに熊鈴をつけて歩いているが、
ガサッと音がしたり、獣臭がしたりしたら、
熊鈴を手に持って激しく鳴らすようにしている。(大丈夫か?)


12:35
坂田峠を出発。


金時坂という急坂を登っていく。
ロープや梯子が設置されているが、雨に濡れているのでけっこう危ない。
用心しながら高度を上げていく。


時々足を止め、美しい花々に魅入る。



13:46
シキ割の水場で水を補給。
ハイドレーションの3リットルのリザーバーをぱんぱんに満たし、
2本のペットボトルにも水を詰める。
途端にザックが重くなった。


この辺りはまだ標高1000mにも満たないのに、残雪があった。
ビックリである。


仕事疲れや睡眠不足が影響し、体がだるく感じられる。
早く白鳥小屋に着かないかな~と思い始める。


15:09
山姥ノ洞分岐を通過。


ふと顔を上げると、そこに、今夜泊まる予定の白鳥小屋が……
嬉しい~


15:27
白鳥小屋=白鳥山(1286.9m)に到着。


親不知駅から8時間20分、
海抜0メートルから8時間4分、
栂海新道登山口から7時間38分での到着であった。


小屋の横に、山頂標識と三角点があった。


小屋には誰もいなかった。
今夜は、私一人か……
1階はこんな感じ。


2階は天井は低いけれど、きれいな部屋だった。


私は明朝出発が早いので、1階で寝ることにする。
明日は歩行14時間の強行軍。
早朝3時半の出発を予定している。
夕食を食べ、早々に横になっていたら、
17時半すぎに、中年夫婦の登山者が、倒れ込むように小屋に入ってきた。
ふたりとも疲労困憊の様子。
訊くと、朝日小屋から歩いて来たとのこと。
朝日小屋を午前5時に出発して、12時間半で到着したとのこと。
下って12時間半。
明日、私は、登って14時間で朝日小屋に到着しなければならない。
3時半に出発し、17時半の到着予定。
〈大丈夫か?〉
少々不安になる。
数日前に朝日小屋に予約の電話を入れたとき、
朝日小屋の名物女将から、
「どこから登ってきますか?」と訊かれ、
「白鳥小屋から」と答えたら、
「それは無理でしょう!」と諭された。
白鳥小屋から栂海山荘の間が4時間かかるが、
その間がとてもキツイとのこと。
「もし栂海山荘に着いて、残りの10時間が歩けないと思ったら、無理せずに栂海小屋でもう一泊してから朝日小屋まで登って来るように……。7月23日で一応予約を受けますが、その日に登って来なかったら、栂海山荘に泊まったものと判断しますからね」
朝日小屋の女将は、親切で言ってくれているのである。
「はい、わかりました」
と私は答え、それ以上反論しなかった。
14時間歩ける準備はしてきている。
だが、何があるか分からない。
体調不良で歩けなくなることだってあるだろう。
期待と不安の入り交じった気持ちを抱きつつ、
私は天井を見上げていた。
2階に上がった中年夫婦は、これから夕食の準備にとりかかるようであった。
いつまでも物音や話し声がしていた。
〈明日は、はたして歩き通せるのか……〉
しばらく考えていたが、考えても仕方のないことと諦め、
私は目を閉じた。
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