一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『コクリコ坂から』 ……異性への憧れと尊敬、恋うる心を初々しく描く……

2011年07月21日 | 映画


宮崎吾朗監督作品『コクリコ坂から』を見てきた。
以前述べたように、
本作自体にはあまり興味がなかったのだが、
主題歌である「さよならの夏」が大好きな曲であったので、
それに惹かれて見に行った。

〈ジブリも世襲制か?〉
という批判が私の胸になきにしもあらず、(笑)
宮崎吾朗監督の前作『ゲド戦記』があまり評判が良くなかったこともあって、
作品的にかなり心配していたのだけれど、
まずまずの作品であったと思う。

1963年(昭和39年)、
横浜。
港を見下ろす丘の上の古い屋敷。
祖父の代まで病院だったその建物の庭で、
毎日、信号旗をあげている海(声・長澤まさみ)は、高校2年生。
女系家族の長女。
父を海で亡くし、
仕事を持つ母を助けて、下宿人のいる大所帯の面倒をみている。
信号旗の意味は、「安全な航行を祈る」。


タグボートで通学している高校3年生の俊(声・岡田准一)は、
海の上からその旗をいつも見ていた。


海と俊の通う、横浜のとある高校では、
小さな紛争が起きていた。
古くて歴史のある文化部部室の建物(通称・カルチェラタン)を、


取り壊すべきか、保存するべきかで、
揉めていたのだ。
新聞部の部長である俊は、その建物を守ろうと生徒達に訴える。
その気持ちに賛同する海は、カルチェラタンの清掃を呼びかけ、
取り壊し推進派の校長や、
決定権のある理事長を説得するために、起ち上がる。

徐々に惹かれあう二人であったが、
急に、俊が冷たい態度をとるようになる。
「嫌いになったのなら、はっきりそう言って」
そう詰め寄る海に対し、
俊は、
「俺たちは、兄妹なんだ」
と答える。
出生の秘密が次第に明らかになり、
戦争と戦後の混乱期の中で、
親たちがどう出会い、
愛し、
生きたかを、
海と俊は、知っていく……


この作品が違和感なく私の中にスッと入ってきたのは、
宮崎吾朗監督のオリジナル作品ではなく、
宮崎駿が企画・脚本を担当し、宮崎吾朗が監督を務めた、
実質的に父子共作といえる作品であったからかもしれない。
1967年生まれの宮崎吾朗監督は、
当然のことながら生まれる前の1963年当時のことは知らない。
もし、宮崎駿が関わっていなかったら、
いろんな場面で、不自然なシーンを見せられたような気がしてならない。

事実、この二人には、戦争とも言えるような、様々な衝突や葛藤があったとのこと。
その模様は、
ドキュメンタリー「ふたり『コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗~』」として、
8月9日午後7時30分~8時45分にNHK総合で放送されるらしい。

日本を代表するアニメーション作家である父は、映画『ゲド戦記』で同じくアニメーション監督の道を歩み始めた息子を認めていなかった。そんな決して良いとはいえない雰囲気からスタートした映画づくりの現場を10か月にわたって密着した本番組は、父子の葛藤をこれでもかといわんばかりに映し出している。

とりわけ、主人公「海ちゃん」のキャラクター設定をめぐって始まった父子の議論は、「戦い」というほかに呼び方が見つからないほど激しいもの。とうに還暦を過ぎながらも、アニメに対して飽くなき情熱をかたむける父・駿のこだわりは、息子が相手だからといって甘くなるわけではない。立ち向かう息子・吾朗も、父と比較されることは承知の上でアニメに向き合っている。それは「父子の物語」というありがちな売り文句では到底表現し切れるものではなく、制作途中に公開延期の危機が訪れたというのも納得の意地と意地のぶつけ合いだ。(「シネマトゥデイ映画ニュース」より)


ドキュメンタリー番組の方も楽しみになってきた。(笑)

この作品、主人公の松崎海の声を、長澤まさみが担当している。
あの舌っ足らずのキャピキャピ声だったら台無しだなと思っていたら、
「これ、本当に長澤まさみ?」
と思わされるほど、低く自然な感じの声で、好感が持てた。
吹き替えのときに、
監督から、
「もっと普通に」
とアドバイスされ、
ぶっきらぼうな声を出したら、
「あっ、それそれ」
と言われたとのこと。(笑)

その他、豪華な「声の出演陣」が本作を支えている。

松崎 海:長澤まさみ
風間 俊:岡田准一
松崎 花:竹下景子
北斗美樹:石田ゆり子
広小路幸子:柊 瑠美
松崎良子:風吹ジュン
小野寺善雄:内藤剛志
水沼史郎:風間俊介
風間明雄:大森南朋
徳丸理事長:香川照之

大森南朋の声はやや合わない気がしたが、
竹下景子、石田ゆり子、柊 瑠美、内藤剛志、香川照之は良かった。
特に、香川照之の徳丸理事長は雰囲気ピッタリ。
香川照之は、なにをやらせてもウマイな~

宮崎駿は、「コクリコ坂から」の企画のための覚書で、次のように記している。

「コクリコ坂から」は、人を恋うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。

観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。


その通りの作品になっている。
特に、50代から60代の年代の人々にとっては、
懐かしさいっぱいの映画だ。
あの遠い昔の、
まだ純粋だった頃のあなたを、
もしかしたらこの作品のなかで見つけることができるかもしれない。
再会できるかもしれない……



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